| 中国・西域の旅 |
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| 1991年8月13日(火) 福岡から上海 |
[8月13日(火)]
9時30分、岡山駅新幹線改札口でOさん親子と待ち合わせ。Oさんは風邪による熱が2、3日つづいていたとかで顔色悪し。博多まで片道12,030円。国内の交通費が意外に高くつく。9時42分発。インターハイの疲れと、手紙を書いたために乗り物酔いしたのか気分すぐれず小倉までは半分寝ていた。12時前、博多着。博多駅から空港バスを利用し福岡空港へ。240円。空港まで15分。空港のレストランで昼食。カツカレー800円。
13時前、ワールド航空の受付済ます。パスポートと荷物を預ける。
指定された2階の待合室Bへ。13時30分集合とのこと。売店でガム、アメ、ビールのつまみなど仕入れる。
添乗員からツアー参加者名簿が配布され、目を通しているうち我々以外に岡山から参加されている人の名前を見てびっくり。F夫人のお父さん、B一氏。目をあげるとBさんも気付いたらしくお互い奇遇に驚く。Bさんは春につづいてのツアー参加とか。
14時40分、搭乗のための出国手続き開始。
免税店でバーボンのIW HARPER 1本3,500円にて購入。
15時10分、搭乗。
定刻に離陸。有明海北岸、西海国立公園九十九島、五島列島上空を通過。左側機窓から雲仙普賢岳が見えたのか機内がざわめく。
16時10分、ジュース、サラダ、ケーキ、ハム、お茶などのサービスあり。
16時40分、着陸体勢に入る。海面はしだいに黄濁、雲海に入り、再び雲の間に見た地上は緑の水田と白壁の民家。格子状の水路。
17時10分、無事着陸。車輪が滑走路に着くといつものことながらホッとする。
上海空港はターミナルビルの造改築工事の最中でなんとなく雑然としている。団体観光ビザをとっているため入国審査も簡単、入国印すらパスポートには押さず、税関も全くトラブルなく順次通過した。
臨時便に乗ったため中国側と連絡の行き違いがあり、人混みの中1時間余り待たされ、やっと、18時30分、上海旅遊公司のバスが迎えにくる。現地ガイドの高さんは日本に長いこと住んでいたとかで癖のない日本語を話す。また旅行中ずっと付き添うウルムチの旅行社の黄さんもびっくりするほど上手な日本語を話す。空港から10分たらずで夕食をとる予定の日航竜柏ホテルに。中華料理のフルコース、よく冷えたビールで乾杯、ただし、一テーブル3本限定、少々もの足りず。19時40分出発。添乗員のHさん、ガイドの高さんの中国に関する一般的な紹介、注意、そして、上海の案内を聞きつつ今晩宿泊予定の波特曼酒店に。18時着。
45階建てのゴージャスなホテル。2階ロビーで待つ間弦楽五重奏での「隅田川」など日本の曲の演奏サービスあり。部屋割りの結果、同志社高校のA先生と相部屋、2013号室。
21時、手紙を出しにフロントへ。ついでに外出。南京西路を西に向かい、静内寺まで歩く。気温は27、8度、しかし、ベターとした湿度の高い外気。一人っ子政策を反映してか、2、3歳の子供を抱いた若い父親が目立つ。託児所からの帰りか。ベビー用品店も多い。店舗の多くはシャッターを降ろしているが、個人商店、特に食堂や食料品店の中には営業しているもの結構ある。若い二人連れも多い。屋台、キャンデー屋、スイカ売り等等。折り返し道路反対側をホテル前まで帰ったところで、若い男が日本語で話かけてくる。「若い女(こ)がたくさんいるよ。一緒にいきませんか。」まさかのポン引き出現。社会主義中国もここまで来ているのかと唖然。
22時、部屋に戻る。荷物まだ届かず。22時30分、やっと届く。バーボンの水割りを飲みつつノートの整理。部屋の温度24度、湿度64%。テレビからは宮崎みどりの声が、日本の衛星放送が入っている。Oさんは2206号室。明日は7時15分モーニングコールの予定。