慟哭の大地1
「慟哭の大地」

1 「はじめに」

【学習と友好の旅】 団長 井 上 進 夫

 2007年「岡山県の開拓団跡地を訪ね友好を促進する旅」の目的は、中国東北部(旧満州)に残留孤児と して残された高見さんの養父母の墓参りや両親の最期の地を訪れること、参加者の何人かが自らの体験や 肉親の思い出を追体験すること、そして参加者全員がそれらのことを通して、当時の歴史を学ぶことであった。 もう一つはかつて高見さん一家や参加者の何人かを含む岡山県出身者の多くが入植していた龍爪地区の 小学校を親善訪問して友好を深めることも大切な目的であった。

 目的を持った集団は強いものである。少々の強行軍にも弱音を吐かず、可能な限り関係すると思われる 場所を精力的に探して歩いた。それでも時間の制約が有って行けなかった場所には早朝に起き出して個人 的に尋ねていった参加者もいた。このようにして日を追うごとに参加者たちは、各自それぞれの思い出の 地で、祈り、涙し、そして追憶しながら旅の目的を果たすとともに、この旅行に参加してよかったという満足 感を持った。

 また直接にはこの地に関わりを持たない参加者も旅の体験を通して、この地を舞台にした歴史を詳しく 学ぶことが出来た。

 この貴重な体験を私たちは、できるだけ多くの人たちに伝えたいと思う。そして満蒙開拓団という組織が どんな意味を持たせられていたのか、またあの時なぜ多くの人たちが中国に取り残されたのか。そもそも 満州国とはどのような「国家」だったのか。それらのことを私たちは歴史から学び、その上で中国の人たち との友好を図っていきたい。

 終わりにこの旅を終始リードしてくれた青木さんに謝意を表します。

【はじめに】 秘書長 青 木 康 嘉

 8月6日から12日まで、龍爪開拓団出身の3名(高見、織田、小林)や「旧満州国」 に縁のある(石原、成田、朝倉)や高校教員などで岡山県出身の龍爪開拓団の足跡を訪ね、 日中友好をはかる旅を企画した。

 中国残留日本人孤児裁判で、一昨年より大阪・神戸・東京・徳島・名古屋・広島・高知・ 札幌と判決が出た。国家賠償という点では1勝7敗という結果になった。しかし、その裁 判長も弁護団ですら、中国残留日本人孤児に対して「歴史」や「現場」の理解に対して「温 度差」を感じた。やはり、「現場」を見て、「悲しみの共有」をする中で、援護射撃となる 世論の盛り上げがこの旅の目的だった。7月9日の与党案受諾と、事態は変化したが、私 たちの「理解」は、今後とも色々な意味で「財産」となると思う。この「財産」を多くの 人に伝えていきたい。

 この旅は、「生き証人」でもあり、その後『龍爪開拓団の足跡』という記録をつくられた 船越美智子さんの協力なしにはできなかった。貴重な当時の写真や資料をたくさんいただいた。龍爪開拓団の関係跡地を訪ねる旅を企画するのに大変役立った。改めて感謝したい。


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