慟哭の大地9
「慟哭の大地」

9 頭道河子 その2

 8月9日、ソ連軍が参戦し、林口駅付近を空爆した。団本部に集合がかかり、自決か牡丹江方面に 逃げるか話し合われ、逃避行することに決定した。8月12日、老人、女性、子ども約1,000人の団員が、 約250台の馬車に荷物を載せて出発した。湿地地帯もあって、馬車を捨て、馬の背に実用的な物を残し、 進んだ。七星までは、線路沿いに歩いていた。8月13日、ソ連軍は虎頭方面から林口に侵攻したと 情報が入った。ソ連軍が何度も照明弾を撃ってきてきたので、頭道河子に向かった。 頭道河子の前には立ちはだかる牡丹江河が流れていた。その中に、母の小林静恵と軍治さん母子が 歩いていた。

 一本の八番線(鉄線)を頼りに、身重の母が、軍治さんを背負って渡った。それから約1ヶ月間、 山中を迷走した。「団長がキャランスキー製材所で団を解散し、自由行動」となったため、 逃避行は艱難辛苦を極めた。軍治さん(3歳)のお母さんは、山中で赤ちゃん(光静君)を出産した。 しかし、「赤ん坊を殺すか、軍ちゃんを殺すか」と同行の人につめよられたという。 乳も出ない中で、赤ちゃんに生きていける道はなかった。

 龍爪開拓団員は、岡山県関係者だけでも、13人の子ども中心に犠牲者を出した。

 『龍爪開拓団の足跡』の記録によると山中で、森本さん、近藤さん、平野さん、手島君、岡田君、 今岡君、そして高見英夫さんの弟や妹、高見(織田)エミ子さんの妹や弟など、多い兄弟姉妹の中でも 一番幼い方から亡くなっている。大人では、船越美智子さんの祖母の松さんや森本さんと 2人亡くなっている。

 9月半ば、「どうも様子がおかしい」「野たれ死にするよりはまし」と、ソ連軍の捕虜になる事を 覚悟で下山した。軍治さんは母と横道河子で捕虜となり、海林、拉古と収容所を転々とした。その後、無蓋列車で ハルビンへ送られた。花園小学校(収容所)で暮らしていたところ、召集解除された父と再会した。 ハルビンの日本人街で、飴や食べ物を売ったりして1年間暮らした。翌年引揚げたが、3歳以下の子どもが 帰国できたケースはまれであった。


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