慟哭の大地10
「慟哭の大地」

10  頭道河子 その3

 昭和20年8月9日の昼過ぎ、林口駅付近に空襲があった。急いで防空壕(地下野菜室)に逃げ込んだ。 「本部に集合せよ」との連絡を受けて、馬車に荷物を積んで集まった。そこでは、「自害するか、 牡丹江へ行くか」議論の末、後者を選択することが決まった。

 8月12日、高見きしのさんの家族は、本部を出発した。夜になるとソ連軍機が飛んできて、 照明弾を撃ち、パァーと一面が明るくなり、その都度畑に逃げた。七星手前で湿地地帯に入り、 牡丹江河に出た。「河を渡ったら食べようね、といっていた弁当が河に流れてしまった」ことを、 よく覚えているという。八番線(鉄線)を伝って渡る時、弁当は流れたのだ。そして、頭道河子を 過ぎてから、食糧難が深刻になってきた。

 母きしのが雪子(2歳)を背負った。君恵(13歳)が幸成(6ヶ月)を背負った。エミ子(7歳)、 弓子(4歳)は、手を引かれて歩いた。

 幸成君は、牡丹江河を渡る前に君恵さんの背中で冷たくなり、草の中に埋葬した。 食糧がないので、畑のジャガイモやトウモロコシを生でかじって飢えをしのいだという。 途中雨が降ってきた。きしのさんの乳も出なくなったし、次に雪子さんが栄養失調で亡くなった。 弓子さんは足が腫れ、生のトウモロコシを食べたら下痢が続き、日に日に弱っていった。 野宿していた時に息を引き取った。

 ソ連軍からの攻撃や地元農民の襲撃も受けなかった。しかし、激しい戦闘の後らしく、 日本の兵隊さんが河に流れ、また山中で手を合わせて亡くなっていたのも見たという。 谷川に日本兵が浮かんでいるのに、その河の水を飲んだ。日本兵とは出会ったり、離れたりした。 日本兵の中には、赤ん坊の泣き声が敵に知られると言って、殺すよう命じたこともあった。 ソ連機がやってきて、「日本は降伏した」というビラを落とした。しかし、ビラを誰も信じなかったが、 山の上からソ連軍の戦車が連なっているのを見て下山し、ソ連軍の捕虜となった。 龍爪開拓団員のエミ子さんのグループは200名ぐらいになっていた。お粗末な畜舎に入れられた。 その時、家族は母と君恵さんとエミ子さんの3人になっていた。


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