慟哭の大地14
「慟哭の大地」

15 瀋陽(奉天)の街から

 早朝の瀋陽の街を散歩した。私たちが宿泊したのは新世界酒店。1939(昭和14)年の「奉天市」の 地図がある。ホテルは、地図によれば、千代田通りに面した忠霊塔の向かいにあたる。ホテルの隣が 奉天図書館、道路を隔てて中央銀行がある。千代田通り(現中華路)を「奉天駅」に向かって歩く。 戦前は、日本人街といわれた青葉通り、道路を隔てれば、富士町、八幡町、琴平町、住吉町、春日町、 江島町、松島町、橋立町、宮島町と駅まで続く。東京駅によく似た「奉天駅」は、工事中だった。

 私たちは、次に浪速通り(現中山路)を歩いた。満州ホテル、満蒙百貨店、秋林百貨店、中央郵便局、 中央電報局など当時の建物をそのまま使っているものもある。高見(織田)エミ子さんや高見英夫さんも いた春日小学校跡を訪ねた。今はマンションや雑居ビルになっている。エミ子さんは、校門と思われる 場所に立って「何か胸に迫るものがある」と言った。当時は、体育館にゴロ寝の状態だった。 母高見きしのさんとエミ子さんは、このままでは発疹チフスや栄養失調で死んでしまうと思った。 中国人が経営する豆腐屋さんに住み込んで働いた。君恵さんは、知り合いで満鉄に勤務していた 重松三之助さん宅に寄宿した。

 春日小学校の側に、当時「奉天神社」があった。大広場(現中山広場)と呼ばれたロータリーに 奉天警察署、ヤマトホテル(現遼寧濱館)、東洋拓殖会社、興業銀行、三井物産のビルが建ち並んでいた。 満州医科大学、浪速高等女学校、加茂小学校、第一中学校など教育施設もそろっていた。 約2時間近い、早朝の散歩であった。

 前日に、九・一八歴史博物館、張作霖氏帥府、瀋陽故宮など歴史を学び、少しの観光を楽しんだ。 今朝は、「瀋陽(奉天)」の街を、「懐かしむ」だけでなく、日本帝国がなした「侵略の功罪」を検証する旅であった。

 瀋陽の街にきて、高見英夫さんの笑顔が素敵になった。義理の妹盧秀栄(ル・シュウヨン)さん、 次男の康男さんに会ってお墓参りができた。前に勤めていた職場の仲間にあって一緒に会食した。 その満面の笑顔を見ただけで、一緒に来て本当によかったと思った。


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