慟哭の大地24
「慟哭の大地」

24 大連・旅順の街 

旅順駅

 2007(平成19)年7月29日に、岡山空港から大連・北京の空路が開かれた。私たちは、大連―牡丹江行きの 飛行機便の時間もあって、今回は、韓国経由で大連に行った。周水子空港から、バスなら約1時間で旅順に 到着する。1999年から開放された旅順だが、軍港ということもあって、観光の制限は今でも厳しい。

 水師営会見場を見学した。ここは、ロシアが降伏した後、ロシアのステッセル将軍と乃木希典将軍が 会見した場所で、史料に基づいて復元した建物だった。次に、203高地(爾霊山)に行った。 高さ10mほどの砲弾型の慰霊塔がある。これは、日露戦没者を慰霊するため乃木将軍が使われた弾丸を 鋳造して、1913年つくったものだ。山頂からは、旅順港が一望できる。28榴弾砲の威力を実感できる。 ロシア側トーチカ(トーチカとは、砲撃などの爆風を避けながら軽機関銃などで応戦する陣地)も残っている。 石垣でつくられた溝のような中から、今でも銃口があいている。「乃木保典君戦死の地」という石の墓標が あった。乃木希典の次男である。旅順駅は、満鉄の出発点。緑色の瀟洒な駅舎は、ヨーロッパ風である。 その上の東鶏冠山の麓に白玉山塔(忠霊塔)が残っている。

 「アカシアの大連」といわれるように、街路樹は、アカシヤやプラタナスが連なっている。芝生が一面を 覆い、市内路面電車が走る。街の中には、ロシア人街、日本の満鉄の官舎跡があり、何度来ても、 又来たいと思う街である。

 私たちの今回の見学目的地は、旧満鉄本社と旧満鉄病院跡だった。私たちは、外から見学するだけで 実現できなかったが、今年の9月10日から一般公開が始まった。

 山陽新聞の9月9日付によると、「満鉄旧址陳列館」が元の本社社屋内に完成した。満鉄は、 1906年に設立され、翌年大連に本社が移った。今年で100年を迎えたのを機に、資料展示館や元の 満鉄総裁室を公開する。歴代の総裁の写真や、満鉄関連の写真を300枚以上パネルにし、当時の 東北地方統治の状況や人々の生活を紹介するコーナーがあるという。次回は、是非行ってみたいところである。

 中国人の現地ガイドさんが言った。「建物には、戦争の責任はありません。だから私たちは、保存し、 再利用します。」


旧満鉄本社跡

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