悲劇の大地11
「悲劇の大地」

「七台河市と佐渡開拓団跡」


佐渡開拓団跡

 七台河市は、哈爾濱から約四百キロ離れたロシア風の都市であった。炭坑の街で、少し郊外を走ると、道路のすぐそばにボタ山がある。人口約82万人の街である。七台河郊外は、梶田君子さんが約六ケ月お世話になった所である。梶田さんが、逃避行の末、ソ連軍に拿捕されて勃利の日本人収容所に入った。ここで、貢ちゃん(7ケ月)を失った。傷心の梶田さんは、七台河郊外の中国人農家に預けられた。梶田君子さんは、感想文の中でこう語っている。

 「そこの家族は6人家族でした。私は24歳でした。毎日同じ部屋で寝起きしま跡したが、言い争いも喧嘩もなく、私に対してやましい事も一度もありませんでした。

 今でも不思議に思っています。中国人の人間性でしょうか、国民性でしょうか。だから、中国人に預けられた残留孤児の日本人も大切に育てられ、大きくなったと思います。日本人には出来ないことです。21世紀に生きる若い日本人にお願いがあります。こうした歴史を知った上で、ゆったりした日本を築いてください」

 佐渡開拓団跡は、七台河市から約20分の所にあった。『大地の子』の一話に出てくる。ソ連軍の偵察機を打ち落としたため報復があり、ここでソ連軍の攻撃で九百五十名が死亡し、また集団自決で514名が亡くなった。大主上房開拓団員4名も死亡している。しかし、そこは今は碑も何もなくただの大豆畑であった。開拓民逃避行最大の悲劇の大地の現実を見せつけられた。


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