「悲劇の大地」 |
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勃利収容所跡での長男の法要を 行う梶田君子さん |
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目 次 | はじめに |
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「開拓団の足跡を尋ねる旅」実行委員会
文責 青 木 康 嘉
「はじめに」 |
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昭和9年以後、国や県の要請に応えて、岡山県の満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍の隊員は、 総数5500名を超える全国でも送出数ベストテンに入る方々が旧満州の地に送られました。 岡山県の満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍の隊員は、敗戦の玉音放送も知らず、 守ってくれると信じていた関東軍にも見放され、ソ連参戦後、艱難辛苦の末引き揚げてきました。 団員や義勇軍の多くが、攻撃を受けて死亡したり、集団自決をしたり、発疹チフスや栄養失調などの 病気で死亡しました。中でも、老人や女性や子どもたちが最も悲惨な逃避行になりました。
そこで私は戦後51年目を迎えるにあたって、大主上房開拓団の生存者を中心に、 「開拓団の足跡を尋ねる旅実行委員会」を結成して現地を訪ね、歴史の教訓を学びながら、 日中友好を図ろうと考えました。それは、これまでのような関係者が殉難者を祈念するだけの旅と いったものではありません。
この訪中団は、大主上房開拓団の団員をはじめ、他の開拓団員や満蒙開拓青少年義勇軍関係者、 地方行政関係者、教育関係者、学生、一般募集の希望者に幅広く参加してもらい、 満蒙開拓団の歴史や逃避行の艱難辛苦を学び、同時に日中友好を計ろうと企画したものです。 なお、この旅行にあたっては、岡山県をはじめ高梁市や上房郡(賀陽町・有漢町・北房町)などの 後援や協力をいただきました。この紙面を借りて、改めて感謝の意を表します。
岡山市日中友好協会会長 三 島 伯 之
宝山中学の女生徒と交流 |
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