悲劇の大地6
「悲劇の大地」

「革命烈士記念館と花園小学校跡」

花園小学校跡の建物

 哈爾濱駅から程近いところに、革命記念館と革命烈士記念館が隣接している。革命烈士記念館は、元の満州国警察署である。抗日中国人を捕まえては、七三一部隊へと送った歴史的な建物である。

 革命烈士記念館は、閉館していたが交渉して入館させてもらった。革命烈士とは、満州事変以後、民族統一戦線の抗日戦士である。ゲリラ戦の犠牲者も多くいて、その烈士の写真があり、説明がある。しかし、知った人物はいなかった。

 まず、趙一曼(1905〜36)をはじめ、楊靖宇(1905〜40)、趙尚志(1908〜42)、李兆麟(1910〜46)など、中国東北部で革命に参加し、殉国した烈士が展示されている。

 彼らは、街の通りや公園の名前として、哈爾濱の歴史に残っている。また、日本軍の毒ガス使用の特別展示もあった。

 夕刻、花園小学校跡を通った。現在は海軍の施設で、写真撮影禁止場所であった。

 花園小学校は、かっての日本人学校である。戦後、哈爾濱での日本人収容所となった。開拓団員、青少年義勇軍など在満日本人が満州全土から集まってきた。発疹チフスが大流行し、多くの犠牲者が出た。梶田君子さんに「どこにいたのですか」と聞いたら、「あそこ、あの二階です。建物は、昔のままです」といって、合掌した。大主上房開拓団員四名が、ここで死亡した。


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