悲劇の大地10
「悲劇の大地」

「加藤団長挨拶、教育基金の贈呈」

中日友好園林で植林

 ニイーハオ

 お忙しい時にもかかわりませず、私たち一行を、熱烈に歓迎をしていただきましたことを御礼申し上げます。

 まず、それに先立ちまして申し上げたいことがあります。それは、先の大戦において、日本が中国に対しまして「侵略」し、中国の人民に多大のご迷惑をおかけしたことを心から謝罪したいと思います。 さて、私たちの今回の旅行は「開拓団跡地を尋ねる旅」です。ご存じのように岡山県も、国策とはいえ約5500名の開拓団・青少年義勇軍を中国東北部に送り込みました。私が現在町長をしている上房郡有漢町にありましても、黒龍江省宝清県の大主上房開拓団に155名の団員を送り出しました。8月8日のソ連参戦後、大主上房開拓団の団員は、ソ連の攻撃を受け、また集団自決し、栄養失調・発疹チフスなどで、3分の2が死亡しました。そうした筆舌に尽くしがたい逃避行の中で、それまで侵略を受け屈辱を味わったはずの中国人が日本人に親切に接してくれたことは多くの生き残りの団員が証言する ところであります。また、死亡した日本人を弔ってくれたのも中国人の人々です。

 今回、私たちは大主上房開拓団の団員の殉難者祈念だけが目的の旅ではありません。開拓団員も青少年義勇軍の人も高齢化しました。加えて戦争体験は日本において風化しつつあります。そこで、今回の旅の目的は、開拓団員や青少年義勇軍の人の貴重な証言を聞きながらその「歴史の教訓」を学ぼうということです。そのため、若い学生も参加しています。第二に、より一層の日中友好の推進を計る目的を持ってきました。これからの日中友好の架け橋になるのは若者です。わずかですが、日本で募金を集めまして、中国の若者が勉強するための教育奨学金を持ってきました。これから中国の近代化と日中友好を担ってもらいたいと考えたからです。今後とも、より一層の日中友好と両国の平和を願って、挨拶に代えたいと思います。シェイシェイ。

1996年8月5日   

「開拓団跡地を尋ねる旅」

団長 加藤 孝之(有漢町町長)


中日友好園林前

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