悲劇の大地3
「悲劇の大地」

「岡山県と満蒙開拓青少年義勇軍」

 1937年の日中戦争勃発後、戦線は拡大し、多くの兵士が召集され始めた。開拓団員に代わって着目されたのが、青少年層であった。1938年「満蒙開拓青少年義勇軍募集要綱」を決めた。

 義勇軍は、満15〜18歳が対象年齢ではあるが、現実は尋常小学校(昭和16年以後は国民学校)高等科を卒業した生徒が対象である。そのため、教師が煽り、数を競うような形で動員された。教員が引率し、茨城県の内原訓練所で約3ヵ月訓練後、満州に送り出された。

 岡山県では、『岡山県史』によれば2703名、全国的にも第九位である。その内、死亡429名・未帰還者197名であるから、23%が、帰国していないことになる。

主な、義勇軍をあげると、西中隊(吉林省)近藤中隊(黒河省)・赤木中隊・大久保中隊(北安省)・村上中隊・ 藤森中隊(東安省)などが、約200名前後送りだされている。

 訓練所を卒業すると、義勇隊となって、引き続き残留した。


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