5 戦場のパラチブスA

 安慶本部では、2月の感冒に続き3月にはもっと深刻な病気が発生した。3月3日に食器消毒を 実施している。3月4日には、「チブス」予防第1回の注射をおこなっている。

 しかし、事は3月5日から始まった。『陣中日誌』から経過を追ってみたい。

 3月5日 「本隊ノ患者ノ検便井戸水ノ検査結果大腸菌ヲ発見セリ。生物ハ一切口ニセサルコト」
 3月6日 「今日迄患者検便結果ハ伝染病患者ナキモ身体衰弱セル隙ニ病菌侵入スル公算大ナルヲ以テ充分なる摂制ヲ怠ラサルコト」
 3月9日 「入院患者及練兵休患者ニパラチフス疑似症なる故を以テ一般ノ外出ヲ禁止スル」
      「在隊全員の採便を行ふ。検便は軍医部に依頼をなす。午後防疫部より宿舎大消毒を実施する」
      「小川(仮名)軍曹ほか十二名は岡本部隊に入院する」
 3月10日 「第百十六師団第四野戦病院より尾川(仮名)一等兵十六時四十五分病死 (病名不明)せる由通報有り」
 3月11日 「第四野戦病院入院中の下井一等兵死亡せる旨通知有り」
       「吉村(仮名)軍曹ほか七名入院す」
 3月13日 「村上部隊三十五名入院、岡本部隊二十三名入院、その他入院八名」
       「血液検査ノ結果『パラチフスA』ニ病名決定ス」
 3月15日 「隔離患者の採便、全員の採便、井戸水消毒、付近支那人の採便、全員の検温」
 3月17日 「健康者の健康診断『チブス』予防接種を行ふ」
 3月20日 「當隊西方飲食店ニチブス患者発生セリ市内ニ流行病続出ノ徴ナリ。地方飲食店ニテ食品購入ハ當分見合セルコト」

日時
昭和14年
パラチフス
患者数
3月3日2名
3月4日2名
3月7日2名
3月8日1名
3月9日12名
3月10日死者1名
3月11日7名
死者1名
3月13日5名
3月15日1名
3月18日8名
3月28日4名

 パラチフス(当時はチブスと呼んでいる)とは、何か。広辞苑によれば、「パラチフス菌 によっておこる急性消化器伝染病。症状は腸チフスに似るが、軽症で、多く2・3週間で 解熱し回復に向かう。A型はチフス菌に、B型は大腸菌に似る」とある。計44名が入 院し、2名の死傷者がでた。しかし、4月になると、退院してくる隊員も増えてくる。

 2月後半の感冒入院患者が、「パラチフスA」と後から追認されるケースもある。2月以 降の感冒による入院の増加に加え、3月にはパラチフスが伝染し、尾川・下田両1等兵と いう2名のパラチフス病死者が出た。食器消毒・井戸水消毒から各種予防注射、検便、検 温、血液検査、浴室のお湯を熱湯にしてから普通温度に戻す対策まで取っている。周囲の 中国人にも広がり、隊員の外出禁止処置、洗濯物依頼禁止、飲食店にて食料購入禁止と手 をうっている。

 3月9日からは、作業を全面的に中止している。吉村(仮名)曹長や小川(仮名)軍曹といった下士官が パラチフスAになってからは、3月18日に『陣中日誌』に「本部指揮班、下士官、助手全員 入院し事務渋滞す」とある。4月17日の『陣中日誌』に「分任官吉川軍曹去る三月十一日より 入院中なるため、経理業務渋滞し甚だ困難を感ず。特に年度末決算期を控えて処置なし。 部隊に経理官一人の編成は欠陥なり」とある。このような批判まで出てきた。安慶で作業が 再開されるのは、4月12日であった。



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