6 戦場の病気について

 感冒とパラチフスA(腸チフス・大腸菌)以外の病気について報告したい。

 1939年(昭和14年)の1月から4月にかけての病気一覧である。1月の性病は漢口でのこと である。しかし、漢口には第一分隊が残留したが、1月中旬以降の性病患者はいない。これは、 有名な軍人慰安所「積慶里」と「六合里」の軍管理がしっかりしてきたことを意味するのだろう。 日本人・朝鮮人・中国人慰安婦約300名が、軍医の管理の元で性病対策などなされたためと 思われる。

日 時
昭和14年
性病患者
1月7日軟性下疳
1月7日睾丸炎
1月13日淋毒性尿道炎
1月13日淋毒性尿道炎
1月13日淋毒性尿道炎
1月14日淋毒性尿道炎
7名
 痔 3名
 眼病 2名
 神経病・腸炎・咽頭炎
 腸炎・盲腸・外耳炎
 脱腸・頭痛

 80名の隊員は、外出許可があっても「全員元気旺盛志気益々振ひ任務達成に邁進す」と いう状態である。感冒・パラチフスAなどに悩む安慶とは別世界である。「加給品として酒・ 甘味品・煙草」などもよく届いている。ただ、「生野菜類の供給ができず乾燥野菜のみにて 飽くほかに記載事項なし。円滑なり」とある。前年秋に猛威を振るったマラリアも、漢口の冬の 寒さでハマダラカが活動してないためか、患者はでていない。

 彭澤分遣隊では、某一等兵が「疑似神経衰弱症」になっている。襲撃など一番厳しい戦況 の中でおこった戦時性のものと推察できる。

 大通分遣隊では、2名が野戦病院へ入院した以外、大病した者は見られない。昭和14年 この1月から4月の期間で、慰安所建設に関する記述は大通分遣隊で1カ所記述がある。

 史料に次のように書いてある。
 「三月八日、外兵は石谷部隊兵舎建築作業を続行す。兵舎建築材料として輸送せし用材中、 丈丸太五十本、二間丸太四十本並大分板三十坪は石谷部隊に於慰安所設営其他従来の宿舎補修 作業に使用したるため兵舎建築に支障をきたす窮策上伐採作業を止むなく実施す」と記述がある。

 この慰安所は、「兵站慰安所」と思われる。大通分遣隊員が通った形跡は ない。安慶本部の兵も、感冒とパラチフスA入院患者続出で、安慶にあった慰安所へ通って いる形跡は見られない。

 



目次へ戻る
次へ