11 蘇州へ

 1940(昭和15)年1月5日、「第十三軍隷下ニ入ラシメタル。隊ハ一月七日三時十四分発 二四○七号列車ニ依リ現在地出発中支ニ向ハントス」と命令が出た。翌日の天候が記述されて いるが「晴天、積雪六糎、気温七時零下十九度」とある。列車で、山海関を経由し、津浦線で 途中宿泊しながら、12日に南京下関に到着した。南京興中門部隊宿舎に一週間滞在した後、 蘇州への移動命令が出た。蘇州城外上塘街の宿舎に入った。部隊は、蘇州、泰興、南通、 口岸鎮、常州、無錫、揚州、高郵、心思庄鎮、鎮江などに分散して兵舎補修などの作業を している。このうち、2月9日に口岸鎮で「敵」の攻撃を受けた。この場合、「敵」が国民党軍 か八路軍かは不明である。続く、4月16日に心思庄鎮で、迫撃砲を受けている。いずれも、 応戦をしていて、渡部部隊に兵士に死傷者は出なかった。

 1940(昭和15)年5月31日付けで、第五師団第一建築輸卒隊に除隊命令が下った。 2年10ヶ月の兵役が終わった。『陣中日誌』は、5月31日が、最後で、帰国の様子は 書かれていない。



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