10 杭州での憲兵慰安所と花柳病

 第五師団第一建築輸卒隊には,「歩兵」のような生々しい戦闘記録はみられない。だから, 「輜重輸卒が兵隊ならば,蝶もトンボも鳥のうち」と揶揄されてきた。しかし,建築輸卒隊の 『陣中日誌』しか記述されない「記録」がある。ここに出てくる「憲兵慰安所」もその一つである。

 秦郁彦著の『慰安婦と戦場の性』では,杭州の軍専用慰安所は「日付が38年12月で,慰安所の 数は4ヵ所」となっている。資料の根拠として,『外務省警察史』や『在外本邦人職業別人口表』を 出典としている。しかし,これは第二次史料である。それに対して,この『陣中日誌』は 第一次史料である。こちらの方に「真実」がある。

 『陣中日誌』には,憲兵慰安所について1938年2月9日に最初の記述がある。

 「第一分隊第一班は近江班長指揮兵站部便所構築並兵站病院(吉原)前日作業続行病院周囲 鉄網張り憲兵慰安所の設備作業野戦病院材料積集」

 翌2月10日
 「憲兵慰安所前日作業続行便所完成。吉原病院前日作業続行周囲鉄條張り完成」

 憲兵慰安所については,杭州での記録はこの2ヵ所しかない。しかし,周囲を鉄條張りした ところへ,憲兵慰安所と吉原病院の建設をしている。慰安所は,民間の公娼的なものでなく, 憲兵が絡んだ軍の施設であったことを意味する。中での運営は民間の軍属(業者)かもしれないが, 「当時は公娼制度があった」「民間がやったこと」という言い逃れは出来ない。第一次史料による 「憲兵慰安所」の決定的な証拠となるものである。

 吉原病院の建築は,2月7日からはじまって3月5日まで毎日記述があり,3月5日完成となっている。 「吉原」という名前から来る推察だけでなく,「花柳病室」との記述もあるので,ここが性病を 対象にした病院であったことは間違いない。記述から見てみると「吉原病院二階大広間病室改造 間仕切続行」「将校用並患者用便所完成・炊事場浴場場作業続行」となっており,将校用の病室と 一般兵士の病室が分かれていた。

 憲兵慰安所と吉原病院はいつから開業したか。それを示す記述はない。しかし,4月上旬から 中旬と推測できる。

 渡部部隊は,3月29日に舎営地を西湖の面した小学校跡に設け移転した。前年の10月12日に 動員命令が出て以来,2月16日に陸軍輜重兵特務二等兵63名が陸軍輜重兵特務一等兵に昇進した。 4月18日には同じく108名が陸軍輜重兵特務一等兵に昇進した。軍隊という場所に慣れてきた。 外出するのにも季節がよくなってきた。

 1月から8月4日までの杭州駐在期間中にかけて渡部部隊から18名兵士が「急性淋毒性尿道炎」 にかかっている。表にしてみた。(兵士の名前は人権上イニシャルにした)

日付兵士(姓)病名外出
4月24日S「急性淋毒性尿道炎」4/19
4月25日K「急性淋毒性尿道炎」4/19
5月3日M「急性尿道炎右慢性睾丸炎」4/29
5月3日K「急性淋毒性尿道炎」4/29
5月3日S「急性淋毒性尿道炎」4/29
5月8日N「急性淋毒性尿道炎」4/29
5月11日K「急性淋毒性尿道炎右慢性睾丸炎」5/9
5月28日O「急性淋毒性尿道炎」5/27
7月1日K「急性淋毒性尿道炎」6/24
107月6日M「急性淋毒性尿道炎」7/1
117月10日K「急性淋毒性尿道炎」7/8
127月12日I「急性淋毒性尿道炎」7/8
137月16日M「急性淋毒性尿道炎」7/11
147月18日T「急性淋毒性尿道炎」7/17
157月23日M「急性淋毒性尿道炎」7/17
167月23日Y「急性淋毒性尿道炎」7/17
177月27日A「急性淋毒性尿道炎」7/24
188月3日K「急性淋毒性尿道炎」(上海にて)7/31

 以上の表から何がわかるか分析したい。

 ・「憲兵慰安所」の記述は,2月9日と2月10日の2ヵ所ある。(他に漢口にあり)

 ・「中食午後個人散歩を許可午後五時半迄外出を許す」と外出が許可された記述がある日の 後に必ず性病が発生している。

 ・兵士は,第一野戦病院(杭州)に入院後,病状の重いものは南市(上海)の第一兵站病院に 転院している。3週間ぐらいで退院している場合もある。

 ・5月2日「同夕點呼時近時花柳病激増する傾向にあり兵一同の注意を促す」とある。
 これは,性病が第一建築輸卒隊の兵士だけでなく,他の隊の兵士も激増したことを伺わせる。

 ・6月に性病がないのは,6月1日に軍用貨物自動車事故があり,第一建築輸卒隊の隊員3名即死, 重傷18名,軽傷26名という大惨事がおきたためと思われる。

 ・軍隊という理不尽さは,隊員たちで「憲兵慰安所」を建築しておいて,隊員が利用し, そして性病にかかる。18名という数字は,背後に多くの隊員が利用し,自分だけは大丈夫だろうと 思っていたが,結果的に性病になった数と理解できる。だから,戦友が性病にかかってもかかっても, 懲りずに利用したものと考えられる。



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