強制連行の「法的」根拠

 アジア・太平洋戦争が押し詰まって,戦地に徴兵される兵隊に変わって,軍需工場は労働力が不足した。1938年「国家総動員法」,1939年「国民徴用令」を始め,一般の職員・学徒動員・女子挺身隊・受刑者・少年院の子といったすべての日本人を結集したことはもちろん,植民地であった朝鮮においても根こそぎ労働力を集めた。協和隊は,前述したように徴兵にかからない21〜23歳の若者を「国民徴用令」に基づき1944年9月と10月に約3500名徴用したものである。玉野造船少年隊は1945年4月に徴用されたが,その「法的」根拠なるものは何か。一般に朝鮮人の強制連行は,「募集」方式・「官斡旋」方式・「徴用」方式と3つに分類することができる。

 歴史的な経緯を表にしたら,次のようになる。

1938年4月1日    国家総動員法公布     同5月5日施行

1939年7月8日    国民徴用令(勅令)公布  同7月15日施行

1939年〜1941年 「募集」方式の「労務動員計画」

1940年        「朝鮮職業紹介所」令公布 6ヵ所設置 「国民労務手帳法」適用

1940年10月16日   国民徴用令改正

1941年12月     「国民勤労報国協力令」

1942年〜1943年  「官斡旋」形式の「勤労報国隊」

1943年7月20日   勅令600号 国民徴用令改正1943年9月30日  朝鮮総督府令第305号 国民徴用令施行規則改正1944年8月    「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定

1944年8月28日  訓示 臨時道知事会議 総督訓示

1944年〜1945年 「徴用」方式

1944年9月      「国民徴用令」改正による「一般徴用」発令


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