「緑の大地」1
「緑の大地」

「はじめに」

方正の日本人公墓で

「緑の大地」―中国残留日本人孤児の足跡を訪ねてー

 8月6日から12日まで、中国残留日本人孤児の高杉久治さん(63)=岡山市、国家賠償請求訴訟 原告団長や弁護団、支える会のメンバーと旧満州(中国東北部)の開拓団跡地や日本人公墓や養父母の 墓などを訪ねました。戦後60年を機に、孤児たちの過酷な運命の歴史を現地に訪ね、日中友好を はかる旅をしました。

 山陽新聞夕刊に連載した記事を中心に、旅行記や満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍の解説や 参加者の感想文でこの冊子を作りました。この旅の団長を務めていただいた奥津亘弁護士の感想文を もって、巻頭の挨拶とさせてもらいます。

     岡山県立岡山大安寺高等学校教諭 青木康嘉

 

 私が今回の訪中旅行に参加した目的の一つは、「中国残留孤児」国家賠償請求訴訟の原告の 人達のかつての流浪と生活の地をこの目で見るということでした。

 8月の三江の地は、緑豊かで地平線まで広がる大穀倉地帯で、今この目で見る限りでは実に 魅力あふれる大地でした。

 開拓団の人達も、もとより国をあげての奨励や社会的経済的家庭的要因により、この地に 赴こうと決定されたのであろうが、それと共にこの広大な大平原で生きることの期待と夢が心を強く 突き動かしたであろうと思います。

 私が、もし、あの時代に若くして生きていたとすれば、私もまた新しい大地に新しい楽土を 築くというスローガンを容易に信じ込み、希望に燃えただろうと思います。

 この地は、そうした思いを抱かせるに十分な舞台装置を備えています。

 しかし、大自然の魅力とは別に開拓団の果たした役割は、歴史的には日本の中国侵略の重要な 戦略的位置を占めていたことは否定しようがないことです。瀋陽市の「九・一八歴史博物館」では、 中国領土の侵奪の手段としての開拓団を位置づけています。

 このことをどう考えていくか、これも残留孤児の訴訟の課題の一つです。

 ともあれ、残留孤児の人達が、親や肉親と離れて一人残され、幸いにも中国の養親に育てられ、 人生の大半を過ごしてこられたこの地は、様々な苦労や辛苦あるいは一部には迫害があったとしても、 このことは別のこととして豊かな魅力に満ちています。残留孤児の人達は「中国はふるさと、 日本は祖国」といわれます。

 今回の旅は、この言葉の意味をもう一度深く考えてみる必要があると切実に思いました。                  

     「岡山県の開拓団跡を訪ねる日中友好の旅」  団長  奥津亘弁護士


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