「緑の大地」 |
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佳木斯(チャムス)の夕陽 |
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佳木斯の夕陽 |
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佳木斯は、整然と区画されたロシア風の街のようであった。北緯47度、私たちが行った最北端の 街である。サハリン(樺太)の州都ユジノサハリンスク(豊原)と同緯度である。窓は、すべて二重に なっている。佳木斯は、岡山と「縁」がある。
『歩兵第十連隊史』によると、1937(昭和12)年の盧溝橋事件以来日中戦争に参戦していた。 1939(昭和14)年帰還し、翌年佳木斯へ移駐した。
「8月20日佳木斯に着き、佳木斯東南方約4キロの陸家崗兵舎に入った。兵舎の周囲には民家も なく一面大豆または高梁畑で殺風景な風景であった。師団司令部は佳木斯東方1キロの南崗にあり、 将校宿舎も同地にあって、将校は毎日南崗より陸家崗兵舎まで約3キロを通勤したものである。 かくして昭和19年4月比島に派遣されるまで3年8箇月連隊はこの地にあった」
精鋭関東軍は、この時点で南方に移動し、ソ満国境にいた開拓団や義勇軍を見捨てた。ソ連参戦の時には、不十分な武器で「根こそぎ動員」された訓練されていない開拓団出身 の即席軍隊ではなすすべがなかった。
佳木斯は方正からさらに東に170キロある。途中松花江から分かれる牡丹江が流れる依蘭 (イラン)のドライブインで休んだ。高杉久治さんが、「依蘭の近くまで出張で来たことがあります」 と話してくれた。佳木斯の農墾ホテルでは、奥さんの妹さん家族が待っていた。親族と6年ぶりに 再会したときの高杉さんの笑顔は心に刻まれた。
農墾ホテルの11階からは、松花江方面にゆっくり落ちる夕陽が見えた。日本では見られない赤く 大きな夕陽だった。