「緑の大地」11
「緑の大地」

緑の大地 その4 ― 養父母墓参り ―

養母の葬儀

 墓参り ― 養父母の墓参り ―

 大豆畑の畦道から草むらをかき分けた所に土饅頭型をした墓地が数10基あった。

 2年前に養母芦恵新さん(79)が心臓病で急死した。義弟や義妹は、高杉さんに悲しみを 与えないように2ヶ月連絡を遅らせたと言う。

 この度、高杉久治さんの帰国に際して、もう一度お墓の前で中国式の葬儀がおこなわれた。 祭壇に果物が盛られ、紙銭や金の袋が焼かれる中で、大きな赤い線香が焚かれた。喪主の高杉さんが 大きな声で泣いた。

 大呉家村は、張家屯村から約6キロ西にある小さな集落だった。高杉さんは、最初芦日新さんに 張家屯で拾われた。しかし、奥さんが反対したので子どものいなかった妹夫妻艾景堂さんと芦恵新さんに 預けられた。高杉さんは、「艾樹章」と名付けられて育った。

 大呉家村小学校へ行かせてもらった。小学校では「日本鬼子(リーベンクイズ)」といじめられたが、 両親はいつもかばってくれたと言う。

 1956(昭和31)年、養父が亡くなった。養母芦恵新さんは、李生財さんと再婚した。その後義弟と 義妹2人が生まれた。農業を手伝っていた艾樹章(高杉)さんを、義父は林業の専門学校へも行かせて くれた。

 お墓には、養父母が眠っている。あとで、高杉さんに何と言って拝んでいたのですかと聞いた。

 「お母さんは心優しかった。これまで育ててくれてありがとう。葬式の時、来ることができず すみませんでした。今日ここにお墓参りすることができました」

 澄み切った「北満」の青い空に爆竹がバンバンバンバンと鳴り響いた。

(山陽新聞夕刊8月22日付掲載)

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