「緑の大地」13
「緑の大地」

龍爪開拓団

龍爪開拓団部落配置図

 龍爪(りゅうそう)開拓団は、佳木斯(チャムス)と牡丹江(ぼたんこう)の間で、ロシア (ソ満国境)に向かう虎頭へとつながる鉄道が連結している林口(りんこう)駅から一つ南に位置する 駅(現在はない)付近にあった。当時の地名で言えば、東安省林口県龍爪郷である。標高500mの龍爪 溝嶺東側の緩傾斜地帯で「龍爪河」が近くを流れていた。

 1937(昭和12)年の第6次開拓団である。翌年本隊が入植した。拓務省の技師が軍の飛行機で 調査し、良い土地と牧場に適しているとしてこの地を選んだ。龍爪開拓団(団長和田章蔵)には、 『満州開拓史』によれば、300戸1066人が入植していた。山形・近畿各県・中国地方14府県出身者で 構成されている村で、開拓団本部(村役場)・国民学校・東亜緬羊牧場・畜産学校・種鶏場・加工場 ・国立種馬場・龍爪神社・青年塾・女塾などがあった。岡山県人は、龍爪駅近くの日の出郷・春日郷 ・上岡山郷と林口駅近くの八幡郷に居住していた。『岡山県史』によれば、岡山県出身者は132人いた。 1戸あたり、水田・畑を合わせて、12町歩6反の土地配分を受けている。1945(昭和20)年5月から 112人の男性が現地召集を受けた。いわゆる「根こそぎ動員」である。

 龍爪開拓団出身者には、高見英夫さん、今岡泰子さん、小林軍治さんらの家族がいた。

 8月9日ソ連が参戦し、林口の街へ連日空襲が始まった。8月12日、老人、女性、子ども約1000人の 団員が、300台の馬車に荷物を載せて出発した。途中、湿地地帯で馬車は捨て、楚山から一路牡丹江を めざした。七星までは、線路沿いに歩いていた。

 8月13日、ソ連軍は虎頭方面から林口に侵攻してきた。林口と牡丹江の中間に差し掛かる仙洞で、 ソ連軍が侵攻してきたので、山中へ逃げた。それから約1ヶ月間、山中を迷走した。「団長が中途で 団を解散し、自由行動」となったため、逃避行は艱難辛苦のものとなった。小林軍治さん(3歳)の お母さんは、山中で赤ちゃんを産んだ。しかし、「赤ん坊を殺すか、軍ちゃんを殺すか」と同行の 人につめよられたという。高見さん(7歳)の母親は、連れて行くことができなくなって泣く泣く妹と 弟を山中で置き去りにした。しかし2〜3日後迷走して又同じ場所に戻ったら、狼に食べられていたという。

 9月末、「どうも様子がおかしい」と捕虜になる事を覚悟で下山した。9月から10月にかけて 横道河子収容所、拉古収容所と転々とした。そこでは、ソ連兵による日本人女性への陵辱事件も 相次いだ。最後に無蓋列車に乗ってハルビンの花園小学校跡に収容された。そこがまた第二の悲劇を 生んだ。発疹チフスや栄養失調など次々に日本人が死亡した。

 『龍爪開拓団引揚者調査』の記録によれば、龍爪開拓団の帰還者481人、死亡者数482人、 未引揚者105人とある。生還率は約40%である。女性と子どもが一番の被害者だったことは 言うまでもない。


龍爪開拓団避難経路図

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