「緑の大地」16
「緑の大地」

ハルビンと七三一部隊跡

731部隊本部跡展示館

 ハルビンの中央大街(キタイスカヤ)から約20キロ地点に平房地区がある。ツアーガイド(通訳)の 李華濱さんも、運転手さんも久しぶりの訪問で「侵華日軍第七三一部隊遺跡」の場所がわからなかった。 私自身6年前に訪問している。三度目の訪問だったが、その平房地区の「変化」に驚いた。ハルビン 平房地区は、きれいに区画整理され「薬品工場」や「食品工場」街が続き、フェンスの向こうの きれいな工場と緑の芝生が美しい。

 侵華日軍第731部隊遺跡に入って、さらに驚いた。3年前まであった罪証陳列館は閉鎖されていた。 本部跡全体が展示・陳列館になっていた。展示・陳列も、以前のような蝋人形で手術しているような 生々しさは姿を消していた。あくまでも実証的に、写真と資料とデータを具体的に展示し、生々しい 展示は細い隙間から見るようになっていた。

 抗日活動をした者約3000人を「マルタ」と称して生体実験で死亡させた。ここでは、生体手術、 ペスト・コレラ菌の生体実験、凍傷実験、中国各地での細菌戦などが展示されている。8月13日に 爆破して逃げ、アメリカに資料を受け渡し、お金をもらって石井四郎部隊長は罪を逃れた。 その反面、今でも罪に苦しみ、罪状を告白し、謝罪する日本人憲兵や少年兵士の展示が続く。 パネル説明も、中国語・英語・日本語で書かれていた。私たちのために係員が日本語で説明して くれた。その姿勢は、敵対的ではなかった。むしろ、日本人こそ見てほしいという感じがする。 しかし、周囲にいた中国人の目はそうでない。口に出して何か言うわけでないが、視線が痛いと 感じたのは私だけでない。

 謝罪する元憲兵の三尾豊の写真を見て、荒武俊子さんがショックを受けた。友人の父だった。 そのときの様子は感想文を読んでほしい。少しだけ、憲兵三尾豊さんについて説明しておこう。 『戦争と罪責』野田正彰著(岩波書店)によれば、三尾さんは、1913(大正2)年岐阜県恵那郡で 5反百姓の次男として生まれた。岐阜68連隊に徴兵され、牡丹江に駐屯した。職業軍人になろうとし、 難関の憲兵試験に合格した。チチハル・牡丹江憲兵隊をへて、大連憲兵隊に配属になった。 1943年ソ連の無電諜者を検挙した。三尾さんは、検挙班の班長だった。捕まえた中国人を「特移扱」 =「マルタ」とし、731部隊へ送った。

 戦後三尾さんは、反戦平和を訴えてきた。自分の罪状を国家のせいにせず、「自分の功名心」 「点数稼ぎ」のためにした拷問の数々を告白した。93年「マルタ」として犠牲になった人の妻と 731部隊展で同席し、「憲兵よ、私の夫を返せ」といわれた。三尾さんは、心の片隅にそれまで 「言い訳」をもっていた。「おれは大したことはしてない」しかし、このとき以来、「死ぬまで遺族の 思いを聴き、自分が何をしたのか考え続けよう」と考えた。

 本部跡展示室の外へ出て、さらに驚いた。「ロ号棟」跡は、すっかりなくなり、パネル展示 のみで一帯は公園のようになっていた。ボイラー跡は、夏草に覆われながら青い空を背景に そびえていた。731部隊が敷設した引き込み線が今でも利用されている。その線路を通るブルーの 貨物列車が、ゆっくりと走りながら「プアーン」と汽笛を鳴らした。

 何度来ても、ここには胸を引き締められるような思いがする響きがあった。


731部隊のパネル説明

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