悲劇の青春11
「悲劇の青春」

延吉の陸軍病院跡

父の慰霊をする立石直美さん(右側)

 フルハト河を渡る延吉橋から約5キロも離れていない所に、223医院があった。元の陸軍病院跡である。捕虜収容所跡地からも、遠く離れていない距離である。

 総社市に在住の立石直美さん(59歳)から、今回の「悲劇の青春を訪ねる旅」の応募があったのは5月のことだった。

 「延吉は、父が亡くなったと思われる場所です。そこへ行ける旅行企画との事、ぜひ参加して慰霊をしたい」という申し出だった。

 5月の第1回の学習会を兼ねた結団式の折、立石さんから『ぼくは内地に帰りたい』(手帖舎発行)を頂いた。

 立石さんの母である神野茂子さんの北朝鮮・羅南からの引き揚げ50年目の記録が書かれている。茂子さんが、直美さんを含む3人の子を艱難辛苦の逃避行の末、引き揚げを為し遂げる感動的な話である。

 立石さんの父である神野富美男は、北朝鮮の羅南小学校に勤務していた。富美男は、食糧不足の中で結核を発病していた。昭和20年8月10日に、現地召集の赤紙が来た。富美男36歳の時である。その夜、羅南小の運動場に集合。7455部隊に配属し、8月13日から19日まで戦い、武装解除している。8月23日に北朝鮮の古茂山収容所に入り、食糧不足から下痢となり、体が衰弱した。その後、延吉の陸軍病院に送還され、そこで亡くなったと思われる。

 立石直美さんは、しめやかに父の慰霊をした。その後、広い223医院を1周り歩いた。病院の東側に赤煉瓦の塀があった。その手前を家庭菜園のようにトウモロコシを植えたり、各種の野菜が乱雑に植えてあった。

 「このあたりは、今でも人骨が出てきたり、火の玉が出てくることで、地元では有名なんですよ」と、地元ガイドの文鉄軍さんが言う。

 藤島武明さんが、思い出した。

 「ここが、陸軍病院だったら、このあたりは当時戦車壕を掘っていたはずじゃ。前方が45度、片方の掘下げは垂直にして、深さ2メ−トル、幅4メ−トルの戦車の落とし穴を造るんじゃ。ソ連の参戦に備えて各地で掘ったもんじゃ。戦後になって、不要になった戦車壕に陸軍病院で亡くなった人を埋めとったんじゃと思う。人骨が出ても、火の玉が出てもまったく不思議じゃあない」

 その話を聞いて、目頭が熱くなった立石さんは再び黙祷をした。 


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