悲劇の青春12
「悲劇の青春」

延辺第一聾唖学校との交流

延辺第一聾唖学校との交流

 延吉から、図們までは約50キロある。車で1時間半かかった。現在高速道路建設予定だった。55年前、村上中隊は、朝鮮の羅津から、図們経由で勃利へ向かった。

 図們は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と中国の国境の街である。図們江は川幅が狭く、図們大橋のゲ−トの上から、対岸の北朝鮮の街や人が肉眼で見える。図們大橋を警備している兵隊がいる。堂々と歩いて渡っている人も見た。図們江公園では、物乞いをする子どもがいた。北朝鮮から渡ってきた私生児だそうだ。最近そうした子が増えている。

 図們で名物の冷麺を食べた後、我々は、交流のため延辺第一聾唖学校へ行った。延吉の郊外にあった。中国の障害者教育や福祉は、まだまだ理解が遅れている。この学校は、朝鮮族系で、吉林省では模範的な学校と聞いた。ここで、教育基金の贈呈とサッカ−ボ−ルなどを寄贈した。そこでの挨拶を一部紹介する。

 「ニイ−ハオ、お忙しい時にもかかわりませず、私たち一行を、熱烈に歓迎をしていただきましたことを御礼申し上げます。

 まずは、中国が、今年建国50周年を迎えられたことをお祝い申し上げます。日中国交回復より、27年。日中平和友好条約締結21年をへて、両国は益々交流が深まっています。そこで、それに先立ちまして申し上げたいことがあります。それは、先の大戦において、日本が中国に対しまして侵略し、中国の人民に多大のご迷惑をおかけしたことを心から謝罪したいと思います。

 さて、私たちの今回の旅行は「悲劇の青春を訪ねる旅」です。ご存じのように岡山県も、国策とはいえ2703名の満蒙開拓青少年義勇軍を中国東北部に送り込みました。国民学校高等科を卒業したばかりの14歳の少年にとってそれは、歴史的意味のわからぬ状態での参加でした。(中略)

 今回、私たちは村上中隊の隊員の殉難者祈念だけが目的の旅ではありません。村上中隊の隊員も高齢化しました。加えて戦争体験は日本において風化しつつあります。

 そこで、今回の旅の目的は、まず第1に満蒙開拓青少年義勇軍の貴重な体験や証言を後世の「歴史の教訓」として学ぼうという姿勢です。そのため、岡山県の教員や一般の人も参加しています。

 第2に、より一層の日中友好の推進をはかる目的を持ってきました。これからの日中友好の架け橋になるのは若者です。わずかですが、日本で募金を集めまして、中国の若者が勉強するための教育基金や教育器具を持ってきました。これから中国の近代化と日中友好を担ってもらいたいと考えたからです。今後とも、より一層の日中友好と両国の平和を願いまして、挨拶に代えたいと思います。謝謝」1999年8月2日

 「悲劇の青春を訪ねる旅」団長小椋暢昭 


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