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御次留書帳 |
1御次留書帳(北家日記)
南部氏の重臣であった北松齊(御家断絶前北家)三男直継に始まる後北家の公用日記で、正徳三年から明治三年迄(欠本有り)御触・知行地その他雑事を記し、59巻約3万9千頁に及ぶもので、花巻市指定文化財とされ、原本は花巻市立花巻図書館にマイクロフイルムと共に保存されてある。
この外秋田県鹿角市に御次留書として7年分あるが、花巻市の御次留書帳とは重複していない。
花巻の殿様北松斎は、慶長18年8月17日(1613)花巻城にて死亡91歳或いは93歳と南部藩参考諸家系図にあります。平成24年(2012)は400回忌になります。 御次留書帳第16巻文化9年(1812)には200回忌の記事がありますのでその模様を掲載してみました。8月17日を中心に御覧下さい。
その他御次留書帳第54巻文久2年(1862)と同別帳2には250回忌、同別帳1には宝暦12年(1762)には150回忌の記事があります。(文責中村次男)
文化九壬申歳正月元日
如御家例御家中より差上候目録、御家老谷地治方披露之
御表様為年頭御礼辰ノ上剋御登 城被遊
御供 上下 大川原 定 賀
同 湯 川 四郎次
平服 安 田 栄 蔵
浅 井 寅 太
御草り取 壱 人
三器御道具 三 人
合羽箱 二 荷
三 人
押 壱 人
御下城直々内丸御廻勤、八時過かゝの辺御廻勤被遊、御供前之
通
御駕籠 六 人
御箱 壱 人
合羽籠 一 荷
押
弥六郎様江御取遣之目録左之通
御肴 一折
御樽 一荷
以上
右は御継合
覚
一 御さかな 一おり
一 御たる 一か
御惣容様江 監物様御手廻様より
一 御肴 一おり
冨様江 奥様より
正月元日
覚
一 御さかな 一おり
一 御たる 一か
嶺松院様江 監物様御手廻様より
正月元日
御使者 小山田 里 治
一 今日御嘉例之通於中ノ御居間御流頂戴之人数
御年男 谷 地 澄 太
安 田 喜之進
小山田 萬
高坂 才右衛門
尾形 射右衛門
守 田 七 郎
大川原 定 賀
工 藤 弥太郎
晴山 直右衛門
湯 川 四郎次
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
小山田 里 治
大川原 叶
浅 井 寅 太
病気 浅 井 養 元
同断 三 輪 三 帝
倉 沢 善 次
田館 庄右衛門
倉 沢 清 治
御年 谷 地 澄 太
御酌 谷 地 澄 太
御酌代 小山田 里 治
御加 浅 井 寅 太
御肴 安 田 栄 蔵
右代合
御肴 大川原 定 賀
御加 工 藤 弥太郎
二日
御表様四時外ヶ輪御廻勤被遊
御供 大川原 定 賀
湯 川 四郎次
安 田 栄 蔵
諏 訪 良 蔵
浅 井 寅 太
御草り取 壱 人
御箱 壱 人
御駕籠 六 人
合羽籠 二 荷
三 人
三日
御表様四時外ヶ輪御廻勤被遊
御供 上下 湯 川 四郎次
同断 小山田 里 治
平服 晴山 直右衛門
同 大川原 叶
同 浅 井 寅 太
御草り取 壱 人
御駕籠 六 人
御箱 壱 人
合羽籠 三 荷
三 人
一 風烈来六時
四日
御表様四時かゝの下小路御寺院方御廻勤
御供 上下 大川原 定 賀
同 安 田 栄 蔵
羽織 諏 訪 良 蔵
同 小山田 里 治
同 大川原 叶
御駕籠 六 人
御箱 壱 人
合羽籠 二 荷
三 人
五日
御表様四時過御寺方御廻勤
御供 大川原 定 賀
湯 川 四郎次
諏 訪 良 蔵
大川原 叶
浅 井 寅 太
御草り取 壱 人
御駕籠 六 人
御箱 壱 人
合羽籠 二 荷
三 人
一 今夜五時過風烈来
六日
青田打来
一 弐百文・米弐升・かゝみ餅弐枚・肴一折被下、例之通御手酒被 下
七日
一 如御吉例今晩於御表御謡初御礼被為 請人数左之通
御年始 谷 地 澄 太
御年声継 尾形 射右衛門
御年声継 守 田 七 郎
御肴代 大川原 定 賀
御刀代 工 藤 弥太郎
御家老給仕 晴山 直右衛門
御加代 湯 川 四郎次
御刀 諏 訪 良 蔵
御肴 安 田 栄 蔵
御年加 小山田 里 治
高 坂 八十吉
御家老給仕 大川原 叶
御加 浅 井 寅 太
浅 井 養 元
三 輪 三 帝
御料理 病気 倉 沢 善 治
同 病気 田館 庄右衛門
同 病気 倉 沢 清 治
御年男納 谷 地 澄 太
傀儡師罷出
一 弐百文・米弐升・鏡餅弐枚・肴壱折被下、例之通御酒被下、弐 升
八日
奥様 於勝様 御子様方、新御屋敷江年頭御祝詞として御出被
遊、皆様御歩行
御供 上下 尾形 射右衛門
平服 晴山 直右衛門
同 安 田 栄 蔵
同 工 藤 弥太郎
同 諏 訪 良 蔵
同 大川原 叶
御草り取 弐 人
女中供 壱 人
押 壱 人
御肴 すい 一折 監物内より
御肴 すい 一折 勝より
御菓子 まんちう・まきせんべい 二重
御肴 赤弐 一折 御役人江
御肴 赤弐 一折 御老女江
御菓子 甲焼 二重 惣御女中江
右は御出前女中御使ニて被遣
九日
奥様 於勝様 御子様方、弥六郎様江年頭為御祝詞御出被遊
御供 上下 尾形 射右衛門
羽織 工 藤 弥太郎
同 晴山 直右衛門
同 安 田 栄 蔵
同 諏 訪 良 蔵
同 大川原 叶
御草り取 弐 人
御駕籠 四 人
御箱 壱 人
御箱 壱 人
女中供 壱 人
押 壱 人
御肴 すい 一折
御樽 一荷
弥六郎様御夫婦様江
御肴 すい 一折
御樽 一荷
御菓子 まんちう・まきせんべい二重 御惣容様江
御肴 すい 一折 御惣容様江 於勝様より
御肴 赤弐 一折 御老女江
御肴 赤弐 一折 御役人江
御菓子 甲焼 二重 惣御女中江
右は御出前女中御使ニて被遣
御表様、弥六郎様江暮頃御出被遊
御供 大川原 定 賀
小山田 里 治
浅 井 寅 太
御草り取
御箱
御肴 大すい一折
右は下斗米小田郎殿、御弓御稽古初ニ付被遣
御使者 大川原 定 賀
十日
御表様、七ツ時過弥六郎様江御出被遊
御供 晴山 直右衛門
浅 井 寅 太
御草り取
十一日
萬歳来ル
肴一折・米弐升・銭弐百文・鏡餅弐枚・御酒弐升被下、御好有
之
十二日
御肴 すい 一折
右は村角軍助殿御稽古初ニ付、御祝被遣
御使者 晴山 直右衛門
奥様 御子様方、弥六郎様江御出被遊
御供 尾形 射右衛門
晴山 直右衛門
小山田 里 治
浅 井 寅 太
大川原 定 賀
工 藤 弥太郎
御草り取 弐 人
女中供 壱 人
押 壱 人
為御持物 こつり焼 一重
巻せんへい 一重
十三日
田植来ル
米弐升かゝみ餅弐枚
一 渕 沢 六 郎
工 藤 忠 見
勤番ニ付、今日相詰
十四日
一 晴山 直右衛門
勤番相済、今日出立
一 今五時風烈来
今晩御献立
御五寸かれい 御汁 小かふ・としきのこ
御香物 御飯
御台引
一 さけ・たなこ・するめ
御猪口ニて納豆
御重組
一 よろい
一 かつのこ
一 こぶに
御香物小砂鉢
一 あさつけ
一 ミそつけ
十五日朝
御五寸かと 御汁 こもくとふ・きのこ・小鳥ないし
御香物 御飯
御台引
一 小かれい
塩引
するめ
御重組
一 よろい
一 かつのこ
一 こふ煮
御砂鉢
一 御香物
一 今日 大湯飛脚着
一 君成田 泰 助
常勤被 仰付、二日相詰
十六日
一 御肴すい一折佐羽内勇蔵殿へ稽古初ニ付、御祝被遣
十七日
御表様、暮頃より新御屋敷江被遊御出
御供 工 藤 忠 見
浅 井 寅 太
御草り取
御帰殿夜九時過キ
十八日
一 守 田 七 郎
勤番相済今日罷帰ル、飛脚弐人出立
御表様、南彦八郎様江被遊御出
御供 工 藤 忠 見
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御草り取
御箱
十九日
御表様、八時過永福寺江被遊御出
御供 渕 沢 六 郎
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御草り取
御駕
一 三 郷 清 蔵
伯父病死ニ付、忌懸り之義当番御用人迄申出候処、早速御免之
旨申渡
廿日
一 例年御目出廿一日御祝被成候処、当年より廿日御直シ被成候旨 被 仰出
廿一日
口上之覚
私嫡孫専蔵、初て之御礼以御序申上度奉願上候、以上
正月廿一日 晴山 幸右衛門
右願之通被 仰出之旨申遣ス
廿二日
一 御菓子 いちこ餅百五ツ入 壱箱
右は鹿嶋屋与惣右衛門、於上方病死之旨為知上候付、□□□□
□□江被下置
廿三日
今朝大里治六郎参申聞候、御山林方赤石喜左衛門より御懸合申
度儀御座候ニ付、御役人之内罷出候様申来ル、依之、御城使大
川原定賀差出候処、喜左衛門申聞候は御内々得御意候、鹿角大
湯ニて紺屋あくを焼、他領江売買致候由相聞得候、相尋候処御
役銭差上焼候趣故、御屋敷切上納為御焼申候哉、右御趣意之処
御内々御尋申セとの御勘定頭中被仰候由、定賀答候は比日屋敷
江罷出候間不案内ニ御座候、罷下内談仕候て、猶、罷出可申上
由ニて罷帰ル、辰刻同人罷出先刻御尋之趣手前旦那拝領山之事
故屋敷切書付ヲ差出為焼申候、尤、少分之御役銭差出申候、御
上候は御十ト一御役セん其者より為差上申候、右は前々より仕
来ニ御座候間、此段左様御承知被下度段申問候処、前々より左
様之儀ニ御座候ハヽ、右之趣御勘定頭中江可申上旨被申候由ニ
て罷帰ル
一 野田 寿延 様
御不幸ニ付、辻堅メ差出ス
上下 浅 井 寅 太
同 君成田 泰 助
御同心 弐 人
草り取 弐 人
一 野迄之御使者 浅 井 寅 吉
廿四日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上可被成候、
以上
正月廿四日 江 刺 牧 太
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
正月廿四日 北 監 物
江 刺 牧 太 様
右ニ付、御城使大川原定賀差出候処、此度大湯御同心七人急之
御用ニ付、来月三日迄ニ着候様御呼上ニ御座候間、此旨左様御
心得被成候様御目付中手塞ニ付、御徒目付関栄八申渡
一 晴 山 専 蔵
初て御礼申上度今日相詰ル
廿五日
一 御年男谷地澄太・下年男伊助
御用相済、今日出立罷帰ル
一 晴 山 専 蔵
御新宅於御居間御礼申上ル
御肴 一折 鯛
御樽 一荷
右御礼前、当番御用人小山田萬奏者ニて是ヲ披露ス
奥様江
御肴 一折 鱸
久吉様御名披御祝儀、御内所ニおいて御祝被遊ル
詰合御役人江御吸物御酒被下置ル
上包
廻状 壱通
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状并御書付壱通被差越
候ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫帯刀被申付候、尤、御銘々
様より不及御挨拶御通達相済上、拙者共より御届可仕候、以上
正月廿五日 楢山帯刀内 飛 沢 庄
桜庭兵庫内 浅沼 郷左衛門
御次第不同
北 監 物 様 御役人中様
南 彦八郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
奥瀬 内記 様 御役人中様
毛馬内 近江様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
上包
御廻状 壱通
御書付 壱通
東勘解由殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中不
残様無遅延滞通達可有候、尤、名々より不及挨拶各より宮手弥
市方江可被相返候、以上
正月廿五日 大目付
桜 庭 兵 庫 殿
楢 山 帯 刀 殿
右役人
覚
一 正一位稲荷神官之儀、是迄銘々信仰寄諸士町共ニ勝手次第上方
江申遣神官差下候哉ニ候、江戸表ニても正一位正官之儀地下之
者申立候儀容易ニ難相成事ニ候間、以来勝手次第上方江申遣候
儀相扣可申候、乍去若霊管等有之数人信心之訳合も有之候ハヽ
申上御沙汰ニ向取計可申候、是迄神官相済居候分ハ不苦旨被
仰出
正月
右廻状御書付共ニ、南彦八郎様御役人江順達
田館清助持参、取次、桂田嘉重太江相渡ス
廿六日
久吉様新御屋敷江御出
御供 渕 沢 六 郎
工 藤 弥太郎
君成田 泰 助
御草り取 深 蔵
於綾様、丹波様江年頭為御祝詞御出
御供 尾形 射右衛門
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御駕籠
御草り取 深 蔵
押
女中供
一 御肴 一折 すい
一 饅頭 壱重
一 巻焼餅 壱重
一 甲焼 弐重
御供帰り
廿七日
一 大湯才領御同心一方井源蔵着、廿九日出立罷帰ル
廿八日
御表様御仏詣
御供 工 藤 忠 見
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御駕籠
御草り取
廿九日
於綾様御帰、御供御出之通
御表様御仏詣、御供御平常之通
御駕籠
二月一日
御表様御仏詣、御供御平常之通
御駕籠
一 初午御用ニ付、諸士四人御百姓共八人相詰ル
二日
御表様御仏参、御供御平常之通
御駕籠
御奉書到着次第
上書
大萱生 外 衛
東 勘解由
毛馬内 蔵 人
藤 枝 宮 内
北 監 物 殿
猶以熨斗目可有着用候、以上
旧臘御拝領之御鷹之鴈御残被下候間、明三日五時御登 城可有
頂戴候、以上
二月二日 藤 枝 宮 内
毛馬内 蔵 人
東 勘解由
大萱生 外 衛
北 監 物 殿
上書
北 監 物
大萱生 外 衛 様
東 勘解由 様
毛馬内 蔵 人 様
藤 枝 宮 内 様
御手紙致拝見候、旧臘御拝領之御鷹之鳫御残被下候間、明三日
五時登 城可致頂戴旨難有奉得其意候、恐惶謹言
二月二日 北 監 物
継隆 花押
大萱生 外 衛 様
東 勘解由 様
毛馬内 蔵 人 様
藤 枝 宮 内 様
右御請御城使大川原定賀持参御当番御目付江刺牧太殿手塞ニ付
、 御徒目付山口幸之進江相渡ス
御表様、右為御請辰刻御登 城被遊
御供 工 藤 忠 見
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草履取
一 今夜六時廻状来ル
廻状
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状并御書付壱通被着越
候ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫・帯刀被申付候、尤、御銘
々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以
上
二月二日 楢山帯刀内 飛 沢 庄
桜庭兵庫内 浅沼 郷左衛門
御次第不同
北 監 物 様 御役人中様
南 彦八郎 様 御役人中様
下 田 将 監 様 御役人中様
奥 瀬 内 記 様 御役人中様
毛馬内 近 郷 様 御役人中様
奥 瀬 治 部 様 御役人中様
桜 庭 周 防 様 御役人中様
漆 戸 左 仲 様 御役人中様
野 田 豊 後 様 御役人中様
内 堀 大 蔵 様 御役人中様
下 田 右 門 様 御役人中様
岩 間 将 監 様 御役人中様
黒沢 傳左衛門 様 御役人中様
向 井 寛 司 様 御役人中様
山 本 右兵衛 様 御役人中様
漆 戸 左司馬 様 御役人中様
三 戸 縫 殿 様 御役人中様
上書
御廻状 壱通
御書付 壱通
覚
後
一 江戸并上方筋江所用ニて罷登候者、在々末々之者は前々より鬼
柳通切手のみ願上御渡被遣候処、以来江戸詰合御目付江添状相
渡遣候間、右添状之儀共ニ願出可申事
但、参宮之者は、是迄之通御焼印御渡被成候之事
二月
前
別紙之通此度一統御町徒被成候間、被相心得候様毛馬内蔵人殿
被 仰渡候ニ付、相達候間被得其意御同列中不残様無遅滞可有
通達候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥市方江可相返候、
以上
二月二日 大目付
桜 庭 兵 庫 様
楢 山 帯 刀 様
右御役人
右御書付并廻状三郷清蔵持参、南様御役人江廻達、取次冨沢与
市渡ス
一 右廻状誰様御役人中様之御之字例は違略し候御字故、幸ひ谷地
良左衛門勤番故、内々治右衛門申遣招寄桜庭様御役人江御之字
違候趣、内々申遣候処、其節之執筆認違候処、不吟味ニ致差出
申候、被入御念御内々被仰下忝存候旨くれ/\良左衛門を以申
来ル、尤、以来御之字相改認申候旨申来ル
三日
於綱様 於崎様、新御屋敷江御出
御供 尾形 射右衛門
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御草り取
為御持物
御肴 一折 すい
巻焼餅 一重
昨日御奉書ニ付
御表様御登 城今辰上刻
御供 上下 工 藤 忠 見
同 安 田 栄 蔵
羽織 浅 井 寅 太
同 君成田 泰 助
三器御道具
御草履取
合羽籠 壱 荷
押
御下直々御廻勤、九時御帰殿被遊ル、尤、於 殿中被 仰出、
左之通
平常出会之節、只今迄手遠之間刀指置候様相聞得候、以来は左
様なく、銘々刀持込応対之間着座致候後江被指置可申候
但、相互出会之節刀取候者差出候ハヽ、刀請取直々着座之後
口江客之都合能キ様為指置可申候
従前々御鷹之鴈御残又は御料理等御頂戴ニ付、御登 城之節御
請之儀は御広間江御目付罷出居候江御目礼被成候て御通被成候
右は御請之形ニ御座候由、当年ハ大目付御役相出候てより初て
之儀故大目付宮手弥市殿江、御内咄被成候て心得を御尋被成候
処、私共鳫木之下江罷出居候、御目礼被成候て御通り被成候へ
は、御請之様ニ相成候、右御請之義不落付処より天明年中ニ吟
味之上伺候て、御目付之方ニて相据り居候間、此度も右ニ相聞
候旨被申上、依て南様・桜庭様江御心得ニ御内咄被遊外御同列
様江も段々御咄申置候由
一 今日於殿中宮手弥市殿、御書付持参申致候て申上候ハ、自御家
老中此通御達ニ御座候、右之義ハ私演説ニて申故之事ニ御座候
得共手扣之侭懸御目候、依て演説ニて申上候と御手前可被下、
御一統御覧相済候ハヽ書付御返し被下たくと被申上、依て御同
列様江お菊之間御達、右御書付ハ弥市殿江御返し被成候、其節
別御間にて御内々被仰問候ニハ、今日不罷出方江は最寄に達候
、殊ニも可致や、御家老中嫡子江はいかゝ可致と御問合セ被成候
所、御同列様江ハ左様ニ被成候てハ、よろしく御家老中御嫡子
江は御直々及不申併御留主の御家老之方ハ御嫡子方江御達被成
候様仕たくと御申上、左様ニ御座候ハヽ御書付御無心申度、右
ヲ以相達可申と被仰問候処、先刻申上候通書付ニて申上候事無
之候間、其思召ニて御伝可被下候、随分後刻書付ハ写候て上可
申上申上候由、後刻梅田繁助殿、右御書付持参被致候、今日御
尤、参之御方様漆戸左仲様・野田豊後様・岩間将監様・三戸縫
殿様、右御人数江近江様・周防様、右御人様より御達候積ニ被
仰含御三人様江御書付写候て被遣候、上包江演説手扣と相認被
遣候、新渡戸圖書様・八戸彼面様江も御書付写被遣候、右之通
今日大目付宮手弥市ヲ以御達に御届候、此書付ハ弥市手扣之
由、御届候得は右ニて懸御目候旨御役人江出会候て、大川原定
賀相渡候様被 仰付、右之通御町徒ニ依て記置
四日
一 初午御用ニ付、相詰候諸士四人外晴山専蔵今日罷帰ル
五日
御表様御仏詣八時、御供御平常之通
御駕籠
御草り取
大湯御同心先比御呼上之処、左之通相詰ル
三 上 弥兵衛
遠 越 丑 松
谷 地 三 助
瀬 川 宥 助
宮野 勇左衛門
遠 越 喜三治
山口
右七人着
御船入口・本御蔵入口・比沙門
右三ヶ所被 仰付候由、申出候
一 去年借用致置候夜札三枚、八木沢重蔵殿相頼今日相返ス
六日
一 松 田 茂左衛殿 大坂表江出立ニ付、御肴塩引弐尺・霰五袋被遣ル
一 小田代 嘉 内殿
江戸表江出立ニ付、御肴すい壱本・かれい弐枚・ほや七ツ、右
三品被遣る
七日
一 右御両人途中迄御見立
御使者 浅 井 寅 太
御表様八時過より弥六郎様江御出、御供御平常之通
御箱
八日
御表様、丹波様江九時御出、御供御平常之通
御駕籠
九日
一 大湯飛脚着
十日
十一日
十二日
一 大湯飛脚罷帰ル
十三日
十四日
一 中ノより風烈来ル
御触来
来ル十七日より無判・無挑灯之者通用御停止被 仰出候間、此
旨左様御心得被成、召仕之者江も可被 仰含候、以上
二月十四日 御目付
内丸中
十五日
御表様、東様江九時御出、御供御平常之通
御駕籠
御草り取
久吉様、八時過三社江御参詣被遊
御供 工 藤 弥太郎
小山田 里 治
浅 井 寅 太
御駕籠
御草り取
御初尾十包上ル
一 夜札弐枚去年借用之処、御学頭中江今日相返ス
猶又、当申ノ年も夜札弐枚借用致置
一 江刺 牧太殿より
淳性院様三十二回御忌当、五月十九日御相当之処、御取越明十
六日御法事御執行ニ付、御菓子杉重一組従 御表様干菓子五袋
奥様より
御女中使 き そ
十六日
一 土沢於浄光寺御法事ニ付、御香奠青銅五十疋并御香奠包遣ス、 台は兼候事故、出来兼不差遣、尤、御使者
晴 山 実
路用弐百文
右御用ニ付、去ル十四日関口飛脚立遣
一 南 彦八郎様より 量寿院様御法事ニ付、御菓子杉重一組遣さる
御使者 君成田 泰 助
御表様、七時過より南彦八郎様江御出被遊、御供御平常之通
御箱
御供帰り
夜九時過御帰殿
十七日
御表様五時東禅寺御仏参、御供御平常之通
御駕籠
十八日
一 大目付中より御廻状来ル、御用使御同心請取書遣ス
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
二月十八日 北監物内 大川原 定賀 印
御城中ノ口御用使
御廻状、左之通
別紙之通被 仰出候旨毛馬内蔵人殿被 仰渡候間、被得其意御
同列中不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より
宮手弥市方江可相返候、以上
二月十八日 大目付
北 監 物 殿 奉
南 彦八郎殿 奉
右役人
御書付、左之通
覚
一 火之元用心之儀別て稠敷被 仰出候、依之、明十九日より去年
之趣を以組合申合門前廻被 仰付候間、一夜三度ツヽ家来者ニ
鉄棒冬引無懈怠相廻し候之様被 仰出候
但、外側住居之高知之面々は、右ニ准し銘々門前家来之者相
廻可申事
二月
廻状、左之通
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
指越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・彦八郎被申付候、尤
、御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
二月十八日 南彦八郎内 久慈 保左衛門
北監物内 小山田 萬
御次第不同
桜 庭 兵 庫 様 御役人中様
下 田 将 監 様 御役人中様
奥 瀬 内 記 様 御役人中様
楢 山 帯 刀 様 御役人中様
毛馬内 近 江 様 御役人中様
奥 瀬 治 部 様 御役人中様
桜 庭 周 防 様 御役人中様
漆 戸 左 仲 様 御役人中様
野 田 豊 後 様 御役人中様
内 堀 大 蔵 様 御役人中様
下 田 右 門 様 御役人中様
岩 間 将 監 様 御役人中様
黒沢 傳左衛門 様 御役人中様
向 井 寛 司 様 御役人中様
山 本 右兵衛 様 御役人中様
漆 戸 左司馬 様 御役人中様
三 戸 縫 殿 様 御役人中様
右之通取調候所ニて南様御役人江書通致候所、御役人病気ニ付
、名代宮沢与市と申もの来候、依て右三通相渡遣ス、尤、本紙を
以此方ニ差置廻達相済候ハヽ、宮手弥市殿江返上可仕候間、為
御知有之様致置段申遣ス
十九日
〈今晩より夜廻ニ付、治部様より問合来り、夜半分ツヽ相廻候
様御問合ニ付、承知之旨致挨拶遣ス〉
久吉様八時過御下屋敷江被為入
御供 渕 沢 六 郎
工 藤 弥太郎
君成田 泰 助
御草り取
暮頃御帰殿
一昨日差出候廻状廻達相済、今夜五時ニ南様御役人久慈保左衛
門より来ル、夜中故御本紙明廿日五時大河原定賀持参、宮手弥
市殿江差出ス、役人留主ニ付拙者江御渡被成候様取次伊藤東一
と申ものニ相渡
廿日
廿一日
廿二日
一 御菓子 杉重壱組
東勘解由様御法事ニ付被遣
御内所御女中御使
御表様、暮比より東勘解由様江御出被遊、御供御平常之通
御駕籠
廿三日
御表様、四時祇陀寺江御仏参御出被遊、御供御平常之通
御駕籠
九時過御帰殿直々弥六郎様江御出被遊
御箱
当宗門御改目録并知行帳生来去死相改、他領より来候者送寺請
状相添四月中可被差上候、尤、当年も寺請状指上候儀御延被成
候旨被 仰出候、此旨支配有之方ハ可被申含候、以上
二月廿三日 宗門御奉行
中 野 筑 後 様
北 監 物 様
大萱生 外 衛 様
漆 戸 左司馬 殿迄
廿四人御連名
一 御菓子 干くわし 五袋 雄山寺へ
従関口以御使者
右は隠居一昨日病死之趣、以使僧御届有之ニ付被遣
一 御菓子 杉重 壱組 松田小十郎へ
茂左衛門殿於道中病死ニ付被遣
廿四日
一 風烈来ル
於勝様、八時弥六郎様へ御出被遊
御供 尾形 射右衛門
渕 沢 六 郎
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御草履取
女中供
押
為御持御重弐ツ まんちう・せんへい
夜九時御帰
御表様、七時過弥六郎様江御出被遊、御供御平常之通
御箱
廿五日
御表様九時御下屋敷江被為入
御供 小山田 里 治
浅 井 寅 太
君成田 泰 助
御草履取
御駕籠
御先詰 工 藤 忠 見
諏 訪 良 蔵
御帰殿暮頃
一 安 田 栄 蔵
当宗門御用ニ付、関口江今日罷越
一 風烈来ル
一 御肴 塩曳 弐尺 鹿嶋屋 惣 治
上方表登ニ付、被下置
廿六日
一 御肴 すい一折り 三ヶ尻弥市左衛門殿江 箱館表へ出立ニ付、御祝被遣
一 御交肴 かれい三枚・すい弐本・ます弐本
右同断 坂本治左衛門殿江
一 小田代 五助殿江
江繋 喜左衛門江
善光酒五升宛・真鳫壱羽ツヽ・御青物
一 暮頃風烈来ル
廿七日
廿八日
御表様九時御仏参、御供御平常之通
御駕籠
一 大湯才領御同心田鍍藤松着
廿九日
御表様、聖寿寺へ御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕籠
晦日
一 才領御同心 田鍍 藤松 罷帰一 安 田 栄 蔵
宗門御用相済今日罷帰ル
一 風烈来ル
一 御代香、小山田萬相勤ル
三月朔日
御表様、聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
一 安 田 喜之進
今日より当番ニて出番
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
三月朔日 穴 沢 宇多太
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意
存候、以上
三月朔日 北 監 物
穴沢 宇多太様
右ニ付御城使大川原定賀差出候処、宇多太殿御用手塞ニ付、御
徒目付蛇口市之丞申達候は
飯岡通・厨川通・向中野通、内外御山、来ル三日より九日迄
細毛焼払被 仰付候間、此旨御心得候様申聞ル
二日
一 小山田 萬
勤番相済今日出立罷帰
御表様、聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
三日
御表様、上巳為御礼御登 城被遊
御供 上下 工 藤 忠 見
同 湯 川 四郎治
平服 安 田 栄 蔵
同 君成田 泰 蔵
三器御道具
御艸履取 金 蔵
合羽籠 壱荷 弐人
押 三 郷 清 蔵
辰ノ刻前御登城御下りより処々御廻勤、午ノ刻御帰殿御夕飯後
、御駕籠ニて慈眼院様かゝ野辺江御出、申ノ剋御帰殿被遊
一 楢山 帯刀 様
桜庭 周防 様
内堀 大蔵 様
岩間 将監 様
山本 右兵衛様
漆戸 左司馬様
右之御方江、以御使者御祝詞被 仰遣ル
奥瀬 舎人 殿
中野 安兵衛殿
右御子息方、御出ニ有之候ニ付、御使者被遣ル
今日於殿中御用番宮内様大目付吉田唱殿ヲ以御達被成候は、
屋形様先月廿五日以 上使御国許江之御暇被 仰出候旨昨夜飛
脚致到着候、差懸り候間奉書は差出不申候、今日上巳御祝儀被
仰上候て柳之間ニ御扣被成、猶又、席江御通有之、恐悦被 仰
上候様御同列中江も御達被成候様御達ニ付、御同列様江御達被
成候て恐悦被 仰上候旨、例之通御家老中様江御書之内、 御
意有之御拝見御下宿之旨御沙汰ニ寄記置
一 先頃御達有之候通御高知様方御刀御持込被成候儀ニ付、 御表
様御他行、 久吉様御幼少ニて始終之御応対被遊兼候間、五節
句寒暑等之御見舞ニて、御高知様方御内処江御通り之節御取扱
向心得方、左之通
御高知様方御入来可有之時分御次江御用人共ニ出張居、御入
来之御方八畳敷江御着座有之哉否、御用人罷出、此方江御通
り被遊候様申上、御先達仕候て中御居間江御通し申上其処ニ
て申上候は
監物今以下宿不仕候間、御出之様内所江可申聞候、御扣被成
下度申上候事
一 御持込之御刀、早速御刀懸江懸置可申事
一 御刀以前之通八畳敷江被差置候御方様有之候ハヽ、御跡より 持参懸ヶ置可申事
一 御内処江御通り被成候ハヽ、御刀取罷出中御居間御廊下壁ヲ
後ニ致候て御刀持居、御帰之節御先江立、前々進上ヶ候処ニ
て上ヶ候事
一 御人ニ寄り御内処江御持込候ハヽ、其通り御任せ申候事
但、御帰り之節、御用人罷出候御人数様方前々之通之事
八畳敷南ノ方襖戸取外し、押込之方江御屏風ニて囲ひ置之
、中ノ御居間中仕限御障子南ノ方取外し、御着座之御後江御
刀懸差置事
右何も 御沙汰有之候て、右之通御取扱申候也
一 宮 野 庄 作
汲 川 命 助
勤番ニ付、相詰ル
一 瀬 川 市太郎
継目為御礼、相詰ル
四日
一 小 原 才 助
晴 山 悠
勤番ニ付、相詰ル
但、昨日相詰可申候処、途中郡山辺ニて才助持病之疝気相発
し、右ニ付、悠共逗留致候由ニて、今日八時過キ相詰ル
一 渕 沢 六 郎
大川原 定 賀
工 藤 忠 見
屋形様御下向過キ迄御留被成ル
五日
御表様、聖寿寺・東禅寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
口上之覚
軍右衛門嫡子一方井孫三郎事
茂喜助
東 作
右之通名改仕度奉願上候、以上
申二月廿九日 一方井軍右衛門
右之通名改願上候処東作と被 仰付
六日
一 浅 井 寅 太
勤番相済今日出立罷帰ル、大湯飛脚共ニ今日出立
御表様今暮頃新御屋敷江御出、九時過キ御帰殿被遊、御供御平
常之通
七日
一 今日大目付より梅田繁助殿ヲ以被仰達候は
屋形様御着城之節、御坊人数被差出候事、何も去年御参勤之節
通可差出候旨、尤、場所之儀も石町惣門之外江罷出候事被仰達
ル
一 以来御参勤御着城之節、別て不相達候御参勤御着城共ニ石町惣 門外江罷出候様被 仰達ル
大目付より御廻状
屋形様去月廿九日江戸表御発駕、道中十三日振来ル十一日御着
城被遊候ニ付、藤枝宮内殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得
其意御同列中御嫡子方江も不残様順達可有候、尤、銘々より不
及挨拶各より吉田唱方江可被相返候、以上
三月七日 大目付
北 監 物 様
桜庭 兵庫 様
右役人
覚
一 当住は平服ニて、津志田御右之方
一 嫡子は上下着用、御勘定処御右之方
右之通為御出迎、当住は暁七時嫡子は朝五時相詰可申、尤、家
督継目御礼不申上方は不及相詰候
三月七日
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
三月七日 北監物内 君成田 泰 助
御城中ノ口 御用使
右御書付・御廻状共ニ、例之通写取弐枚緘合東山紙ニて上包致
廻状差添差出
但、桜庭兵庫様御役人江文通
北監物内 安 田 喜之進
桜庭兵庫様御内
御役人中様
以手紙致啓上候、然は御懸合申度御用筋有之候間、只今之内屋
敷江御越被成候様致度候、右可得御為如此御座候、以上
三月七日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
置札相認差出ス
北監物様御内 安田喜之進様
御紙面之趣致承知候、以上
桜庭兵庫様御役人泉沢織太痛処之由ニて、為名代中津山左仲太
罷越候間懸合之上廻状ハ此方より差出ス筈、廻達相済候ニて御
本紙は兵庫様より御返し被成候筈ニ申合遣ス
〈猶以 御嫡子様被成御座候御方様は御附衆迄御通達可被下候
〉以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
三月七日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
南 彦八郎 様 御役人中
下田 将監 様 御役人中
奥瀬 内記 様 御役人中
楢山 帯刀 様 御役人中
毛馬内近江 様 御役人中
奥瀬 治部 様 御役人中
桜庭 周防 様 御役人中
漆戸 左仲 様 御役人中
野田 豊後 様 御役人中
内堀 大蔵 様 御役人中
下田 右門 様 御役人中
岩間 将監 様 御役人中
黒沢傳左衛門様 御役人中
向井 寛司 様 御役人中
山本右兵衛 様 御役人中
漆戸 左司馬様 御役人中
三戸 縫殿 様 御役人中
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
三月七日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
八戸 冨吉 様 御附役中様
中野 出雲 様 御附役中様
大萱生石見 様 御附役中様
東 彦七郎 様 御附役中様
新渡戸圖書 様 御附役中様
毛馬内左門 様 御附役中様
八戸 彼面 様 御附役中様
右廻状田館清助ヲ以差遣
南彦八郎様御取次 川 村 新兵衛
八戸弥六郎様御取次 四戸作右衛門へ渡
屋形様来ル十一日被遊御着城候、依之、門前掃除并ニ火之元用
心可被仰渡候、以上
三月七日 穴 沢 宇多太
内丸中
一 今日瀬川市太郎継目御礼申上候ニ付、左之通差上
鯛 一折
柳樽 一荷
御表様江
鱸 一折
奥様江
於表御居間被為 請
奏者 安 田 喜之進
八日
九日
一 今朝梅田繁助殿御入来、大目付吉田唱殿御内々被 仰出候御沙
汰之趣、御同列中様江御内達被成候様申来ル、右御内達之趣繁
助殿限演説書取ニて御持参、左之通
覚
一 御下向之節為御迎津志田江罷出、百姓家無心休息致し居候処、
近年津志田茶屋も数軒相出候ニ付、右を無心市中ニ休息罷有可
申、尤、休息致し居候見世江幕打夜中ハ高張等相燈、都て道中
旅宿之振合ニ相心得可申、且、支度并酒等相用ひ申度方は直々
右茶屋江申付、不苦し御所柄斟酌等有之候ては却て不宜候、右
之趣至極御内々御沙汰ニ御座候間、別段御内々御達申候御同列
中御内達可被成候
但、一・二軒江幕打候様ニては不宜候間、何レ軒数江幕打候
様仕度事
一 御通行相済候処ニて直々引取候ニ及不申候之間、支度等致し候
方は緩々致見物引取不苦候、何レも可致斟酌事ニ付、是又御内
々御沙汰御座候間、幸ニ見物仕度方は勝手次第居残り不苦候
三月
先比津志田詰刻限之事暁七時之御沙汰之処、屋形様花巻御発駕
夜五時御供揃ニて御発駕ニ御座候間、御詰刻限左之通御心得被
成候様、是又御内達有之候
覚
一 当住方八時津志田江
一 嫡子方六時御勘定処前江
右之通御詰可被成候
三月
右両様演説書写取御同列中様江御使ヲ以御内達被成候、尤、御
詰刻演説書之内、当住方・嫡子方と御字無之候故御内達被成候
ニは御使之者手扣ニて御向御役人之懸合候事故、大目付中より
来候侭ニてハ如何敷、依之、御字入認御内達被成候也
覚
一 御当住方八時津志田江
一 御嫡子方六時御勘定処前江
右之通御詰可被成候
三月
右之通認直し出ス
外ニ御家老中様・御嫡子様方江は、左之通
覚
一 御嫡子方六時御勘定処前江
右之通御詰可被成候
三月
一 桜庭 兵庫 様
毛馬内近江 様
三戸 縫殿 様
桜庭 周防 様
野田 豊後 様
向井 寛司 様
右之御方様江大川原定賀罷越
一 下田 将監 様
内堀 大蔵 様
岩間 将監 様
奥瀬 内記 様
右御方様江小原才助罷越
一 南 彦八郎 様
奥瀬 治部 様
下田 右門 様
漆戸左司馬 様
漆戸 左仲 様
右御方様江工藤忠見罷越ス
楢山 帯刀 様
山本右兵衛 様
黒沢傳左衛門様
右御方様江汲川藤助罷越
御家老中様御嫡子様方江は宮野庄作罷越、何方ニても御役人江
出会御口上申述演説ニて申達ス、御嫡子様江は御附役中江出会
一 晴 山 善 治
斉 藤 甚五郎
渕 沢 龍 太
右人数御着城御用ニ付、相詰候
一 御防御用人数弐拾壱人、相詰候
十日
御表様南彦八郎様、明日御帰国御使者登ニ付御出、御供御平常
之通
於綾様・丹波様江御出、明日丹波御下着ニ付
御供 尾形 射右衛門
御次より 弐 人
御駕籠
御肴 すい一折弐枚
饅頭 弐重
外ニ 御表様より丹波様江被為遣候、御肴鯛一折共ニ一処被遣
ル
十一日
今日 尾形様御着城ニ付、為御迎
御表様津志田江夜八時御出
御供 小 原 才 助
工 藤 忠 見
諏 訪 良 蔵
斉 藤 甚五郎
安 田 榮 蔵
君成田 泰 助
小山田 里 治
大川原 定 賀
御駕籠 六 人
三器御道具
合羽籠 三荷 五 人
押 三 郷 清 蔵
御挑燈 弐張 四 人
外ニ騎馬てうちん押持
右ニ付御先詰
安 田 喜之進
瀬 川 市太郎
三 和 三 亭
草り取 壱 人
御宿生田屋
右御宿江御幕壱両打、高挑灯壱対灯也
右御宿ニ出足仕出し被成候
御吸物 二
御肴 三種
御硯ふた 壱ツ
御酒共ニ
右は 御表様江差上ル
茶漬
五寸
皿 漬物
右は惣諸士江
茶漬
五寸
漬物
右ニ付、亭主生田屋宗吉へ御目録金弐百疋被下置
外ニ御料理賄代申出、三歩弐朱相渡
御着城ニ付、石町惣門際江御防御人数相詰、左之通
一 御纏 手代共 弐 人
一 同奉行 湯 川 四郎治
草履取 壱 人
一 階子 弐挺 弐人ツヽ一 同附添 渕 沢 六 郎
一 水本籠 壱 人
一 同奉行 大川原 叶
一 水 籠 壱 人
一 輪 具 弐 人
一 同附添 晴 山 悠
一 長才鳥 壱 人
一 長 鎌 壱 人
一 諸 士 晴 山 善 治
汲 川 藤 助
渕 沢 龍 太
一 働方 五 人
一 御家老 谷 地 治
若党 弐 人
草り取 壱 人
鑓持 壱 人
右暁七時相詰ル、川原町詰御目付江御届申候
湯川四郎治罷越
引取候節御断不申候、休息所石町最上屋江頼入夜明候処ニて御
挑灯不残同所へ頼置
右ニ付、酒代五百文遣ス
御表様津志田御帰り、直々隅御屋敷・下御屋敷江為恐悦御出被
遊、 御帰殿後新渡戸丹波様へ為御歓御出、御供御平常之通
御駕籠
一 白 石 環 殿江 下着為御怡、御肴一折鱸被遣ル
一 大川原 定 賀
工 藤 忠 見
渕 沢 六 郎
斉 藤 甚五郎
晴 山 善 治
渕 沢 龍 太
御着城御用相済、今日御返し被成ル
一 右御用ニ相詰候御小者共、不残相返ス
覚
一 高 地 之 面々
屋形様御国許江之御暇以 上使被 仰出、御拝領物有之候、御
歓以書状申上候ニ付、遂披露候処、 御満悦之旨、尤、先頃
御書之内 御意有之候、御請以書状申上、是又遂披露候処、途
中故不能奉書旨申来之
三月十一日
今日拙者儀当番罷出候所、大目付吉田唱ヲ以別紙御書付一通御
同列中江御通達可申旨、御家老中被 仰候旨達ニ御座候間、御
通達申候、御順達留之御方より拙者許江御返却可被成候、以上
三月十一日 向 井 寛 司
北 監 物 様
桜庭 兵庫 様
下田 将監 様
奥瀬 内記 様
楢山 帯刀 様
毛馬内近江 様
奥瀬 治部 様
桜庭 周防 様
漆戸 左仲 様
野田 豊後 様
内堀 大蔵 様
下田 右門 様
岩間 将監 様
黒沢傳左衛門様
山本 右兵衛様
漆戸 左内 様
三戸 縫殿 様
猶以御名列相違御座候ハヽ、御用捨可被下候、以上
右桜庭兵庫様江御順達、御取次阿部権七へ相渡
晴 山 悠
十二日
十三日
御表様法□寺江為御仏詣御出被遊、御供御平常之通
御駕籠
猶以御嫡子様被成御座候、御方様は御附衆迄御通達可被下候
、尤、差兼候御用儀故剋付ニて御通達可被下候、以上
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫・帯刀被申付候、尤、御
銘々様より不及御挨拶御通達相済申上候上、拙者共より御届可
仕候、以上
三月十三日 楢山帯刀内 茂 市 源 内
桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
御次第不同
北 監 物 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸 左司馬様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
右廻状之内奥瀬内記様御名相除来ル、其故不相知
藤枝宮内殿御渡候御書付写壱通相達候、尤、当日上下着用卯ノ
剋御詰可被成候、此旨被得其意御同列中并嫡子方江も不残順達
可有候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱方江可被相返候、
以上
三月十三日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
御帰国御礼来ル、十五日於御中丸被為請旨被 仰出
但、鳥目不及差上候
三月
右下田将監様御取次 辻 見 傳 へ渡
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成
候、以上
三月十三日 穴 沢 宇多太
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意
存候、以上
三月十三日 北 監 物
穴 沢 宇多太 様
右ニ付、宮野庄作差出ス、御目付穴沢宇多太殿御用手塞ニて御
徒目付関栄八申達候は大湯御同心七人御下向為御用御呼上ヶ之
処、内四人御返し三人御留置れ候、此旨御心得被成候哉申達
一 大湯御同心小頭三上弥平罷出、七人之内四人明日御返し被成三 人御留置れ候旨訴出ル
十四日
十五日
御着城為御礼
御表様今朝卯上刻御登 城被遊
御供 上下 小 原 才 助
同 汲 川 命 助
同 小山田 里 治
平服 瀬 川 市太郎
同 君成田 泰 助
御鑓
御箱
御長柄
御艸履取
合羽駕籠 弐荷 三 人
押 三 郷 清 蔵
御挑燈 壱張 片 方
押 勝馬てうちん抔
辰ノ中剋以前御下宿被遊ル
一昨日御沙汰之御剋限ニ御登 城被遊候処、右剋限前ニ御登
城之御方様も有之由、桜庭兵庫様ニも剋限前ニ御上り之由、此
方様ニは仁王之六時鐘ニて御上り被遊ル
十六日
十七日
一 大湯御同心小頭三上弥平申出候は、今日猶又御番所一ヶ処引請 申候、此段御訴申上候由
御新宅入口御番処
十八日
奥様 於勝様 於綱様 於崎様、今八時分より御関口江御出被
遊
御供 尾形 射右衛門
御次より諸士 五 人
御草履取 弐 人
女中供 壱 人
押 壱 人
御迎挑灯 壱張 片 方
但、御忍御てうちん也
夜九ツ時御帰殿
今日東勘解由様江御出被成候処、御達被成候は、以来三家は小
*熨斗目相用候様御沙汰之旨、 殿様江御達被成之旨御沙汰ニ
付、記
十九日
久吉様厨川辺之漁為御慰御出
御供 小 原 才 助
晴 山 悠
工 藤 弥太郎
瀬 川 市太郎
物持御草り共ニ 深 蔵
金 蔵
八時分御出暮前之御帰邸也
廿日
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成
候、以上
三月廿日 穴 沢 宇多太
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意
存候、以上
三月廿日 北 監 物
穴沢 宇多太 様
右ニ付、御城使宮野庄作差出候処、先日被御留置候大湯御同心
不残明廿一日御返し被成候旨、御目付中御手塞ニて
御徒目付 関 栄 八 申達
一 大湯御同心小頭より訴出ル
廿一日
大萱生外衛殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱
江可被相返候、以上
三月廿一日 大目付
北 監 物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
覚
内丸并諸士丁銘々屋敷内勧請致置候、稲荷名字無之分は何稲荷
と申事家主勝手次第名字附可申候
御城内榊山 正一位稲荷大明神御守札頂戴仕、乍恐右御守札を
勧請致候、稲荷は名字無シニ稲荷大明神と唱可申候、其外志和
呑香之大社を遷し候、稲荷は志和呑香を名字仕唱可申候、右外
共に名字有之候、稲荷を遷シ候ハヽ其通名字附可申候、此外銘
々信心ニて稲荷勧請致候ハヽ、自分ニて何稲荷となり勝手次第名
字附唱可申候事
三月廿一日
右御同心使江請取差出
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥請取申候、以上
三月廿一日 北監物内 君成田 泰 助印
御城中ノ口 御用使
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
三月廿一日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
右之通取調桜庭兵庫様御役人江申遣ス
北監物内 安 田 喜之進
桜庭兵庫様御内
御役人中様
以手紙致啓上候、然は御用儀ニ付御懸合申度候間、只今之内屋
敷江御越被成候様致度候、右可得御意如此御座候、以上
三月廿一日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物様御内
安田喜之進様
御紙面之趣致承知候、以上
三月廿一日
即刻織太取紛候事有之候由ニて、為名代中津山左源太罷越候間
、御廻状之趣懸合直々左源太へ相渡、其御許より御廻達被成候様
申向、尤、御本紙返上之節是より返上可仕之旨懸合遣ス
右廻状廿二日暮少前廻達相済候共ニて、兵庫様より御返被遣、
近内杢右衛門持参受取、尤、織太より申遣候ハ南彦八郎様・奥
瀬内記様江は御通達無之候とも可然哉、稲荷之御沙汰故御通達
不被成候ハヽ相成申間敷哉、心附候間得御意候趣申来候間、喜
之ミ相応之挨拶之上□□ニても猶是より為御知可申候て申遣ス
右ニ付、評定仕候処、幸梅内繁助殿被見得候故懸合候処、餘義
とも違い候事故、通達致候て可然之旨被申候間、御書付・御廻
状共ニ写取御両所御役人へ差遣ス
小山田里治 罷越
御両処様御役人へ出会申向候ハ
一昨廿一日大目付中より御廻状并ニ御書付相達候ニ付、例之通
廻達致候、然ル処此方様ニは御留主中江別段御通達ニ及候、御
廻状・御書付共ニ写取進上致候間、御承知被成候様申遣ス
南彦八郎様御役人 福 士 伊兵衛
奥瀬内記様御役人 小笠原 甚 蔵
一 廿三日朝御廻状・御書付御本紙御城使宮野庄作持参、大目付吉 田唱殿江差出
取次 松 尾 喜 内江
相渡
一 去ル十一日丹波様御事御供ニて御下着ニ付、右御待請として
於綾様十日ニ御出被成候処、今日御帰りニ付、御迎相詰ル
御供 尾形 射右衛門
外御次より諸士 弐 人
昼時分御帰殿也
嶺松院様・於継様為年始今日御出ニ付、御献立
葛引
御五寸 くしかい 御汁 竹輪
舞たけ くしたち
こんにゃく 焼とうふ
にんちん
御香物 御飯
御二ノ汁 一 すい
木の芽
御台引 一 かれい
塩引
あわひ
御中酒
御吸物 一 はんへん
水菜
御肴 一 赤魚
てんふら
御湯
後段
御吸物
わり味噌
一 かれい
御肴 煮附一 ざこ
わらひ
焼とうふ
同 一 ほや
同 一 くわんたい菜
ひたし
同 一 たこ
御吸物 一 黄□付□たゝき
わらひ
葉せり
御硯ふた 一 鱒小串
鮭子籠
粕漬鮎
玉子
くり
串梯けふり
みの虫つけ
御供女中
五寸 汁
香物 めし
台引 かと
赤魚
するめ
吸物 一 赤魚
な
肴 一 にしん
やきとうふ
わらひ
同 一 たこ
御供諸士御吸物・御酒被下置、何も同断
御仲間共ニ 煮附
□るあいニて
御酒被下
昼時分御出、暮前御帰り也
廿二日
歳暮之御内書被下旨藤枝宮内殿御達候、依之御中丸中ノ口江家
来壱人宛最早可被差出候、以上
三月廿二日 大目付
北 監 物 殿 奉
下田 将監 殿
内堀 大蔵 殿
下田 右門 殿
漆戸左司馬 殿
右役人
右御差紙へ奉点ニ遣ス
右ニ付、御城使宮野庄作上下着用罷出候処、大目付吉田唱殿出
座被致候、先江御徒目付広蓋江 御内書戴せ持参庄作罷出候前
江差置候間、直々頂戴退出仕候、以上
右御請御登 城可被遊候処、夜前より少々御不慎ニ被為入候
間、米沢十蔵殿江御頼合被遊候て御登 城被遊候趣ニ御取繕
い被遊ル、大目付吉田唱殿御承知之十蔵殿為御挨拶御入来被
仰由
一 風烈ニ付、御触来ル
口上之覚
私嫡孫去ル二日出生仕候間、此段御訴申上候、以上
三月廿二日 小川口 今 治
廿三日
廿四日
御用之儀御座候、御家来壱人御中ノ丸中ノ口江御上ヶ可被 成
候、以上
三月廿四日 野々村 圓 蔵
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江御家来御上ヶ可被成候、
以上
三月廿四日 沢 里 勇 馬
北 監 物 様
右差紙文言例より少違有之候得とも御家来と申処、御上ヶと
申処違無之候故、御返書認遣ス
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意
存候、以上
三月廿四日 北 監 物
野々村 圓 蔵 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口へ家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
三月廿四日 北 監 物
沢 里 勇 馬 様
例之通認遣ス
右ニ付、御城使宮野庄作罷出候候様
屋形様来ル廿七日朝五時御供揃ニて御社参被遊候
廿八日聖寿寺江御仏詣被遊候、例之通相心得候様ニ申達ス、御
目付御手塞ニて御徒目付*口市之丞申達之
廿五日
当御足袋御願之事、昨日御物書頭梅村要之丞殿御招谷地治懸合
候様御口上書取調、今日大目付宮手弥市殿江被差出給候由、紙
面ニて申来ル
口上之覚
拙者儀畳*有之折々腫痛仕候ニ付、御医師坂本了元得療治罷有
候、依之、痛有之節は夏中も足袋相用申度奉願候、以上
三月廿五日 北 監 物
廿六日
廿七日
今朝 屋形様御社参之御刻限、火ノ見櫓戸相払櫓番下り居ル
廿八日
今朝 屋形様聖寿寺御仏詣被遊候ニ付、御門前飾桶差出、火ノ
見櫓戸を相払何も前例之通
一 先日御足袋御願之儀御物書頭梅村要之丞殿へ御頼被差出候ニ付
、例之通昨廿七日御奉書御到来ニも可有之存候得は、為御請御登
城可被遊候得共、此間御風邪ニ被為 入候ニ付、右御請御登
城被遊候筈ニ大目付中江御取繕御頼合被成置候得共、今日之御
奉書ニ候得は御請之儀御登 城被遊候積りニ御取繕被遊候ても
今日 天量院様御祥月御払参も被遊兼候事右候得は、彼是齟齬
仕候間御病気之旨大目付江御届向梅田繁助殿へ御頼被遊候、尤
、御奉書御請之儀は北彦助様御登 城被成候筈ニ是又大目付江御
取繕之儀御頼被成ル、来ル朔日月次御登 城被遊兼候趣前以前
日猶又御届ヶ被成候間是共ニ御頼被成候、右御届向何も御城使
ヲ以御届被遊候筈之趣也
右喜之進罷越候て繁助殿頼入候也
別紙之通藤枝宮内殿御達候間、被得其意御同列中不残様無遅滞
通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥市方江可被相
返候、以上
三月廿八日 大目付
北 監 物 様
楢山 帯刀 殿
右役人
八幡屋敷と是迄相唱候処、以来普門院屋敷と相唱可申旨被 仰
出
三月廿八日
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
三月廿八日 北監物内 汲 川 命 助印
御城中ノ口 御用使
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・帯刀被申付候、尤、
御銘々様より不及御御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可
仕候、以上
三月廿八日 楢山帯刀内 田沢 兵右衛門
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
桜庭 兵庫 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
右廻状桜庭兵庫様江御廻達申候
南彦八郎様・奥瀬内記様、右御両所御留主故廻状ニは御名面相
除キ別段ニ通達致し、御廻状・御書付写取候て御役人へ差遣ス
汲川 藤助 罷越
大萱生 外 衛
東 勘解由
北 監 物 殿 新渡戸 丹 波
毛馬内 蔵 人
藤 枝 宮 内
御手前儀畳*有之、折々腫通仕候ニ付、夏中も痛有之節は足袋
相用度旨申上願之通被 仰出候間可被得其意候、以上
三月廿八日 藤 枝 宮 内
毛馬内 蔵 人
新渡戸 丹 波
東 勘解由
大萱生 外 衛
北 監 物 殿
大萱生外衛 様
東 勘解由 様
新渡戸丹波 様 北 監 物
毛馬内蔵人 様
藤枝 宮内 様
御手紙致拝見候、拙者儀畳*有之、折々腫痛仕候ニ付、夏中も
痛有之節は足袋相用申度旨申上候処、願之通被 仰出、難有奉
得其意候、恐惶謹言
三月廿八日 北 監 物
継隆 花押
大萱生外衛 様
東 勘解由 様
新渡戸丹波 様
毛馬内蔵人 様
藤枝 宮内 様
右御請御城使宮野庄作持参御目付沢里勇馬殿御手塞ニて御徒目
付佐々木伊兵衛江相渡
右御請御登 城之儀 御表様御病気ニ付、彦助様ヲ以被仰上候
積り其御筋被仰入
一 今八時分大目付宮手弥市殿より梅田繁助殿ヲ以被申越候は、来
月朔日月次御登 城六半時相揃候様最寄御通達被成候様御家老
中御内達ニ付、無急度御通達有之様口上ニて申来候、依之、御
家老中御名前相知不申候、且、来月朔日以来六ツ半時相揃候事
歟、是等訳合も御分被成かたきニ付、繁助殿より弥市殿江為問
合之為紙面被差越候得共留主ニて無其儀、依て繁助殿江被仰向
、 左之通御廻達被遊
但、御口上ニて御通達也、御使袖扣左之通
手扣
今日大目付宮手弥市より御家老中内達之趣内々申来候、来月朔
日月次御礼登 城剋限六半時相揃候様、無急度最寄りニ御同列
中御嫡子中江も御通達申候様申来候間、御通達申候
三月廿八日 桜庭兵庫様御役人 泉 沢 織 太
毛馬内近江様御役人 原 田 義兵衛
桜庭周防様御役人 高橋 久右衛門
漆戸左仲様御役人 山 内 善兵衛
楢山帯刀様御役人 田沢 兵右衛門
野田豊後様御役人 玉 川 長太郎
向井寛司様御役人 飯 田 源 内
三戸縫殿様御役人 川 村 嘉藤治
右は湯川四郎治相勤
奥瀬治部様御役人 小笠原治左衛門
下田右門様御役人 櫛引 友右衛門
漆戸左司馬御役人 高 橋 末 吉
下田将監様御役人 礒沼 平右衛門
岩間将監様御役人 往田 久右衛門
黒沢傳左衛門様御役人 小 本 千度見
内堀大蔵様御役人 高桑 吉右衛門
右は小原才助相勤
大ヶ生石見様御附役 内 村 伍
毛馬内左門様御附役 一 条 定 見
中野出雲様御附役 岩 花 直
八戸冨吉様御附役 中 館 右茂江
東彦七郎様御附役 梅 内 定
新渡戸圖書様御附役 新渡戸 九 蔵
但、御同家之由取次
右は宮野庄作相勤ル
廿九日
一 御代香 安 田 喜之進
四月朔日
月次御礼 御表様御病気ニ付、不被遊御登 城候
一 御代香 安 田 喜之進
勤番相済、今日罷下ル
一 高坂 才右衛門
勤番ニ付、今日出番
二日
一 御代香 高坂 才右衛門
一 鹿角飛脚三人来ル
一 工 藤 忠治郎
妻
不縁ニ付、離縁之旨訴出ル
一 守 田 七 郎
下知之又鬼共熊打留ニ付、胆八匁余差出ス、皮は他郷之又鬼組
合ニて打留候付、向方江皮相添知申来ル
三日
御子様方御下屋敷江八時被為入
御供 尾形 射右衛門
汲 川 命 助
工 藤 弥太郎
君成田 泰 助
瀬 川 市太郎
御草り取
女中供
一 風烈来ル
一 弥六郎様以手廻様御湯治ニ付、湯元江被進候御肴左ニ
一 鱸 壱本
一 ます 壱本
一 かれい 三枚
右つとニして、弥六郎様御屋しき江遣ル、外まんちう三袋代三
百文□
四日
去月十日大湯大圓寺杉願書差出、左之通
口上覚
拙者庫理数年ニ罷成大破仕候ニ付、建直仕度奉存候得共到て困
窮之檀家共助刀も及兼候躰ニ御座候、依之、寺内之杉壱丈廻よ
り壱丈六尺廻迄三本・三尺廻五本・四尺廻り五本合拾三本、右
之内壱丈以上三本、此節望人も御座候間、他払仕右代料ヲ以建
直仕度奉存候、願之通被下置候ハヽ難有仕合奉存候、此旨御序
之節宜被 仰上被下度奉存候、以上
申三月十日 大圓寺
米 田 主 蔵殿
君成田寛右衛門殿
山 口 庄之進殿
右願之通被 仰付候間、山師両人江申達之、重右衛門・巳之助
右杉願書大圓寺出頭、報恩寺江可差出処、此節大圓寺病気ニ付
、旦中両人罷出候て故衆蜜永祥院より願書差出候様、住僧罷出候
て願書可差出処、旦中計ニては相成兼趣申聞候間此訳永祥院・
報恩寺江申訳いたしニ付、慈愛を以右願書取納ニ付、願書は差
出ス
五日
八幡丁・表丁之内、四ツ家村より夜四時過出火ニ付、御人数罷
出ル
右出火ニ付、相詰候諸士
安 田 喜之進
湯 川 四郎治
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
大川原 川
善 治
当番 庄右衛門
清 助
藤四郎
六日
風烈来ル
一 波岡 傳右衛門
勤番ニ付、相詰ル
一 佐 藤 武
内用有之由来ル
一 晴山幸右衛門二男伊四郎義、去春出奔致候処、去ル五日朝立戻
り候段訴出、依之、幸右衛門恐入差扣申上候処、願之通被 仰
付、小山田萬江申遣申渡候、右ニ付嫡子悠恐入差扣申す処、其
儀不及旨被 仰出、申渡之、尤、伊四郎儀逼塞被 仰付、幸右
衛門江御預被成之旨被 仰出
七日
一 晴 山 悠
領内御用ニて関口江被差遣、直々小山田江も御法事為御知、御
使者
一 瀧田村御百姓平兵衛家、昨夜七時自火ニて焼失人馬怪我無之旨 訴出候段小山田萬より申出ル
右焼失ニ付、御訴書立紙ニて上包ハ上ノ字認ル
御訴申上候事
北監物知行所八幡通御代官所之内瀧田村平申処家今暁寅上剋自
火ニて焼失仕候、尤、人馬怪我無座候、此段御訴申上候、以上
文化九年閏四月七日
北監物内 波岡 傳右衛門印
御目付中様
右訴書梅田繁助殿相頼差遣ス、尤、傳右衛門手紙ニて申渡候処
一 御城中ノ口御用使御同心江請取、差出
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
四月七日 北監物内 宮 野 庄 作印
御城中ノ口御用使 御同心 泉沢右源太 持参
今日大目付中より、御書付壱通・御廻状壱通来ル
新渡戸丹波殿御渡候演説書写壱通相達候之間、被得其意御同列
中不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手
弥市方江可被相返候、以上
四月七日 大目付
北 監 物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
演説
前々内丸新馬場と申来候処、以来松之馬場と唱可申候
一 右馬場ニて以前より内丸住居之高知所持之馬乗替場処ニ御定被
指置候処、近年ニ至り右場所指置門前等ニて乗馬致候哉ニ付、
往来之差支ニも相成候間、以来門前ニて乗替致候事は相扣、右
松之馬場申合致手入、右場所ニて所持之馬乗替稽古可致旨通達
可申候
四月
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
四月七日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 高坂 才右衛門
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
右御廻状并御書付到来ニ付、桜庭兵庫様御役人江手紙差遣
北監物内 高坂 才右衛門
桜庭兵庫様御内 御役人中様
以手紙致啓上候、然は御用儀ニ付御懸合申度候間、只今之内屋
敷江御越被成候様致度候、右可得御意如此御座候、以上
四月七日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物様御内 高坂才右衛門様
御紙面之趣致承知候、以上
四月七日
桜庭様御役人泉沢織太相扣候て高坂才右衛門此度之御達し之趣
談合候て、中野様江織太道道ニ付相談として罷越、中野様御用
人川村庄助と申者罷出談し合候、筑後様江も伺之上申聞候者、
此義之松之馬場を此方桜庭周防様預り之場所ニ御座候、然処、
数十年手入も不致候得は荒地ニ同様ニ罷成候、御相談は是より
段々可致旨申聞候望ニて両人罷帰ル
八日
一 谷 地 治
勤番相済、今日出立罷帰ル
一 御代参 小 原 才 助
米内薬師江
一 佐 藤 武
内用相済、今日出立罷帰ル
昨日差出候廻状順達相済、桜庭兵庫様より相戻ル
以本紙は此方様より大目付宮手弥市殿返上
御城使 宮野 庄作 持参
宮手弥市殿、取次伊藤藤市と申者江相渡
九日
晴山幸右衛門差扣願上候処、願之通被 仰付、依之、同名晴山
伊右衛門・同成見・同直右衛門恐入差扣申上候処、其義不及旨
被 仰出、小山田萬江申遣申渡之
十日
晴山 伊右衛門
二男 軍治事
内堀大蔵様御*人菊松殿新堀村住居右菊松殿聟養子仕後ニ御家
来ニ相成候筈、右之通願上候処、願之通被 仰付、申渡之
一 大川原 安兵衛
内用相済、出立罷帰ル
十一日
御表様去月下旬より御病気ニ付御届被遊候処御全快被遊ル、御
届向ハ御城使を以大目付江御届被成候処、梅田繁助殿御内々御
頼御届ニて相済、尤、御城使を以御届被成候稀ナり
一 御徒 中 原 安之丞
御法事御用之相談
十月十二日 了儀様百回御忌
七月十九日 献珠院様五十回御忌
御法事之処、御取越御一処十二日御法事御執行被遊
目録
一 金弐両 御布施雑用
一 卒塔婆 弐基
一 八木 片馬
一 造花 二瓶
一 麦板 五十人前
一 杉重 壱組
一 干菓子 五斤
以上
四月十一日 御使者 上下 晴 山 悠
右之通立紙ニ相認ル
右請取り来ル
聖寿寺 納所
右請取江
北 監 物 様 御使者
御法事御遠夜ニ付、御招御方様
御新宅 八 戸 冨 吉様
同 東 彦七郎様
同 新渡戸 圖 書様
同 黒沢 傳左衛門様
中ノ御居間中 日戸 宇右衛門殿
御新宅 表 村 松 縫 太様
中ノ御居間中 七 戸 勝之助様
同断 彦 助様
中ノ御居間 梅 田 繁 助殿
同断 四 戸 吉 太殿
御新宅 表 八 戸 民之助様
同断 村松 権右衛門殿
中ノ御居間 両 川 傳 庵
嶺松院様
おいそ殿・おはま、 嶺松院様御老女
御法事ニ付、御菓子
一 杉重 壱組 中御屋敷御使者
一 同 壱組 新御屋敷御使者
一 同 壱組 南御屋敷御使者 工 藤 悠
一 同 壱組 黒沢 傳左衛門様一 同 壱組 七 戸 民 人様一 同 壱組 八 戸 弥六郎様 御手廻様より
一 干菓子 十袋 八 戸 冨 吉様一 杉重 壱組 向 井 寛 司様一 同 壱組 浦上 治郎兵衛殿一 干菓子 弐袋 服 部 左 織殿一 杉重 一組 東 勘解由様一 同 壱組 南 彦八郎様一 同 壱組
嶺松院様
一 同 壱組 村 松 喜八郎殿一 同 壱組 新渡戸 丹 波様一 同 壱組 白 石 環殿一 同 壱組 梅 田 繁 助殿
一 同 壱組 川井 源左衛門殿一 干菓子 弐袋 彦 助様一 杉重 壱組 日戸 宇右衛門殿一 こんにゃく 弐十丁 簡 左 治殿
平 賀 善 治殿
森岡并両御知行諸士より、御菓子差上ル
御献立
御吸物
一 うと
しひたけ
まめふ
いもまき
しそ
御酒菜 御壱組
一 はたけ
むすひかんけ
す巻とうふ
一 ゆり揚
砂筒れんこん
一 竹の子
きのめあひ
大五寸
一 藤たけ
はふたい
松たけ わかい
御五寸 長いも 御 汁 さんきうと
花こんにゃく わらひ
まき婦 竹わとう婦
竹の子せん 大豆婦揚
御 飯
引て御香物
御台引 雪餅
うつまき
こんふ
御菓子 三盛まんちう
以上
十二日
御表様四時御仏詣被遊
御供 小 原 才 助
小山田 里 治
君成田 泰 助
御駕籠
御箱
御草り取
合羽籠 壱荷 弐人
御表様江御提重ニて御敷物上ル、御酒添付ハすヽニて
奥様江、同断
奥様四時過御仏詣被遊
御供 上下 尾形 射右衛門
同 汲 川 命 助
同 晴 山 悠
同 安 田 栄 蔵
同 瀬 川 市太郎
御駕籠
御長刀
御箱
御草り取
合羽籠 壱荷 弐人
御寺詰 波岡 傳右衛門
安 田 喜之進
高坂 才右衛門
御取次 湯 川 四郎治
諏 訪 良 蔵
医師 浅 井 養 元
御徒 小 原 安之丞
御寺詰引取候処ニて為御挨拶
御使者 上下 汲 川 命 助
一 御徒 小 原 安之丞
御法事御用相済出立罷帰ル
一 御法事御用ニ付、相詰候御小者共不残立遣ス
十三日
於勝様御始御子様方、桜馬場稲荷御祭礼有之、御出
尾形 射右衛門
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
汲 川 命 助
工 藤 弥太郎
瀬 川 市太郎
君成田 泰 助
御草り
御肴一折かれい、御重まんちう二重御もたせ
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様、兵庫・帯刀被申付候、尤
、御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
四月十三日 楢山帯刀内 田沢 兵右衛門
桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
御次第不同
北 監 物 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
御高知御連名 御役人中様
大萱生外衛殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥
市方江可被相返候、以上
四月十三日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
覚
只今迄御供方之者竹宮桐野相用来候処、御同席様御供方竹宮桐
野相用候御立合少なく候ニ付、以来は御供方之者一同竹宮桐野
相止メ黒宮桐野限相用可申候、尤、諸士一同御供方加被 仰付
候節ともニ右同様相心得黒宮桐野相用可申候
但、自分江戸往来之節は何宮相用候ても不苦事
一 諸組付之者共御供ニ罷出候節は青地合羽ニ限り相用可申候
一 諸御道具桐野以成黒宮御用被成候間、兼て相心得居御用意可仕 事
一 御長柄御小者等御供之節は赤宮合羽相用可申候
一 御家中一同供若党并中間小者之類、都て是迄之通何宮ニても不 苦事
四月
右御書付・御廻状来候間、下田将監様江順達也
田館庄右衛門持参也
大湯御同心 弐人
一 瀬 川 定 助
内 川 作之丞
米才領ニて来ル
十四日 中 十五日
御表様卯中剋月次為御礼御登 城被遊
御供 小 原 才 助
晴 山 悠
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り
合羽籠 壱荷 弐人
大目付中御書付・御廻状来ル
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
四月十五日 北監物内 宮 野 庄 作印
御城中ノ口御用使
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
四月十五日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 高坂 才右衛門
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 殿 御役人中様
新渡戸丹波殿御渡候御書付壱通相達候間、被得其意御同列中不
残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥方
江可被相返候、以上
四月十五日 大目付
北 監 物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
覚
一 盛岡 本御蔵
新御蔵
右両御蔵米足預手形、来ル十九日より来月十九日限御蔵内之外
御蔵元江指出書替候様被 仰付
一 郡山 御蔵
花巻 両御蔵
黒沢尻 御蔵
右同断
四月
南様・奥瀬様、此節御留主故御書付・御廻状別段相認御役人共
迄差遣、御次より
右御本紙桜庭兵庫様御家来内川佐惣治江相渡、廻状は下田将監
様江順達
田 館 清 助
下田将監様御取次
提傳と申者相渡候由
一 御肴 一折 かれい
右は 松田小十郎殿継目御礼申可ニ付、被遣
一 御肴 一折 かれ
右は 東勘解由様御登御蒙りニ付被遣、尤、勘解由様御手廻様
江、此方様御手廻様より
御表様、七時東解由様御登為御祝儀御出被遊、御供御平常之通
御駕籠
御草り取
覚
一 玄米三百駄也
但、壱駄七斗四升入
右は監物知行所毛馬内通御代官所大湯村物成米所限ニて相払可
申処、小場之事故此節相片付兼候ニ付、三戸御代官所江附越
相払百姓共手当仕度奉存候、依之、来月百駄・六月百駄・七月
百駄、右三ヶ月ニ附越申度候間、夏坂御番所通御切手被下度奉
存候、以上
四月十五日 北監物内 波岡 傳右衛門印
御勘定頭中様
右書付、大里治六殿相扣波岡傳右衛門相頼差出ス
右御切手并毛馬内御代官処江、御勘定処より封状夏坂御番所切
手共大里治六殿持参ニて受取、尤、宰領御同心来候ニ付、右御
切手封状共為使遣ス
御同心 遠 越 喜三治
遠 越 丑 松
但、御切手御官処江之封状、十七日ニ出ル
十六日
御表様七時先頃御法事御執行被遊候ニ付、右為御挨拶御出被遊
、 御供御平常之通
御駕籠
御草り
御家門様三ヶ処弥六郎様・東様・新渡戸様・南様・黒沢様・村
松殿迄、端午御上物例年之通江戸表人請合御筆頭江御書為御登
被成ル、此節福田弥五右衛門殿請合也
一筆令啓上候、弥御無異珍重存候、将又、例年之通 上々様江
端午上物代料為差登申候、可然頼入存候、随て貴様江も右為御
祝儀銀五匁令進覧候、猶、波岡傳右衛門より受納御頼可申候、
以上
四月十六日 御名
福田弥五右衛門様
一筆啓上仕候、唱和御座候得共、弥御安康可被成御勤仕珍重奉
存候、将又、旦那より例年之通 上々様江端午上物代料金壱歩
為差登申候間、可然様奉頼候、尤、御手前様江も銀五匁致進上
候間、御受納被下度候、此旨拙者より宜得貴意申付候上に如此
御座候、以上
四月十六日 波岡 傳右衛門
福田弥五右衛門様
右之通相認白木状状ニて御筆頭中相頼為差登
御法事ニ付、御菓子御寺江御使者来ル、御方様江御捻被差出、
御高知様方江
一筆致啓上候、然は先頃法事之節は被入御念寺預御使者着次第
奉存候、右御礼可得御意如此御座候、恐惶謹言
四月十五日 継隆 花押
十七日
御表様九半時御家門様方江、先日御法事為御請御出被遊、御供
御平常之通
御箱
一 大湯 御同心
御米宰領来ル
遠 越 喜三治
遠 越 丑 松
十八日
御城内正一位稲荷大明神御奉納御籏結,丈壱丈弐尺二福、右簗
田平陸殿江御頼被成、尤、染等迄梁田殿江御頼被成候処、梁田
殿ニて染師江頼候て出来
十九日
今日桜御馬場ニおゐて火風西□御祭礼有之ニ付、 御子様方御
出被遊、村松喜八郎殿江
御供 尾形 射右衛門
諏 訪 良 蔵
大川原 叶
君成田 泰 助
瀬 川 市太郎
工 藤 弥太郎
御草り
鵜焼 一重
柏餅 一重
村松喜八郎殿江為御持也
廿日
御表様黒沢傳左衛門様・村松喜八郎殿先日御法事為御挨拶御出
、 御供御平常之通
御駕
口上之覚
私妻不縁離縁仕候、此段御訴申上候、以上
四月廿日 三 和 三 亭
廿一日
廿二日
大湯 御同心
三 上 弥 平
曲 田 清 助
御米宰領ニ来ル
廿三日
口上之覚
諏 訪 今 司
孫 女
つ や
坂 本 了 元
妻
右之通縁組仕度奉願上候、以上
四月廿三日 諏 訪 今 司
右願上候上候処、願之通被 仰付ル
廿四日
工 藤 逸 平
親類江内用ニ付、罷出ル
一 大沢川原出火壱軒焼ニて相済
右ニ付、相詰人数
安 田 喜之進
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
湯 川 四郎治
大川原 叶
田 館庄右衛門
倉 沢 善 治
廿五日 清 治
野清助
廿五日
兼 平 判五郎
渕 沢 龍 太
勤番ニ付、相詰ル
於綾様、丹波様江御出被遊、御泊り
御供 尾形 射右衛門
汲 川 命 助
君成田 泰 助
瀬 川 市太郎
御駕
御草り取
まんちう 一重
鵜焼 一重
花丸之御主江入為御持
廿六日
安 田 喜之進
郡山江御内御用ニ付被遣、尤、日帰りニ被 仰付ル
晴 山 悠
勤番相済罷帰ル
宮 野 庄 作
松御馬場御御変請ニ付、見廻し当分被 仰付
今日大目付中より、御書付弐通并御廻状壱通来ル
御城中ノ口御用使江請取、左之通
覚
一 御書付 弐通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ請取申候、以上
四月廿六日 北監物内 宮 野 庄 作印
御城中ノ口御用使
右御用使御同心 泉 沢 清 蔵
新渡戸丹波殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥
市江可被相返候、以上
四月廿六日 大目付
北 監 物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
覚
道中具足櫃輪工入高知は弐認持相用可申候、壱人持輪工入ハ御
用人より御役人迄相用可申候、御使番より以下之者入輪工は相
扣泥具計附相用可申候
一 具足櫃留皮之色近来色々ニ取替候者も有之哉ニ相聞得申候、都
て武器類之儀ニ付候ては、以前より家々用来候通ニいたし、時
々物数寄らしく取替候事ニは、相用来候通ニ相据可申候、尤古
来朱皮相用申候家々も有之候ハヽ、以来朱皮ニ相改可申候、乍
然朱皮と申候ても近来ハ本来紅皮之類用ひ者も有之哉ニ相聞得
候、右様ニては不宜候、以前之通黒メ之朱皮相用可申候、且、
笈之具足櫃ハ場所ニ依り相用候て不苦候、両掛抔之様ニ拵候類
ハ相扣可申候、惣て有来之通之具足櫃相用可申候
一 具足櫃差札并荷札等大小区々ニては不宜候間、別紙之通相心得 可申事
四月
覚
輪工入具足櫃差札
曲尺ニて
竪 壱尺三寸五分位
幅 三寸位
輪工不入具足櫃同
同
竪 壱尺三寸位
幅 弐寸五分位
荷札
同
竪 壱尺弐寸五分位
幅 弐寸三分位
右は大小之無差別相用可申事
四月
御達御本紙ニは御書付壱通と認来候処、右写江も御本紙之通御
書付壱通相認差出候、廻状江は御書付弐通相認候て差出ス、右
之伺之上
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
四月廿六日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 高坂 才右衛門
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
右廻状取調候て桜庭御役人江差越候手紙、左之通
北監物内 高坂 才右衛門
兵庫様御内 泉沢織太様
以手紙致啓上候、然は御用儀ニ付、御懸合申度候間、只今之
内屋敷江御越被成候様仰付候、右可得御意如此御座候、以上
四月廿六日 兵庫内 泉 沢 織 太
監物様御内 高坂才右衛門様
返事
御紙面之趣致承知候、以上
四月廿六日 君成田 泰 蔵
諏 訪 善 蔵
勤番ニ付、相詰ル
飛脚 治 助
廿六日晩 出火
右夕顔向堂ノ前より
安 田 喜之進
諏 訪 良 蔵
湯 川 四郎治
安 田 栄 蔵
大川原 叶
倉 沢 善 治
同 清 治
田 館 清 助
三 郷 清 蔵
右人数相詰ル
廿七日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
四月廿七日 坂 牛 木 工
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江御家来壱人可差出付、得
其意存候、以上
四月廿七日 北 監 物
坂 本 木 工 様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、御家来諏訪令年孫女坂本
了元妻縁組願差出候、弥相違無之候哉申聞候ニ付、弥相違無之
旨相答御目付坂牛木工殿御用塞ニ付、御徒目付古木幸右衛門江
達之
廿八日 古木 幸右衛門
北監物様 御役人中
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江壱人被罷出候様宮手弥市殿
被申達候、以上
四月廿八日 北監物内 高坂 才右衛門
返事
古木幸右衛門様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江壱人罷出候様宮手弥市殿御
達之趣承知仕候、以上
四月廿八日
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、此間梅田繁助を以御伺被
成候、松之御馬場松枝剪取候ニ付、明九時御見分被 仰付、被
差遣候間此旨御心得立合可申旨、大目付宮手弥市殿御用塞ニ付
御徒目付古木幸右衛門被申達之
状箱置札江は北監物様御屋敷
先日差出候御廻状順達相済候て戻候ニ付、御本紙御名下江奉点
ニて大目付宮手弥市殿御 城使君成田泰蔵持参返上、取次伊藤
東市江相渡
御弐物宰領御同心大湯来候、一方井武七
廿九日
御目録
如例年切支丹宗門就御穿鑿宗旨書上申事
一 手廻何人内何々
臨済禅宗何寺
右之通御座候御法度之切支丹宗門之由、脇より申出候ハヽ御穿
鑿之上越度可被 仰付候、為後証之依て如件
文化九年四月 御名 御中 御据判
米田清作殿
野沢 □殿
両御奉行殿
目録大方壱枚半江認ル
上包宗門目録□認ル
廿九日朝安田栄蔵を以、宗門御奉行米田清作殿江出ス
今日 妙凉様一周御御相当ニ付、御茶湯御入斎聖寿寺江安田喜
之丞を以被 仰入候、尤、当年八三度之御法事故、御差ゑつみ
被遊候ニ付、御茶湯計
目録
一 青銅 弐百疋 御布施雑用
一 卒都婆 壱基
一 斎米 五升
一 干菓子 十袋
以上
四月 御使者 兼 平 判五郎
御代香 兼 平 判五郎
宮 野 庄 作
汲 川 命 助
瀬 川 市太郎
小 原 才 助
勤番相済罷帰ル、飛脚治助罷帰ル
御米宰領大湯御同心来ル
一方井 源 蔵
瀬 川 栄 助
中ノ御居間御客
八木沢 市 蔵殿
川井 源左衛門殿
恵傳庵
奥御客
嶺松院様
御惣客様
二階御客 和井内 惣 八殿
長井 理右衛門殿
相伴 波岡 傳右衛門
御献立
御吸物
わりミそ
一 揚きんかん婦
白しめち
かと
ふき
御酒菜
一 す巻とふ婦
わらひ
いも
一 かわたけ
せりせうか
一 ゆへし
足高くるみ
くわい
ところ
ゆりあけ
御汁
わらひ
さんき大こん
わかい
竹わとう婦
御五寸 御飯
しめ治
ゆり 御台引
いろふ 一 雪餅
竹のこ ゆへし
ゆつ揚
御菓子
三盛 まんちう
以上
去ル七日大目付中より御達ニは、松之御馬場帯刀様御手入之儀
内丸御住居御高知様方御手入、尤、弥六郎様御事は相除キ御手
入ニ付、中野筑後様・桜庭周防様前々より御預之御馬場之由、
右ニ付、当番高坂才右衛門被 仰付、桜庭兵庫様御役人泉沢織
太同道ニて中野様江罷越御役人江及相談候処、御役人共御主人
様江伺候て申聞候は、此方周防様御前より預之御馬場御座候得
共、御役柄故日勤ニ御座候得は御割合等之事も差ゑつミ候間、
其御屋敷承ニ付御取扱被下度と申聞候、猶又両人罷越候間、及
相談候処、頓て右之趣故桜庭様御役人織太及相談候と、兎角御
銘々様より御仲間共差出候て御手入も早ヶ取兼可申ニ付、請負
之者為積書差出之候処、至て不都合之趣ニて段々懸合之上仕様
を以弐拾貫弐百文被相渡仕様左之通
覚
内丸松之御馬場御帯刀様積□□右御馬場之内竪五十五間程横五
間程、坪数弐百八拾坪并外通三百六拾坪之内、土手際通四拾坪
相除キ残り三百弐十坪合テ六百坪之処、草根堀取地高之処土手
江賦り上土手一躰ニ持ならし御馬場之内堀ならし其上江壱坪江
砂片馬宛敷ならし積書上ル
一 拾六貫文 人足代
鍬かつさひ
ことつこう 検断
右は本積より御中屋敷より柴くれ八十坪駄賃引、土手際通四十
坪引て如此
一 四貫弐百文 砂百四拾駄
右は壱駄ニ付三拾文宛、壱坪ニ付片馬宛ならし候筈
〆弐拾貫弐百文
右之通積書奉差上候、願之通被 仰付被下置度奉願上候旨
四月 請負東□村 三右衛門印
八まん丁 弥 助印
三御屋敷御役人中様
右之通積り書差出候ニ付、才右衛門中野様江罷越及懸合候処、
御馬場見廻し之懸り之者工藤源太御主人様被申上候処、如何様
可然事ニ御座候ニ付、桜庭様江も右之段及相談候、是ニて相極
り請負之もの共江申付ル、四月廿六日より取付ル
(図省略)
松ノ御馬場絵図面如斯
右御馬場江砂一坪江片馬敷積り、土手江有来り之柴くれ有合程
敷土手根通より前壱間程残し、前柴くれ取候積ニて請負江相渡
内丸住住居御高知様御高割ニて御出、銅壱石ニ付壱文七り当た
り左之通
一 高弐千八百石 中 野 筑 後様 出銅弐貫九百九十文
一 高弐千三百四十八石弐斗八升弐合 此 方 様
出銅弐貫五百十三文
一 高九百石 毛馬内 蔵 人様 出銅九百六十三文
一 高千石 八 戸 美 濃様 出銅壱貫七拾文
一 高千石 楢 山 大 和様 出銅壱貫七十文
一 高六百石壱斗 南 彦八郎 様 出銅六百四十弐文
一 高弐千百六十六石八斗弐升弐合 桜 庭 兵 庫様 出銅弐貫三百十八文
一 高八百石 下 田 将 監様 出銅八百五十六文
一 高千弐百四十石三斗 楢 山 帯 刀様 出銅壱貫三百弐拾七文
一 高四百石三斗五升壱合 毛馬内 近江 様 出銅四百弐十八文
一 高五百五十石 奥 瀬 治 部様
出銅五百七十八文
一 高千石 桜 庭 周 防様 出銅壱貫七十文
一 高千百石三斗 漆 戸 左 仲様 出銅壱貫七十七文
一 高九百五十石八斗 野 田 豊 後様 出銅壱貫拾六文
一 高千百石 内 堀 大 蔵様 出銅壱貫百七十七文
一 高五百五十石弐斗 下 田 右 門様 出銅五百八十八文
一 高四百五十石 漆 戸 左司馬様 出銅四百八十壱文
惣高合壱万八千八百五十六石八斗八升五合
出銅合弐拾貫弐百文
壱石ニ付、壱文七り当り
一 八戸弥六郎様御馬場も有之候ニ付、除
一 三戸縫殿様江は御通達申候得共、御無縁ニ付御割合相除
右割合御出銅為相談御家老中様・美濃様・蔵人様・大和様御役
人共迄高坂才右衛門・泉沢織太右両人同道ニて罷越懸合候、扨
また銘々様江手紙差越御役人共招旁相談左ニ記ス
南彦八郎様 御役人
奥瀬治部様 御役人
下田将監様 御役人
内堀大蔵様 御役人
下田右門様 御役人
漆 戸 左司馬様 御役人
右書訴ハ
此方様江高坂才右衛門より手紙差出ス
楢 山 帯 刀様
漆 戸 左 仲様
毛馬内 近 江様
桜 庭 周 防様
北 田 豊 後様
御役人共江
右五軒江桜庭兵庫様御役人泉沢織太より手紙差出ス
一 松ノ御馬場乗馬指支ニ相成候松ノ枝剪取候事、大目付中梅田繁
助殿ニ御内々御達申来候ハ前廉ニ御届可有之由申来候内、八木
沢十蔵殿を以明日御見分被仰付候ニ付、立合候様御沙汰ニ付、
廿九日御見分有之候、剪取候木数左之通
かれ松 壱本 六尺廻程
生木松 壱本
くるみ 三本
松枝 十六本程
右御見分之人数
御掃除奉行 照井 多左衛門殿
御徒目付 古木 幸右衛門
刀指 高 橋 善 六
御長柄 壱 人
右ニ付、壱人左之人数
高坂 才右衛門
見廻 兼 平 判五郎
中野様より見廻し 工 藤 源 太
桜庭兵庫様より 泉 沢 織 太
見廻し 侍 壱 人
桜庭周防様より見廻し 侍 壱 人
刀指高橋善六、木数・枝数書留御見分相済罷帰ル
一 五月朔日大目付中より八木沢十蔵殿を以御沙汰ニは先日御見分
之木明日御剪らせ被成候間、懸り之者立合可申旨御達ニ付、二
日願より取付剪取
右は木は以上ニて御きらせ被成ル
御掃除奉行 照井 多左衛門殿
刀指 高 橋 善 六
右両人来ル、御馬場江
右立合之者
此方様より 高坂 才右衛門
桜庭兵庫様より 泉 沢 織 太
此方様より 兼 平 判五郎
中野様懸り之者 工 藤 源 太
桜庭兵庫様より 侍 壱 人
周防よりも 侍 壱 人
五月中
朔日
今朝端午御祝儀御中丸江、御肴干鱈一折御献上被遊、卯ノ上刻
ニ差出ス
御肴台江御下札如斯
御城 使上下着用
君成田 泰 蔵
草り取 壱 人
乗台持 弐 人
宰領 三 郷 清 蔵
御城使君成田泰蔵罷出候て、御坊主江相頼候は
北監物家来ニ御座候御徒目付中懸御目度由頼入候処、御徒目付
村松定七罷出候ニ付、泰蔵申聞候ハ北監物献上之御肴持参仕候
、大目付中江被仰上被下度旨頼入候処、定七申候は当番御目付手
塞ニ付、拙者預置候由ニて定七江相渡泰蔵申聞候ニは大目付中
と申候処、如何致候て御目付三浦忠左衛門殿手塞と答候哉、続
テ岩間将監様御家来御肴持参致し差出候者江も右同断之由
御表様、月次為御礼卯ノ中刻前御登 城被遊
御供 小山田 里 治
渕 沢 蔵 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取
合羽籠 壱 荷
御表様御下 城後聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御籠
御草り取
御年男 谷 地 澄 太
下御年男 三 助
今日相詰候
今日
御表様月次為御礼御登 城被遊候処、於殿中大目付吉田唱殿を
以至極御内々従御家老中様より御達被成候を、去月廿七日之晩
御 城近辺に三弦之音相聞得達御聞大奥より御人被遣候て、御
聞届被成候処、右之家も相知甚心得違之事ニ思召候、依て以来
毎月之廿八日・五日は格別之御日柄之事故廿七日・廿八日・四
日・五日は音曲等ハ相扣候議と思召候旨、右之義は銘々心得も
可有之ニ付、表立 御沙汰とは申ニは無之候、右之応候思召入
之義故自然右躰之義有之候ては不宜候間御心得ニ御達申候、尤
、 外御上と忌も御祥月は五日・廿八日同様ニ相心得候様ニとの
思召之由、至極御内々もよりニ御達可被成と被申候ニ付、今日
御上り之御方様江は直々御達御登 城無之御方ハ左仲様江は左
司馬様、岩間将監様江は近江様御達候積、南様在江戸ニ付御留
主江御見舞ニて被 仰達候筈、内記様江は治部様より御留主江
為御御前被成候筈
御沙汰依て記之
御下宿後八木沢十蔵殿を以、御内々唱殿より被申上候を先刻御
内々申上候節御達申上度御座候、右は来ル五日端午ニ付、座頭
罷出四日より五日迄上謁段小うたニて三弦引候事も可有之候、
三弦不為引ほうしやいたし候て返し様上へも至極御内々被申上
候、右御達御順、桜庭兵庫様より楢山帯刀様御順列ニ御達之筈
、 南様江は頓て御見舞之節被 仰達候筈
五月朔日
二日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
五月二日 沢 里 勇 馬
北 監 物 様
御用之儀御座候間御中丸中ノ口江家来壱人ニ差出旨、得其意存
候、以上
五月二日 北 監 物
沢里 勇馬 様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、来ル五日 屋形様聖寿寺
江御供揃ニて御仏詣被遊候ニ付、門前通例之通掃除等櫓戸開申
候様当番御目付手塞ニ付、御徒目付石亀都合達申之
御表様九時大沢川原辺御出被遊、夫より聖寿寺江御仏詣被遊候
、 御供御平常之通
御籠
御草り取
御帰殿後、南彦八郎様御留主為御見舞御出被遊
御供 三 人
御箱
御草り取
三日
覚
一 御さかな 一おり
一 御たる 一 か
御惣客様江、弥六郎様御手廻様より
五月三日
覚
一 御さかな 一おり
一 御たる 一か
御惣客様江、嶺松院様
五月三日
此方様より弥六郎様江
覚
一 御さかな 一折
一 御たる 一か
御惣客様江、監物様御手廻様より
五月三日
覚
一 御さかな 一おり
一 御たる 一か
嶺松院様江、監物様御手廻様より
五月三日
弥六郎様、御表江は別段御継合目録を以被仰進ル
御内所江之御肴は奥より差出也
御使者上下 諏 訪 善 蔵
猶以 御嫡子様、被成御座候御方様は御附衆迄御通達可被下候
以廻紙致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫・帯刀被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御順達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
五月三日 楢山帯刀内 田沢 兵右衛門
桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
御次第不同
北 監 物 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
大萱生外衛殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
嫡子方江も無遅滞可有順達候、尤、銘々より不及挨拶各より吉
田唱方江可被相返候、以上
五月三日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
来十日於御新丸御舞台御能有之候ニ付、拝見被 仰付候間上下
継肩衣勝手次第着用、朝六ツ時相詰候之様被 仰出候
但し二三男共ニ拝見被 仰付候上下継肩衣勝手次第着用罷出
可申候、以上
五月三日
下田将監様江御廻達
御使 三 郷 清 蔵
端午為御祝儀御肴被進候御方
干鱈一折宛 太田 作右衛門殿
上 田 善 佐老
村 角 軍 助殿
佐羽内 勇 蔵殿
下斗米 小四郎殿
外
干鱈一折 阿栄部江被下
赤魚五枚一折
干鱈一折 千代部江被下
赤魚三枚一折 諏 訪 兵 司
安 田 喜之進
被下
御表様東勘解由様江被為入
御供 諏 訪 善 蔵
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御駕籠
一 諸白三升宛
御坊主 根 子 長 悦
夏 村 守 景
右両人端午御祝被下ル
四日
松之御馬場致出来候ニ付御出、個之御方様江廻紙差出文面
以廻紙致啓上候、先日及御相談之松之御馬場手入申付候処、昨
日致出来候、此段為御知申候、段々御順達被成留之御方より廻
紙御返却可被成候、以上
五月四日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 高坂 才右衛門
毛馬内蔵人 様 御役人仲様
八戸 美濃 様 御役人仲様
楢山 大和 様 御役人仲様
南 彦八郎 様 御役人仲様
下田 将監 様 御役人仲様
楢山 帯刀 様 御役人仲様
毛馬内近江 様 御役人仲様
奥瀬 治部 様 御役人仲様
漆戸 左仲 様 御役人仲様
野田 豊後 様 御役人仲様
内堀 大蔵 様 御役人仲様
下田 右門 様 御役人仲様
漆戸左司馬 様 御役人仲様
猶以御名列相違無御座候ハヽ御用捨可被下候、以上
御表様八時聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕
御草り取
大湯御同心 弐 人
御米宰領ニ来ル 山 口 庄 八
宮野 勇左衛門
一 松之御馬場御手入ニ付御出、個之御方
楢 山 帯 刀様
毛馬内 近 江様
漆 戸 左 仲様
野 田 豊 後様
右は桜庭兵庫様ニて御扱被成候故、兵庫様御役人廻紙差出候由
一 鳥目五拾疋 宮守御百姓共より端午御礼銭差上ル、肝入臣代
輩ニ付、名代之者罷出ル
右ニ付、御料里・御酒被下置ル
四日御夕御膳御献立
御五寸 鱒焼魚 御汁 鱈
わらひ
うと
御香者 御飯
御台引 一 かれい
するめ
色付あわひ
御猪口 一 みつあい
御重 一 竹のこ
にしん
みつあい
御砂鉢 一 御香物
御手酒上ル
五日朝御膳御献立
御五寸 くつ引 御汁 うとさゝ
こんにゃく くりきのこ
いも 春巻
竹のこ とうふ
やきふ
わらひ
御香物 御飯
御台引 一 たなこ
するめ
玉子
御猪口 一 みつ
御重御小砂鉢前之通
御手酒上ル
奥様御痛処被為有ニ付、四日御膳御汁江は別段、すい上ル
例年四日・五日御日柄ニ候得共此度別て座頭門語り相止メほう
しや計ニ返し候様之御内達も御座候故、五日ニは前以御肴一統
江被下置来候処、相扣以来如斯右は御内々伺之上也
五日
御表様、端午為御礼卯上刻御登 城被遊
御供 兼 平 判五郎
湯 川 四郎治
安 田 栄 蔵
渕 沢 龍 太
三器御道具 御鑓 長九郎
御箱 作 助
御立傘 勘 太
御草履取 源 蔵
合羽籠 壱荷 弐 人
一 御肴 一折
一 御樽 一荷
已上
右は弥六郎様江御継合目録、杉原弐枚ニて相認御使者上下着用
勤之
大目付御廻状并御書付来、受取書
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
五月五日 北監物内 小山田 里 治印
御城中ノ口御用使
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様不及御挨拶御通達相済候迄、拙者共より御届可仕候、
以上
五月五日 桜庭兵庫内 泉 沢 織 太
北監物内 高坂 才右衛門
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人仲様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
大萱生外衛殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱
方江可相返候、以上
五月五日 大目付
北 監物 殿
桜庭 兵庫 殿
右御役人 ミタマ
御廟前々在之候、御鳥居を以来御霊門と相唱可申旨被 仰出
五月
右之通取調候て兵庫様御役人中江手紙差遣ス
北監物内 高坂 才右衛門
桜庭兵庫様御内
御役人中様
以手紙致啓上候、然は御用儀ニ付御懸合申度候間、只今之内屋
敷江御越被成候様致度候、右可得御意如此御座候、以上
五月五日
高坂才右衛門様・泉沢織太御紙面之趣致承知候、以上
五月五日
桜庭兵庫様御家来山崎善平と申者来候
御本紙并廻状共ニ相渡差遣ス
右御書付御廻状壱通宛弐枚相認、南彦八郎様・奥瀬内記様御留
主故別段御達如此、諏訪善蔵持参相達
如御恒例於御居間御礼被為 請
御酌代 小山田 里 治
御肴粽共 大川原 叶
御加 諏 訪 良 蔵
御肴粽 君成田 泰 蔵
御加 工 藤 弥太郎
御礼列
谷 地 澄 太
安 田 喜之進
高坂 才右衛門
尾形 射右衛門
君成田 泰 蔵
痛処申来ル 兼 平 判五郎
諏 訪 善 蔵
渕 沢 龍 太
湯 川 四郎治
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
小山田 里 治
大川原 叶
君成田 泰 助
倉 沢 善 治
田館 庄右衛門
谷 地 澄 太
右之通
六日
上包ニ手扣書付一通
一 稲荷御祭礼中十八日より廿日迄御賑い為御□□銘々門前江水或 ハ葛水出シ置参詣往来之者勝手次第遣候事
但、葛水は手桶江入片木ニても上江置茶碗壱つ壱つ弐つひさ
しともニ添置候事
五月
上包
廻状
今日当番罷出候所、御家老中より御目付穴沢宇多太を以別紙演
説之趣御通達申候之様被申聞候間手扣書付及無心直々御廻達申
候間、段々御順達留之方より廻状共御返却可被成候、以上
五月六日 漆 戸 左司馬
北 監物 様
下田 将監 様
奥瀬 治部 様
漆戸 左仲 様
内堀 大蔵 様
下田 右門 様
岩間 将監 様
黒沢傳左衛門様
山本右兵衛 様
猶以葛水江砂糖御入可然候、急度御人御附置被成候ニと及下申
候、彰ニても被差置可然趣宇多太内達ニ御座候、尤、綱御門よ
り右之御方御同列中江は御通達申候ニは及不申趣ニ申聞候間、
御人数御除申候、此段左様御承知可被成候、御名列相違も御座
候ハヽ御用捨可被下候、以上
右状箱共ニ下田将監様江御順達事
下田将監様御取次柏崎千蔵江相渡
御表様南彦八郎様江御留主為御見舞御出
御供 小山田 里 治
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御箱
七日
奥様弥六郎様江、端午為御祝詞為入為御持物
覚
一 御さかな あふらめ 一おり
一 御たる 一か
弥六郎様・御夫婦様江、於民様より
五月七日
覚
一 御さかな あふらめ 一おり
一 御菓子 まんちゅう 二重
御惣客様江、於民様より
五月七日
覚
一 御さかな あふらめ 一おり
一 御たる 一か
御惣客様江、於勝様より
五月七日
覚
一 肴 赤魚三枚 一折
嶺松院様御役人江
一 肴 赤魚三枚 一折
御末御役人江
一 肴 赤魚五枚 一折
御老女江
一 菓子 あんやき 二重
惣御女中江
以上
五月七日
一 谷 地 澄 太
下御年 三 助
端午御用相済今日罷帰
乍恐奉願上候事
私儀未熟之者御座候得共結構被 召仕冥加至極難有仕合奉存候
、然ル所去月廿六日より疝積痛相煩、当御町医藤井立意・森田文
友、毛馬内御町医瀧玄維・折壁道仙得療治、様々薬用仕候得共
追日病症差重、近日ニ至痰喘相加昨今存命不定ニ罷成候、依之
、恐多申上様ニ奉存候得共私儀男子無之女子御座候間、瀬川保右
衛門四男善八当十二歳ニ罷成候、此者婿養子仕度奉願上候、重
畳恐入奉存候得共、万一之儀も御座候ハヽ、此者私式跡被 仰
付被下置度奉願上候、以 御憐愍願之通被 仰付被下置候は難
有仕合奉存候、此旨御序之砌可然様御取成被 仰上被下度奉頼
候、以上
文化九年申五月朔日 工 藤 忠次郎印
諏訪 兵司 殿
谷地 治 殿
波岡傳右衛門殿
乍恐奉願上候事
私共親類工藤忠次郎儀去月廿六日より疝積痛相煩罷成候所、段
々病躰差重其上近日ニ至痰喘相加昨今存命不定ニ罷成候、依之、
恐多奉存候得共瀬川保右衛門四男善八当十二歳ニ罷成候、此者
婿養子ニ仕度奉存候、万一之儀も有之節は重畳恐入奉存候得共
、此者跡式被 仰付被下置度奉願上候、以御憐愍願之通被 仰付
被下置候者親類一統ニ難有仕合奉願候、此旨宜敷様御取成被
仰上被下度奉頼候、以上
文化九年五月朔日 曲 田 泰 作
瀬川 保右衛門
一方井軍右衛門
諏 訪 善 蔵
森 田 七 郎
君成田寛右衛門
工藤 清右衛門
諏訪 兵司 殿
谷 地 治 殿
波岡傳右衛門殿
乍恐奉願上候事
私四男善八儀工藤忠次郎婿養子仕度段望申候間、差遣申度奉願
上候、以御憐愍願之通被 仰付被下置候者難有仕合奉存候、此
段御序之節可然様御取成被 仰上被下度奉頼候、以上
文化九年申五月朔日 瀬川 保右衛門
諏訪 兵司 殿
谷地 治 殿
波岡傳右衛門殿
奥様端午為御祝引御里江被為入
於勝様御同断
御子様方同断
奥様 御供上下 尾形 射右衛門
諏 訪 良 蔵
諏 訪 善 蔵
君成田 泰 助
御駕籠
御箱
御草り取
於勝様 御供上下 兼 平 判五郎
安 田 栄 蔵
工 藤 弥五郎
渕 沢 龍 太
御駕
御箱
御草り取
押 女中供
御飛脚 治 助来
八日
善光酒三斗白木樽みの魚壱本梅村要之丞殿被遣、右は宗門御目
録御頼ニ付、来ル十日ニ登ニ付、前広へ被遣外御筆頭江は追て
被遣筈也
九日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
五月九日 山 田 要 助
北 監 物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
五月九日 北 監 物
山田 要助 様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、此度稲荷御神事ニ付、大
湯御同心五人来ル十四日迄為相詰候様御達申候、尤、御目付山
田要助殿御用塞ニ付、御徒目付船越八右衛門被申達ル
御表様東様江被為入
御供 小山田 里 治
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
〈今日東勘解由様江、干菓子箱入壱貫文一処御肴一折三枚すい
為御見立御祝被遣、尤、御内所より被遣ル〉
御箱
奥様御子様方御下屋敷江被為入
御供 尾形 射右衛門
渕 沢 龍 太
諏 訪 善 蔵
大川原 叶
安 田 栄 蔵
君成田 泰 助
暮辺御灯燈ニて御帰殿也
晴 山 實
内用ニ付、昨日相詰候処内用相済候て今日下宿
風烈来ル
御城内稲荷御籏御奉納、大御納戸奉行北田新右衛門殿江御籏竿
共ニ相渡
御使者 兼 平 判五郎
十日
御表様卯ノ上刻御新丸於御舞台御能御興行被遊候ニ付、為御拝
見被為入、未ノ下刻御帰殿
御供 羽織 兼 平 判五郎
同 諏 訪 良 蔵
同 大川原 叶
御草履
御鎗
御箱
御次より両人宛一時代
御弁当龍田川御提重
御酒染付御鈴壱ツ
御茶道具
御丁子御燭鐺
炭差越候処、御坊主長悦不入候由ニて相返
御弁当附添 安 田 栄 蔵
右は御坊主根子長悦江相渡
今日御新丸江御能拝見罷出候処、大萱生外衛殿より御目付吉田
唱を以別紙御書付壱通御同列中江御通達申候様被相達候間御通
達申候、段々御順達留之御方より廻紙共御返却可被成候、以上
五月十日 御名
下田 将監 様
野田 豊後 様
漆戸 左仲 様
内堀 大蔵 様
向井 寛司 様
三戸 縫殿 様
猶以服中ニても水垢離取候得は致参詣候て不苦旨是又御通達申
候様唱申聞候、御連名之外御同列中江は於御新丸御達申候間致
除名候、尤、御名列相違も御座候ハヽ御用捨被下度候、以上
右御廻紙十日ニ被差出候処、野田豊後様御廻紙ニ落し候ニ付
、筆者之誤り書落仕候ニて、野田様江梅田繁助殿波岡傳右衛門
相頼野田様御役人江申訳ニて相済、野田様も御存なし之御次
第御役人共の行違ニ相成候積り
兼て御達有之候稲荷御祭礼ニ付、銘々門前江水或は葛水差遣候
儀十八日より廿日迄差出候様相達候処、十七日夕より廿日迄差
出候様可申事
今日拙者儀当番罷出候処、御目付穴沢宇多太を以別紙御書付壱
通御同列中江御通達可申旨御家老中被 仰候旨達ニ御座候間御
通達申候、御順達留之御方より拙者許江御返却可被成候、以
上
五月十日 向 井 寛 司
北 監物 様
下田 将監 様
楢山 帯刀 様
奥瀬 治部 様
内堀 大蔵 様
下田 右門 様
岩間 将監 様
山本右兵衛 様
漆戸左司馬 様
猶以御名列相違も御座候ハヽ御用捨可被下候、以上
柏崎 米蔵 江渡
御使 渕 沢 龍 太
東勘解由様御登ニ付、為御見立□□久保茶辰立
御使者 渕 沢 龍 太
十一日
十二日
御用之儀御座候間御中ノ丸中ノ口江家来壱人御上ヶ可被成候、
以上
五月十二日 穴 沢 宇多太
北 監物 様
御用之儀御座候間御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存候
、 以上
五月十二日 北 監 物
穴沢宇多太 様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、御家来三和三平妻離縁之
旨弥相違無之哉之由、相尋候間泰蔵答ニは弥相違無之由答候御
目付穴沢宇多太殿御用塞ニ付、御徒目付寄木新蔵被申達ル
下小路御旅行江御神輿御通行ニ付、御道筋銘々門前掃除可申付
旨被 仰出候、左様御心得可被成候、以上
五月十二日 山 田 要 助
北 監物 様
下田 将監 様
奥瀬 治部 様
内堀 大蔵 様
岩間 将監 様
状箱置札も右之通御名江点ニて相達ス
十三日
古 沢 十 作殿
工 藤 周 平殿
七 戸 庄 蔵殿
御肴ましゑ
一 鱸
かれひ
あわひ 五つ
右は宗門御目録認方御頼被成候ニ付被遣、梅村要之丞殿江は去
ル十日江戸江出立ニ付是は九日ニ被遣、ミの魚壱本遣ル、関口
江被 仰付、みの魚被差出度筈之処、此節不勝負ニ付、右三人
江は如斯御音物
端午為御祝引新御屋敷へ
奥様 於勝様 於綾様今八時被為入
御供上下 尾形 射右衛門
諏 訪 善 蔵
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御草り取 壱 人
御物役 壱 人
女中 供共ニ
押
奥様 左近様 御夫婦様江生すい 一折
此面様江 同断
縵頭 二重
御役人江 干赤魚 弐枚 一折
御老女江 同断
惣女中江 あんやき 二重
雄山寺御口上願書差出ス
口上之覚
松齋様御法事之儀は兼て御届申上置候、然ル処当寺至て大破仕
拙僧修復手段及兼候ニ付、恐多申上様奉存候得共御見分之上御
繕被成下度奉願上候、此旨宜被 仰上被下度奉願上候、以上
申五月 雄山寺
北 監物 様
御役人中様
右願書雄山寺末山郡山勝源院持参差出ス
十四日
此度稲荷御祭礼ニ付、大湯御同心五人相詰候様被達候ニ付、今
日相詰候
三 上 弥 平
一方井 武 七
遠 越 丑 松
瀬 川 清 六
瀬 川 定 助
右五人
十五日
御表様月次為御礼卯上刻御登 城被遊
御供 兼 平 判五郎
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取
合羽籠 壱荷 弐 人
今日拙者儀月次為御礼致登 城候処、御家老中より大目付吉田
唱を以別紙御書付壱通御通達申候様被相達候間、御通達申候様
御順達留之御方より廻紙共ニ御返却可被成候、以上
五月十五日 御名
東 彦七郎 様
八戸 彼面 様
猶以服中ニても水垢離取候得は致参詣候て不苦旨御通達申候様
是又唱申聞候、以上
覚
此度榊山御旅所ニおゐて三元十八神道御行事御執行被遊、御守
札御引被下置候間、上下ニ御構不被成故頂戴仕度者共は十八日
・ 十九日両日参詣可致候
但、右御守札一万枚ニかきり候、御執行ニ候間一万枚之御守
札被下相済候後江参詣之者江ハ不被下事故、此旨ハ兼て相心
得居可申候
五月
十六日
御表様、三社江外諸社江御参詣被遊
御供 三 人
御籠
御草り取
一 嶺松院様、端午為御祝行御出御泊懸也
明後十八日より廿日迄御城内稲荷御祭礼ニ付、内丸三御門之外
無判無挑灯之者通用被 仰出候間、此旨左様御心得被成召仕之
者江も可被 仰含候、以上
五月十六日 御目付
内丸中
御表様、新御屋敷江暮時御出被遊
御供 小山田 里 治
君成田 泰 助
御草り取
十七日
一 先頃、相詰候大湯御同心御番処相勤候場処
孫御蔵御番処
本御蔵御番処
嶺松院様、端午為御祝行御出被遊候ニ付
御献上
御五寸 くしあひ 御汁 ふき
こんにゃく 竹わ
わらひ 焼とうふ
竹の子
御香物 御飯
御台引 一 塩引
たなこ
あわひ
御吸物 一さんせう油め
御肴 一 ほや
一 あわひ
一 しゅんきく
ひたし
女中 前之通
御引物 一 たなこ
干赤魚
玉子
稲荷御祭礼ニ付、御奉納之御籏今九時迄ニ下小路御旅所江御家
来壱人相添御上ヶ可被成候、以上
五月十七日 山 田 要 助
北 監物 様
猶以忌服有之候ハヽ御除キ可被成候、以上
右返事
稲荷御祭礼ニ付、奉納御籏今九時迄ニ下小路御旅所江家来壱人
相添可差出旨得其意存候、以上
五月十七日 御名
山田 要助 様
猶以忌服有之候ハヽ、相除キ可申旨得其意存候、以上
右御籏大御納戸より今日受取候ニ付受取書、左之通
覚
一 御籏 一流 竿共
右之通慥受取申候、以上
五月十七日 北監物内 兼 平 判五郎印
大御納戸
右請取書判五郎持参大御納戸より受取来ル
御奉納御籏、今九時ニ稲荷御旅所江兼平判五郎持参
御同心 御籏持共 壱 人
御竿持 壱 人
草り取 壱 人
右御籏兼平判五郎御旅処持参、御作事奉行伊藤仲右衛門殿江差
出候処、御籏立場処之事差図致候、然処、御家老中様之下も江
相立候故立場処変候旨懸合候処入□と立候処ヲ不苦候旨申聞候
、押々懸合候様も無之罷帰候由、右之趣伺候処、右ニては不相成
候ニ付、梅田繁助殿御内々御頼被成、下小路御旅処繁助殿判五
郎罷越、其筋方江懸合候て御籏立直し御順列相出候、右は仲右
衛門殿不案内之由相聞得候、然処、御徒目付舟越八右衛門江繁
助殿懸合候由ニて内々ニて相済ス由、御前御存なきの積り
一 葛水出し候次第
ふたせともの
二ツ内壱つ江さとう入
壱つ葛ノ粉入
茶わん五つ 諸口は弐つ位
末々江は三つ
片木 弐枚
竹さし 弐本
茶台 壱つ
台ノ下江 薄へり壱枚敷
番人弐人代り合、平常袴を着し脇差さし
番人 金 蔵
作 助
一 渕沢 多右衛門
御内御用相詰ル
一 大川原 安兵衛
内用有之相詰ル
一 高 瀬 政
右同断
十八日
於勝様御始
御子様方、朝六時御通為御見物川井源左衛門殿江被為入
御供 兼 平 判五郎
諏 訪 吉 蔵
大川原 叶
諏 訪 良 蔵
諏 訪 善 蔵
渕 沢 龍 太
安 田 栄 蔵
御草り取
右ニ付、為御持御肴
鱸 壱本
油め 弐枚
あわひ 五つ
御酒 五斗 一樽
まんちう 二重
朝御膳は源左衛門殿御支度被遊、昼時御弁当は差上ル
御提重椿、別段ニ
御むすひ 一重
御煎付は女中江
御先供 湯 川 四郎治
御表様八時御旅所稲荷御参詣被遊ル
御供上下 兼 平 判五郎
同 小山田 里 治
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御駕 四 人
御草り取
御立傘雨波取二 壱 人
御箱 壱 人
合羽籠 壱荷 手代共 弐 人
小奉書江包金銀水引
御初穂 三拾疋
二ノ宮・三ノ宮江三拾弐銅宛、外ニ御末社江三拾弐銅二ヶ処
、右御初穂は、杉原壱枚、包様は文化八年御城内江御参詣之節
御小用ニ有
一 万数之御守札今昼時迄ニ不残被下相済候由ニて御受不被遊候
一 今日於葛様御出被成、御供諸士江計御酒被差出ル
左近様、朝六時御通為御見物極御内々ニて御出被成ル、此節御
病気ニ御座候て御順に御届も無之候故極御忍ニて御入口共御末
御切戸口より御入被成ル、御帰りは山道崎馬をちんニて御帰り
十九日
御神輿明廿日六時前御通行ニ付、御通筋銘々門前掃除可申付旨
被 仰出候、此旨左様御心得可被成候、以上
五月十九日 山 田 要 助
北 監物 様
下田 将監 様
奥瀬 治部 様
内堀 大蔵 様
漆戸左司馬 様
穴 沢 宇多太
山 田 要 助
御神輿明廿日六時前御通行之旨被 仰出候、依之、兼て御沙汰
被成候葛水被差出門前掃除共ニ、兼て御達之通御同列中御人数
江御通達可被成候、以上
五月十九日
只今御目付穴沢宇多太・山田要助より紙面致到来候、則紙面を
以御廻達申候、段々御順達留之御方より御返却可被成候、以上
五月十九日 漆 戸 左司馬
亥ノ下刻相達、子ノ御順達申
北 監物 様
下田 将監 様
楢山 帯刀 様
奥瀬 治部 様
内堀 大蔵 様
下田 右門 様
岩間 将監 様
山本右兵衛 様
猶以刻附を以早々御廻達可被出候、尤、御名列相違も御座候ハ
ヽ 御用捨可被下候、以上
廿日
一 大川原 安兵衛
内用相済罷帰ル
高 瀬 政
右同断
御奉納御籏御旅所より御鎮座後、早速相下ル
上下 小山田 里 治
御同心御籏持御竿持 壱 人
草り取 壱 人
右御籏御徒目付船越八右衛門より受取
廿一日
一 御奉納御籏御竿共ニ、大御納戸江差出ス
奉行北田新衛門殿江相渡、先日差出置候請取書持参来ル
兼 平 判五郎
大湯御同心
谷 地 三 助
あられ宰領ニ来ル
廿二日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
五月廿二日 山 田 要 助
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
五月廿二日 北 監 物
山田 要助 様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、御知行処御同心五人御用
相済明日本処江御返し被成候、為御心得御達申候、尤、御目付
山田要助殿御用塞ニ付、御徒目付白濱六之丞被申達之ル
廿三日
一 大湯御同心五人、御神事御用ニ付、先日相詰候処、御用相済今 日出立罷帰ル
一 渕沢 多右衛門
御内御用相詰候処、痛処申出候て追雨罷有候、得快気今日出立
罷帰ル
一 宗門所下役鈴木律右衛門殿相招得内見候ニ付
御吸物 一
御肴 一 三種
御五寸 御汁
御皿 御飯
一 すい 一折 南彦八郎様御下着ニ付、御音物
廿四日
御表様七時愛宕山御参詣被遊、御供御平常之通
御駕
御草り取
廿五日
御表様八時、南彦八郎様・八戸弥六郎江為御見舞御出被遊直々
御帰殿
御供 三 人
御箱
御草り取
久吉様、暮頃材木町挑灯為見物御出被遊
御供 小山田 里 治
工 藤 弥太郎
君成田 泰 助
御草り
御挑灯片罷上ル
廿六日
今日宗門内見之内調候ニ付、鈴木律右衛門殿相招候処、同役小
原吉郎申□□共も同道ニて入来
御吸物 一
御肴 一にしめ
一
御吸物 一
御皿 御汁
御五寸 御飯
二ノ汁
御台引
廿七日
廿八日
花火相たて候儀、木ふし川原新山川原之外、中津川筋ハ勿論惣
て人家近処は可為無用候、縦令人家相離候ても田道等ハ耕作ノ
障りニも相成候条、是又相扣可申候、右之趣兼て被及御沙汰候
得共心得違之者も有之哉ニ付、猶又御沙汰被成候間、末々之者
江も得と可申含候、尤、御用捨被成候、両川原共ニ大仕懸ヶ之
花火ハ無用可仕旨被 仰出候、此旨左様御心得被成召仕之者江
も可被仰含候
五月廿八日 御目付
内丸中
御表様七時聖寿寺御仏詣被遊、御供御平常之通
御草り取
御駕籠
廿九日
一 工 藤 弥太郎
関口江内用有之、往来十日暇願上願之通被 仰出申渡之、今日
直々出立罷越
監物殿当宗門御改知行帳、明晦日八半時野沢續殿宅江持参差上
可被申候、以上
五月廿九日 宗門御奉行
監物殿内大川原 叶殿
安田 栄蔵殿
監物当宗門御改知行帳、明晦日八半時野沢續殿宅江持参差上可
申旨得其意奉存候、以上
五月廿九日 北監物内 安 田 栄 蔵
大川原 叶
宗門御奉行中様
御表様聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕
嶺松院様去ル十六日被為入候処、弥六郎様奥様病気ニ被成御座
候旨為御知ニ付、今日御帰被成ル
奥様為御見舞七時ニ弥六郎様御出
御供 三 人
御草り取
於勝様、夜八時弥六郎様江御出被成ル
御供 三 人
御草り
御表様、夜七時為御見舞御出被遊ル
御供 三 人
弥六郎様奥様御太病ニ被成御座候処、御勝レ不被成内御病死也
、 表立為御知は無之
弥六郎様より御太病之為御知御使者来ル、夜八時
奥様 於勝様晦日朝御帰り被遊
今日、大湯より蕗漬十二櫃御献上并御音物共ニ来ル
才領大湯御同心 曲 田 清 助
飛脚 茂 助
御献上
一 粕漬 拾三本入 壱櫃
下御屋敷
一 鯡入 五十壱本入 壱櫃
同断
一 粕漬 拾五本入 壱櫃
同断
一 生蕗塩漬 五十本入 壱櫃
御風味
一 粕漬 拾四本入 壱櫃
同断
一 鯡入 六十七本入 壱櫃
御音物
一 同 五十三本入 壱櫃
同断
一 同 五十本入 壱櫃
同断
一 同 六十五本入 壱櫃
同断
一 同 五十九本入 壱櫃
同断
一 同 七十五本入 壱櫃
同断
一 不鯡入 六十弐本入 壱櫃
〆拾弐櫃
弥六郎様之奥様、兼て御病気之処不被成御養生御病死之為御知
表立候て袖扣を以御使者為御知成候
此方様よりも右御挨拶袖扣を以御使者を以被 仰遣候、追刻
御表様、為御悔弥六郎様江御出被遊
御供 三 人
御草り取
御箱
弥六郎様之奥様御病死ニ付、盛岡諸士・諸医師江鳴物停止七日
被 仰出候ニ付申達之
一 関口御知行所江、飛脚相立鳴物之義傳右衛門より申出候、以上 六月朔日
月次為御礼六過時御表様御登 城被遊
御供 小山田 里 治
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取
合羽駕 壱 荷
蕗漬献上之次第
沢田左司馬様
北 監 物
安宅 登様
以手紙令啓上候、然は蕗粕漬一櫃御内々献上仕度差出候間、何
分可然様御執成頼入存候、以上
六月朔日
猶以命印差出申候、以上
(図)
台江御下札中奉書弐枚ニて、
御熨斗包中金銀水引黒塗御物戴
江乗路次之内ハ御服ニて覆ふ
正四ツ時差出御使者罷通候事は御養処前罷通御本丸御玄関より
差上ル
御使 兼 平 判五郎
草り取 壱 人
才領 曲 田 清 助
乗台 御仲間 弐 人
右献上首尾能相納
返書
沢 田 左司馬
北 監物 様
御手紙致拝見候、蕗粕漬一櫃御内々被差上遂披露候処、御満悦
之旨被 仰出候、以上
六月朔日
猶以御命印御返申候、以上
下御屋敷献上鯡入御上被遊候故、御熨斗包不渡
北 監 物
以手紙令啓上候、然は兼て御沙汰御座候蕗漬昨夜参着候間、今
日差上申度候、此段為御問合如斯御座候、以上
五月廿三日
御返書
北監物様高橋与四郎御手紙致拝見候、然は兼て御沙汰御座候蕗
漬昨夜参着候之間、今日被差上度旨為御問合御紙面之趣申上候
処、今日被差上候様御沙汰御座候、以上
六月朔日 御使 諏 訪 良 蔵
追刻献上物御上ヶ被遊
北 監 物
高橋与四郎様
以手紙令啓上候、然は先刻御問合申候、蕗漬別紙之通差上申候
、 宜御執成頼入存候、以上
六月朔日
猶以合印差出申候、以上
覚
一 生蕗塩漬 一櫃
一 蕗鮨鯡入 一櫃
一 蕗粕漬 一櫃
以上
高 橋 与四郎
北 監物 様
御手紙致拝見候、然は蕗漬御別紙之通被差上遂披露候処、御満
悦之旨被 仰出候、以上
六月朔日
猶以御合印引合判御返申候、以上
御使 小山田 里 治
草り取
才領御同心 曲 田 清 助
乗台 弐 人
御里之奥様御病死ニ付、御香奠
一 御表様より 金百疋
御使者上下 渕 沢 龍 太
奥様より 金弐百疋
於勝様より 同百疋
於綾様御始御子様方より 杉重一組
御香奠台 三ツ 御下札
奥様始 於勝様 於綾様御里江、為御焼香御出被遊
御供 尾形 射右衛門
兼 平 判五郎
小山田 里 治
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
渕 沢 龍 太
君成田 泰 蔵
御草り取 壱 人
御駕籠
女中供
押 三 郷 清 蔵
奥様 於勝様一処ニ御駕籠二丁ニて御出被遊
於綾様御跡より御駕籠ニて
御表様八時聖寿寺江御仏詣御出被遊、御供御平常之通
御駕
草り取
二日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
六月二日 鳥谷部嘉右衛門
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来可差出旨得其意存候、
以上
六月二日 北 監 物
鳥谷部嘉右衛門様
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、嘉右衛門殿御用塞ニて御
徒目付関栄八申達候は、来ル四日朝五時御供揃ニて
屋方様聖寿寺江御仏詣被遊候間、門前掃除等之事被 仰達ル
一 覚應院様今申ノ刻遠野江御出棺被成候ニ付、為御焼香八時御出 奥様 於勝様、御同心ニて
尾形 射右衛門
兼 平 判五郎
小山田 里 治
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
御駕籠 弐丁 八 人
御草り取 金 蔵
女中供 壱 人
押 壱 人
右早速御供帰り
七時 御表様御出
御供上下 兼 平 判五郎
同 小山田 里 治
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取 深 蔵
御供帰り無之、申ノ刻御出棺之由之処、夜ニ入候故挑灯壱対
差出ス
一 御門前辻堅
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
草り取 弐 人
箱挑灯 弐
御同心 弐 人
高張 壱 対
一 簗川迄為御使者
諏 訪 良 蔵
安 田 栄 蔵
草り取 弐 人
箱てうちん 片 □
右は 奥様 於勝様より之御使者也
三日
一 湯 川 四郎治
遠野江、為御使者今朝出立罷越
若党 勘 太
草り取 寅 助
清蔵若党ニ申付候処、夜中藤四郎ヲ以申出候は急卒ニ腹痛仕候
て如何共出立可仕躰ニ無之候趣申出候ニ付、勘太へ差遣申付ル
、四郎治へ為支度料三貫文被下置ル、外ニ遠野ニて遣い方も難計
ニ付、余計金壱貫五百文御渡被成ル、往来道中遣壱貫五百文御
渡被成ル、供之者道中遣銭等は何も四郎治より相払候事故別段
小遣等御渡不被成ル也、右前方之振合ニて如此
御葬式御跡御法事迄御代香被 仰付ル
右ニ付、御香奠金弐疋
奥様 於勝様より、御備御下ヶ札等迄取調遣ス
一 蕗宰領御同心今朝御返被成ル、飛脚は御用有之御留被成ル
一 今朝 御表様聖寿寺江御仏参、御供御平常之通
御駕
一 火之元為用心家来之者門前廻り被 仰付置候処、今晩より御免 被成旨毛馬内蔵人殿御達候、此旨可被得其意候、以上
六月三日 大目付
北 監物 殿
南 彦八郎 殿
下田 将監 殿
奥瀬 内記 殿
内堀 大蔵 殿
下田 右門 殿
漆戸左司馬 殿
右役人
右之奉点ニて遣ス
今晩より内丸三御門之外無判無挑灯ニて通用被 仰出候間、此
旨左様御心得被成召仕之者江も可被仰含候、以上
六月三日 御目付
内丸中
右両様共夜ニ入五時ニ来ル
四日
今朝五時過キ 屋形様聖寿寺江御仏詣、御門前掃除飾桶差出ス
、 何も例之通取計相済
御表様聖寿寺江御仏詣被遊ル、御手札御持参被遊ル、御供御平
常之通
御駕籠
監物殿当宗門御改知行帳御改相済候間、得其意可被申候、以上
六月四日 宗門御奉行
監物殿内 大川原 叶 殿
安田 栄蔵 殿
監物当宗門目録并知行帳御改相済候旨得其意奉存候、以上
六月四日 北監物内 安 田 栄 蔵
大川原 叶
宗門御奉行中様
五日
御表様聖寿寺江御仏詣被遊ル、御供御平常之通り
御駕籠
奥様 於勝様、弥六郎様江御出
右は明六日覚應院様御一七日ニ付、為御焼香御出被遊ル、杉
重壱組被為進ル
御供 尾形 射右衛門
御次より諸士 六 人
御駕籠 弐丁 八 人
御草り取 壱 人
女中供 壱 人
押 田 館 清 助
六日
七日
八日
大目付より御廻状并御書附来ル
別紙書付壱通相達候間、被得其意御同列中并御嫡子方江も不残
様無遅滞順達可有候、尤、向々銘々より不及挨拶各より吉田唱
方江可申聞候、以上
六月八日 大目付
北 監物 殿
南 彦八郎 殿
右役人
猶以玄関向キ之儀は、去年之御振合之通御心得可被成候
当暑中伺 御機嫌、来ル十二日・十三日・十四日右三日八戸弥
六殿被致対客候、此旨御承智可被成候、以上
六月八日 大目付
右ニ付、廻状差出左之通り
猶以 御嫡子様被成御座候御方様は御附衆迄御通達可被下候
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状并御書付壱通被差越
候付、右写各様迄致通達候様監物・彦八郎被申付候、尤、御銘
々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以
上
六月八日 南彦八郎内 福 士 伊兵衛
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
桜庭 兵庫 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
三戸 縫殿 様 御役人中様
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状并御書付壱通被差越
候付、右写各様迄致通達候様監物・彦八郎被申付候、尤、御銘
々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以
上
六月八日 南彦八郎内 福 士 伊兵衛
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
八戸 冨吉 様 御附役中様
中野 出雲 様 御附役中様
大萱生石見 様 御附役中様
東 彦七郎 様 御附役中様
新渡戸図書 様 御附役中様
毛馬内左門 様 御附役中様
右廻状三郷清蔵ヲ以差出ス
桜庭兵庫様御取次 松 田 運 助
八戸冨吉御取次 小原直次江相渡ス
取調方出来候処、南部彦八郎様御役人へ手紙遣相招候処、福士
伊兵衛病気ニ付岩崎徳右衛門と申者来候間、懸合候て御本紙彼
方より返上之筈申合遣ス
御使御同心江受取為致、例之通
右廻状御嫡子様方よりは八日晩三品毛馬内左門様より御返却也
御同列様方より十日昼三戸縫殿様より御返却也
右ニ付、御本紙は奉点致候て南様御役人福士伊兵衛遣ス
右使三郷清蔵御向御取次冨沢与一江渡
九日
一 今日八戸美濃様御下着為御知有之ニ付、以御使者御肴一折披す い弐枚被遣ル
御使者 渕 沢 龍 太
一 湯 川 四郎治
覚應院様、御葬式并ニ御跡御法事之節為御代香去ル三日被差遣
候処、何も無滞相済今晩罷帰ル、於遠野逗留中御丁寧之御取扱
共殊弥六郎様御目録被下置候事等申出ル、依之、同人為御請弥
六郎様御屋敷江罷越、御役人迄申置上下ニて罷越
同人御用首尾好相勤罷帰候ニ付、御吸物・御酒被下置
奥様 於勝様御逢被遊ル
十日
御表様八戸美濃様御下着ニ付為御怡御出、直々弥六郎様江御手
廻様御膝中為御見廻御出、御供御平常之通
御箱
十一日
十二日
当暑中 御機嫌御伺之御対客八戸弥六郎様ニて被成候ニ付、
御表様今暁寅ノ上刻御出被遊候
御供 兼 平 判五郎
小山田 里 治
君成田 泰 助
三御道具
御草履取 金 蔵
合羽籠 壱荷 壱 人
御牀几持 深 蔵
御挑灯 壱対 片方 三 人
御出前八時半分より遠見差出置
三 郷 清 蔵
外ニ 壱 人
六時御帰殿被遊ル
五半時より処々御廻勤被遊ル、御供何も前之通
今七時 奥様 御綱様 於崎様、弥六郎様へ御出被遊ル
右は 覚應院様二七日御逮夜ニ付、為御焼香御出被遊ル
御供 尾形 射右衛門
兼 平 判五郎
小山田 里 治
諏 訪 良 蔵
諏 訪 善 蔵
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御駕籠 弐丁 八 人
御草履取 壱 人
女中供 壱 人
押 三 郷 清 蔵
饅頭 弐重御持せ被成ル
十三日
上使来ル十六日有之御模様ニ付、為案内大目付・御物書より申
来ル紙面、左之通
置札
北 監物 殿
役人
右者大目付と有之状箱ニて来ル
松 尾 五兵衛
北 監物 様
御役人中
来ル十六日頃 上使有之候御模様ニ付、為御用意拙者より御内
々 為御知申候、以上
六月十三日
右返書
北監物内 安 田 喜之進
松尾五兵衛 様
来ル十六日頃 上使有之候御模様ニ付、為用意御内々為御知之
趣承知仕候、以上
六月十三日
右状箱江直々入遣
但、置札之役人と有之処江引墨ニて遣
十四日
御表様暑中為御伺御機嫌 慈眼院江御出、御供御平常之通
御駕籠
今暮前南彦八郎様より御手紙来ル
南 彦八郎
北 監物 様
弥御安全被成御座珍重奉存候、然は御用之儀御座候ニ付、親類
之内壱人藤枝宮内殿御宅江差出可申旨吉田唱・宮手弥市より申
参候、右ニ付御相談申度御座候間、最早御出被下度奉存候、右
得貴意候、以上
六月十四日
右御挨拶御口上ニて被仰下度由、依て、承知仕候由被仰遣
追刻 御表様御出、御供御平常之通り
御箱
御帰殿九時半過
南彦八郎様江被 仰渡書、左之通
覚
一 南 彦八郎
自分儀御帰国御使者首尾好相勤被下候砌、於道中積気差発逗留
数日ニおよひ候得共、病床症軽重之儀も御届不申上重キ御用相
蒙り往来致候心得不似合一ト通ニ打捨置候段、病中と乍申無始
末之致方無調法ニ付隠居被 仰付
六月
覚
一 南彦八郎 親類共
彦八郎儀一子も無之旨ニ及 御聴候間、相続之儀ハ追て可被及
御沙汰旨被 仰出
六月十四日
右ニ付、御口上書被差出
口上之覚
拙者親類南彦八郎儀御帰国御使者被 仰付相勤罷下候節、於道
中病気ニ付逗留及数日ニ候得共病症軽重之儀も御届不申上、重
キ御用儀相蒙往来致候心得ニ不似合下通りニ打捨置候段、病中
と乍申無始末之致方無調法ニ付隠居被 仰付候、依之、拙者迄
奉恐入差扣奉願上候、以上
六月十四日 北 監 物
右御口上書御物書頭古沢重作殿御招御取調、大目付吉田唱殿宅
江直々重作殿ヲ以被差出、早速其儀ニ不及之旨被 仰出之由、
唱殿より被仰越
但、御親類 ヲ以被差出候躰也、重作殿被帰候時子
ノ中刻也
早速為御請御登 城被遊候筈ニ候得共、夜中ニ至候ては御請等
之御登 城は斟酌可有之御法故、今晩は御上り不被遊候
十五日
御表様、月次御登 城被遊ル
御供 兼 平 判五郎
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草履取
合羽籠 壱 人
昨晩之為御請直々御城中ノ口より御上り、大目付中登 城前故
御目付鳥谷部嘉右衛門殿江被 仰達御引取被遊、夫より直々月
次御出仕、御玄関より御上り被遊候
松 尾 五兵衛
北 監物 様
御役人中
弥明十六日、 上使御使番沼宮内亘理殿其御元江被 仰付候御
模様御座候、猶此段為御知申候、以上
六月十五日
大御目付と有之春慶状箱来ル、置札
北 監物 殿
役人
右役人江引墨ニて遣ス
右紙面文面之内、明十六日と申処十五と有之、六月十五日之
日付十四日と有之ニ付、認違ニは可有之と存候得共返書認方
彼是一通り不申向も如何と兼平判五郎ヲ以松尾五兵衛殿へ申
遣候処、繁助殿江出会咄合ニ及候由、然ル処右は繁助殿之間
違之由ニて、右紙面相直し判五郎へ被相渡ル
右懸合ニ不拘返書は早速差遣ス
北監物内 安 田 喜之進
松尾五兵衛 様
弥明十六日 上使御使者沼宮内亘理殿被 仰付候御模様御座候
ニ付、猶此旨為御知之趣承知仕候、以上
六月十五日
今暮前南部彦八郎様江為御見舞、 御表様御出被遊ル、御供御
平常之通
御箱
御用之儀御座候間、御中ノ丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成
候、以上
六月十五日 穴 沢 宇多太
北 監物 様
右請書例之通
右ニ付、御城使君成田泰蔵差出候処、来ル十八日四時御供揃ニ
て、 屋形様御仏詣被遊候ニ付、門前掃除何も例之通り心得
候様被 仰達、御目付穴沢宇多太殿御手塞ニて御徒目付関栄八
申聞ル
十六日
今日為 上使番沼宮内亘理最早被遣候、此旨為御心得得御意候
、 以上
六月十六日 坂 牛 木 工
北 監物 様
今日為 上使御番沼宮内亘理最早被遣候ニ付、為心得被 仰聞
得其意存候、以上
六月十六日 北 監 物
坂牛 木工 様
一 上使御入来ニ付、御頼合之御方
北 彦 助様
高屋 傳左衛門殿
右御方上使御送迎之為敷出江御出座、御帰り迄御居附也
御表様御送迎之御次第、何も御限規之通り
一 御書院御床江、雲龍之大福之弐福対懸ル
〈是を間違ニて、記候御懸け物計ニて不飾取〉
一 青貝之棹庭鳥之香炉扇之香箱飾之
一 上使御刀掛向き一腰掛置之
一 御椽江毛氈敷之
一 御書院白木ノ間間の襖戸南ノ方二牧取放し、北之方明置
一 御広間四畳敷間之襖戸取り放し
一 白木之間間ノ戸取放し
一 色附之間 上使御通より見通し無之様、金屏風片方ニて折曲ヶ ニ立
一 色附之間江台子置、御茶道具飾置く
上江 茶碗
束々
茶□、尤、なつめの上ニ置
茶わん台ともに
下江 水さし
風呂之金輪据置く
衆之形ノ鉄ひん
水こほ□
脇ニ灰取火箸
右台子金之小屏風ニて囲、湯桶江汲立ノ水置く水呑茶碗ともに
右は暑中之砌故、若御好も有之節之用意
一 御懸手水色附之間ニ指置
一 御玄関向江薄縁り敷出し
一 御熨斗三方奉書二枚敷、御熨斗之間押置
右は 御表様御上被遊
一 御煙草盆 兼 平 判五郎
一 御茶 小山田 里 治
一 御菓子 湯 川 四郎次
但し、御皿鉢江盛り春慶木具江乗セ揚枝壱膳付ル、右御給仕
何も脇差帯
一 御刀番 安田栄蔵相勤
一 御傘 諏訪良蔵相勤
但、晴天故御玄関前江不罷出塀之内扣居ル、右何も脇差帯股
立午不取
一 御草履取
上使御帰御送之節敷出向江、御草里相直置手早く引取御稽古
場前塀裏ニ扣居
御家老 諏 訪 兵 司
波岡 傳右衛門
御用人加 尾形 射右衛門
右者御腰懸上ミのはつれより并居、 上使之方上座ニて
一 御取次 君成田 泰 蔵
諏 訪 善 蔵
右者御玄関脇格子下ノはつれより相并居
右何も脇差帯千足相用
一 御拝領物請取
御用人 安 田 喜之進
高坂 才右衛門
右者敷出向江罷出請取直々両人ニて持参、上段江兼て据置白米・
御肴台江手早く移おき、色付の間江引取御台直々御玄関より相
返、当御拝領物鶉五羽
一 御門番 大川原 叶
同下タ番 田 館 清 助
三 郷 清 蔵
但、上番大小相帯小門之方ニ罷有、下番役羽織袴着用大小ニ
て扉左右手を懸平伏、何も千足相用
一 遠見 壱番 三 郷 清 蔵
二番 金 助
右者綱門前御腰懸辺ニ罷有り、壱番は御拝領物御門内より持
出之処ニて注進、二番上使見得候処ニて注進
一 三番 作 助
右者御屋敷御新丸前角ニ扣居、上使御新丸角江御見得候処ニ
て注進
右何も役羽織袴着
一 御門前御門左右江飾桶指出
但、御玄関前通上使御見通江、何も不指置取片付ル
一 御門番処江畳敷渡山水之
絵御屏風壱双ニて、相囲御刀掛据置く
右は上使御入来前御拝領物注進有之処ニて、
御表様右場所ニ御待被遊候故、御刀掛据置く、御入来之節は
御刀掛屏風之茲江置く
一 上使沼宮内亘理殿午ノ中刻御入来、御送迎御取扱向何も御先規 之通ニて相済
一 御表様為御請直々御登 城被遊
御供上下 湯 川 四郎治
上下 小山田 里 治
羽織 渕 沢 龍 太
羽織 君成田 泰 助
三御道具
御草履 深 蔵
合羽籠 一荷 弐 人
押 三 郷 清 蔵
御家老中様御下宿ニて、大目付吉田唱殿江被 仰傳、直々御下
城より御礼勤御廻被遊
一 御拝領之鶉包丁被 仰付、指上
御吸物 一 御拝領之鶉
牛房セん
やきふ
御肴 一 数の子
同 一 ほや
きうり
御吸物 一 あふらめ
御肴 一 茄子焼
御皿 鱒の焼魚 御汁 なす
やきとうふ
生節
御香物
御五寸 くつ引くしかい 御飯
こんにゃく
ゆり
わかい
さしけ
御二ノ汁 すゝき
めうか汁
北 彦 助様
村 松 縫 太様
七 戸 添様
高屋 傳左衛門殿
梅 田 繁 助殿
八木沢 重 蔵殿
御表様 奥様御初 御惣客様江、右同断指上
但、奥様御忌中ニ候得供、格別之御拝領物之事故指上ル
一 詰合御役人共江御吸物御拝領之鶉・御酒被下置
諏 訪 兵 司
波岡 傳右衛門
安 田 喜之進
高坂 才右衛門
尾形 射右衛門
君成田 泰 蔵
兼 平 判五郎
御城使以来御役人江被下置候節は被下置候筈、此度被 仰出
一 嶺松院様江御素分被進ル、御表様之御口上ニて
一 七戸民人様江も被進、同断
一 沼宮内亘理殿江、御肴一折、あふらめ二枚
御使者上下着用 安 田 栄 蔵
御手前を御祝被遣之趣、御口上ニて
一 三戸主計様より御使者 阿 部 栄 吉
覚
一 三 戸 主 計殿
南彦八郎儀於道中無調法之儀有之隠居被 仰付候処、一子無之
ニ付、御舎弟縫殿儀 思召を以南家相続被 仰付候間、一両日
引越候様被 仰出
六月十六日
御表様御他行ニて、彦助様御出会御承知被成
一 南彦八郎様御間柄
六 戸 織 人殿
喜之進江被仰置ル
覚
一 南 彦八郎
自分儀隠居被 仰付、一子も無之由被及 御聴候ニ付、 思召
を以三戸主計殿御舎弟縫殿儀家相続被 仰付旨被 仰出
六月十六日
覚
一 南彦八郎 親類共
彦八郎儀於道中無調法儀有之隠居被 仰付候処、一子も無之由
被及御聴ニ付、 思召を以三戸主計殿御舎弟縫殿儀南家相続被
仰付
六月十六日
御表様為御怡中ノ御屋敷江御出
御供 兼 平 判五郎
渕 沢 龍 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草履取
直々南彦八郎様江御出、新御屋敷江も御出被遊ル
一 中御屋敷江、御肴一折 あふらめ
御使者上下ニて 小山田 里 治
草り取 壱 人
御肴台持 壱 人
右御玄関江罷越御取次ヲ以差出候処、御役人罷出御挨拶被
仰聞
一 御肴 一折 南 彦八郎様一 同 南 縫 殿様 右之通御使者ヲ以被遣上下着用
諏 訪 良 蔵
十七日
御表様江御親類中御寄合之由ニて御出、御供御平常之通
御箱
一 藤 岡 澄 見
斉 藤 甚五郎
右勤番ニ付、相詰ル
十八日
今四時過 屋形様御仏詣御通行ニ付飾桶出ス、何も前例之通取
計
御表様聖寿寺御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕籠
大源院様御祥月ニ付、御手札御持参被遊ル
一 南縫殿様御事、昨日彦六郎と御名改之由
一 諏 訪 宗 治
工藤 清右衛門
右勤番ニ付、相詰ル
一 大川原 安兵衛
右内用ニて出府
十九日
御表様暑中為御見舞、加賀野辺江御出、御供御平常之通
御駕籠
覚應院様三七日御相当ニ付、 御表様九時過キより御出、御供
御平常之通
奥様 於勝様 於綾様 久吉様御出
御供奥様之方 尾形 射右衛門
外ニ 諸士 三 人
お勝様之方 諸士 三 人
お綾様之方 同断
御駕籠 八 人
御草り取 弐 人
女中供 壱 人
押 壱 人
お綾様御歩行ニて御出也、 久吉様別ニ御跡より御出
御供 諸士 三 人
夜四時過キ御帰殿
御表様より杉重壱組
御使者 工藤 清右衛門
奥様より御香奠金百疋、 於勝様より杉重壱組、 御子様方よ
り干菓子五袋
右は御内所より被遣ル
廿日
一 君成田 泰 蔵
諏 訪 善 蔵
今日出立罷帰ル
一 兼 平 判五郎
渕 沢 龍 太
右同断
御表様弥六郎様江為御焼香御出被遊、御供御平常之通
御箱
御表様桜庭周防様・毛馬内近江様江暑中為御見舞御出、御供御
平常之通
御箱
廿一日
御表様三社江御参詣被遊ル、御供御平常之通
御駕籠
一 今暮斉藤甚五郎老母大病之旨飛脚ヲ以申来候ニ付、介抱之御暇 願上候処、願之通被 仰付、直々出立罷越ス
一 今朝南彦六郎様江、御名改為御怡以御使者御肴一折被遣ス
工藤 清右衛門
廿二日
廿三日
廿四日
御表様愛宕山江御参詣、御供御平常之通
御駕籠
直々為御見舞、永福寺へ御出被遊ル
以廻状啓上候、今日大目付中より御廻状壱通并御書付壱通被差
越候ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫・帯刀被申付候、尤、御
銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候
、 以上
六月廿四日 楢山帯刀内 沢田 武右衛門
桜庭兵庫内 内 藤 太郎平
北 監物 様 御役人中様
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
右廻紙之内御次第不同と申断書無之候
毛馬内蔵人殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、書上之儀は由緒御用掛り御目付江可
被差出候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱方江可被相返候
、 以上
六月廿四日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
覚
一 高知
由緒書上是迄実名書上不申候処、御吟味御差支之儀有之候ニ付
、銘々実名書上可申候、尤、嫡子は勿論二三男共ニ実名附候ハヽ
其節々書上可申事
但、相改候ハヽ、其度毎書上可申事
六月
右御廻紙南彦六郎様江御順達申候
田館 庄右衛門
南様御取次 木 村 丹 治渡
廿五日
御表様大清水辺江御廻勤、御供御平常之通
御駕籠
廿六日
今日南彦六郎様御事御実家より南家江御移被成候ニ付、右御祝
儀御待請之為 御表様九時御出、御供御平常之通
御箱
御出前御肴一折あふらめ二枚被差遣ス
御使 工藤 清右衛門
覚應院様四七日ニ付為 御焼香、 奥様、弥六郎様江御出
御供 尾形 射右衛門
外諸士 三 人
御駕籠 四 人
御草履取 壱 人
女中供 壱 人
押 壱 人
麦板、拾枚御出前差遣置
古 沢 重 作
波岡傳右衛門 様
昨日難有奉存候、其節被 仰付候御実名御書上ヶ別紙之通相認
懸り御目付野々村圓蔵殿江差出申候、則下書上ヶ申候、宜被
仰上被下度候、以上
六月廿六日 波岡 傳右衛門
古沢 重作 様
御手紙拝見仕候、昨日毎度御苦労ニ奉存候、其節奉頼候実名書
上之儀御認、懸り御目付野々村圓蔵殿江被差出被下候ニ付、右
下書被遣被下忝次第奉存候、早速可申聞候処、今日他行仕候間
、 帰宅次第可申聞候、為貴答如此御座候、以上
六月廿六日
口上之覚
北 監 物
ツクナカ
継 隆
右之通実名書上申候、以上
六月廿六日 北 監 物
野々村圓蔵 殿
沢里 勇馬 殿
右之通御実名共書上之御口上書、御物書頭古沢重作殿江頼入由
緒御用懸り御目付中江被差出
但、御口上書は宛処無シニて被差出候事ニ候得共、惣て由緒
御書上之事は御三家迚も懸御目付宛処ニて被差出候ものゝ由
、尤、此度之御書上之事懸り御目付江差出候様御達ニ候間、右
之通相認差出候事、若又、御両家より被差出候御振合ニ齟齬
致候得は重作殿引取、猶又、相改候趣被 仰聞
廿七日
御表様中御屋敷江御出被遊ル、右南彦六郎様御引移り之事、以
御使者為御知被成候ニ付、右為御挨拶御怡御出被遊ル、御供御
平常之通
奥様、東禅寺江御仏参被遊ル
御供 尾形 射右衛門
湯 川 四郎治
藤 岡 里 見
工藤 清右衛門
御駕籠
御箱
押
女中供 壱 人
廿八日
御表様聖寿寺江御仏参被遊ル、御供御平常之通
御駕籠
御用之儀御座候、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候、
以上
六月廿八日 坂 牛 杢
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
六月廿八日 北 監 物
坂牛 杢 様
右ニ付、御城使諏訪宗治差出候処、坂牛杢殿御用手塞ニて御徒
目付関栄八申達候は、八幡御奉納之御籏損有之趣申出候、依て
、 大納戸江懸合、右御籏見分之上取計い候様被申聞ル
右ニ付、諏訪宗治大納戸江差遣候処、早束御籏相下ヶ持参
覚
一 御籏 一流
右之通慥受取申候、以上
六月廿八日 北監物内 諏 訪 宗 治印
大御納戸
右之請取書引替相下ル
御表様、新渡戸丹波様江御出被遊ル、御供御平常之通
御駕籠
七時過キ御出、夜五時御帰殿也
廿九日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
於綾様、端午御祝儀旁今日丹波様御内神御祭礼有之ニ付、御出
於綱様 於崎様御同道ニて、御出
御供 尾形 射右衛門
外ニ諸士 五 人
御草履取 弐 人
押 壱 人
女中供 壱 人
為御持之御品
一 御肴 一折 あふらめ
一 饅頭 弐重
一 甲焼 弐重
右御先江差遣ス
今八時過キ御出、夜四時御帰り
於綾様御泊り被遊ル
七月朔日
御表様、月次為御礼今朝六時過御登 城被遊候
但、今朝南彦六郎様御家督御礼被 仰上候ニ付、為御礼之事
御頼合有之、依之、例刻より早御登 城被遊候
綱御門江遠見附置、扉開キ候処ニて御上被遊
御供 藤 岡 澄 見
小山田 里 治
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草履取
合羽籠 壱荷 壱 人
御表様聖寿寺江御仏詣被遊ル、御平常之通
御駕籠
端午之御内書被下旨八戸美濃殿御達候、依之、御中丸中ノ口江
家来壱人ツヽ最早可被差出候、以上
七月朔日 大目付
北 監物 殿
下田 将監 殿
内堀 大蔵 殿
下田 右門 殿
漆戸左司馬 殿
右役人
右御差紙 御名之下江奉点ニて遣ス
右ニ付、御城使諏訪宗治上下着用罷出候処、大目付宮手弥市殿
より御内書手移ニ御渡候間奉請取、此節出座御徒目付舟越八右
衛門也、即刻為御請
御表様御登 城被遊
御供 藤 岡 澄 見
小山田 里 治
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取 深 蔵
合羽籠 壱荷 壱 人
二日
大納戸より先日相下ヶ候御籏□候ニ付、今日大納戸江差出、諏
訪宗治持参、先日差出置候受取書相下ル
御表様聖寿寺江御仏参被遊ル、御供御平常之通
御駕籠
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
七月二日 沢 里 勇 馬
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
七月二日 北 監 物
沢里 勇馬 様
右ニ付、御城使諏訪宗治差出候処、勇馬殿手塞ぎニて御徒目付
古木幸右衛門申聞候は、今日御厩尻ニて不浄之塵焼捨候間、殊
ニ寄調立可申候間、此旨相心得候様被申聞ル
右之趣櫓番江申達ス
於綾様、丹波様江御出御泊之処、今晩御帰殿為御迎
御供 尾形 射右衛門
外諸士 三 人
外何も御出之節之通罷越
三日
御表様今朝丹波様江御出、御供御平常之通
御駕籠
御表様、弥六郎様并美濃様江御出、御供御平常之通
一 今晩八時上田門前丁出火有之御人数被差出、又重寿平と申仁之 裏屋家壱軒ニて消ル
右ニ付、相詰候人数
工 藤 隼 見
浅 井 養 元
場所詰之人数は不残罷出ル
上田丁処々江御使差遣、湯川四郎治相勤
四日
覚應院様三十五日之御逮夜ニ付、七時分より 奥様、弥六郎様
江御出
御供 尾形 射右衛門
外ニ諸士 三 人
御駕籠
御草履取
女中供 壱 人
押
杉重壱組為御持被遊ル
五日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
奥様、東禅寺江御仏詣被遊ル
御供 尾形 射右衛門
外ニ諸士 三 人
御駕籠
御箱
御草り取
押
女中供 壱 人
右 覚應院様三十五日御忌ニ付
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口最早壱人宛可被罷出候様宮手
弥市殿被申達候、以上
七月五日 古木 幸右衛門
北 監物 様
南 彦六郎 様
桜庭 兵庫 様
右御役人中
右差紙桜庭兵庫様江先ニ参候処、御名前之下江奉点ニて来ル、
依之、此方ニても其通奉点ニて遣ス
但、右躰之差紙是迄相達候事無之候
上使之節御徒目付より之手紙連名ニて来候得共、御壱人様限
りニ御役人中と有之候故点ニて遣候処、此度之差紙右御役人
中と有之候故、御主人之御名面江点も如何敷事ニ存候て奉字
認候事ニ可有之哉、何れ奉点ニて来候得ハ此方ニて其通奉点
ニて遣ス
右ニ付、城使諏訪宗治御中丸江罷出御徒目付江申入候処、御徒
目付村松定七申聞候、宮手弥市殿御宅江罷越候様申事故、夫よ
り弥市殿御宅江罷越候処、弥市殿御直達之御書付、左之通
覚
一 諸檀家之者法事并祥月等之節、銘々檀家之者宅江住僧并僧衆を
相招法事致候族も多分在之候、仏事之儀は尸骸葬地之場所江親
族相集誦経等可相頼筋と 思召候処、却て葬所ヲ離れ於宅法事
等取行候ては道理違之様ニ 思召候間、以来檀家之者於宅法事
執行之儀申入候共罷越申間敷候、惣て俗縁等有之候歟、又は懇
意之出会は格別仏事ニ附俗家江被招候共相断可申事
七月五日
覚
一 諸寺院江別紙之通御沙汰被成置候之間、向後法事等之節は親族
菩提治江打寄懇ニ執行可致候、於宅執行致候ては志厚キ様ニは
候得共却て葬地を離れ亡者江対し候ては道理違い候間、都て法
事は勿論祥月并忌日々々仏事等は寺江申入誦経等相頼可申事
七月五日
右御書附宮手弥市殿御渡、尤、寺院江被仰渡候御書付は心扣之
為御借被成候間、持参致候て此趣御主人様江可被 仰上、尤、
相済候ハヽ右書付可被相返旨御達被成ル
右ニ付差出廻状、左之通
以廻状致啓上候、今日御用之儀御座候間、最早壱人宛罷出候様
大目付宮手弥市殿御達之旨御徒目付古木幸右衛門より申来候ニ
付、拙者共弥市殿御宅江罷出候処、弥市殿御書付二通御渡被成
候内壱通は寺院江御達之御書付心得之為御達被成候由、尤、御
口達ニは於寺ニ仏事之儀は一日ニも限不申二日ニても其餘ニて
も志次第取行候て不苦之旨、弥市殿御口達ニ御座候右御書付并
御口達之趣共各様迄致通達候様監物・彦六郎・兵庫被申付候、
段々御順達留之御方より御書付并廻状共御返却可被成候、以上
七月五日 桜庭兵庫内 内 藤 太郎平
南彦六郎内 山崎 徳右衛門
北監物内 諏 訪 宗 治
御次第不同
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
此度之御達書差定御廻状とも違い前例も無之事故、右之通取調
差出ス、尤、御両家御役人江宗治罷越、懸合候処御両家共ニ外
御心附も無之趣故、右廻状直々桜庭家より差出ス、奥瀬内記様
御留主故御書付写取宗治より手紙ヲ以御役人江差遣ス
如例年之八幡神事之節御上ヶ被成候御籏、忌服有之御方御行列
相除申候間、右之趣御名面之下江御記可被成候、以上
七月五日 坂 牛 杢
北 監物 様
南 彦六郎 様
桜庭 兵庫 様
下田 将監 様
外御高知御連名
右差紙江御点ニ遣ス
六日
北守梅田御通路之一件
此度北守助右衛門殿より民人様江、助右衛門殿御病気ニ付御名
代御弟才十郎殿ヲ以左之通被仰遣候
口上
良久不得拝眉候、向暑御座候得共益貴宅御揃御壮栄可被成御座
奉寿候、何角心外之御無音背本意候其段御許容可被下候、将又
御存被下候通
多年監物様江御通路不申上罷有候、然ル処、下拙先祖共如何様
無調法有之御通路も不申上候哉、申伝も無御座候故別て心外ニ
奉存候、随て、去年御沙汰通も御座候得は於私安心も無御座候
間先祖共之不調法は御免を相蒙、以来御慕ひ御通路仕度心願ニ
御座候間、誠貴君ニも向儀被召置別て申上兼候得共下拙心願之
趣ヲ以 監物様江一向御執成御訴詔被下度奉願上候、祖父釆女
勤中より御通路御慕ひ申上度心願ニ御座候処、今以御不通申上
居段於私も気毒仕候間、何卒此度御執成ヲ以此節御承引も被成
下候は先代共心願ニも相叶於私本望と奉存候間、偏にニ御添慮
御執成被仰上被下度奉頼上候、尤、去年御沙汰御座候節早速可
申上候処、下拙儀も其頃病気ニ罷有其後貴兄御出府待上候得共
、折悪内丸ニても御故障被成御座候由、彼是仕候内小子親隠居兼
て長病罷有候内大病旁ニて是迄御延引仕候、是等共ニ恐入候得
共何分御執成之程呉々も奉頼上候、此旨弟才十郎を以申上候間
、乍御六ヶ敷貴殿奉待上候、書外拝眉之節と申上残候、以上
六月十日 北守 助右衛門
七戸 民人 様
右之御口上書之通被仰遣、猶御口上ニても委細御頼被仰遣候由
、依て、民人様御出府可被仰上処、此節民人様ニも御不快ニ付、
幸添様御屋敷江御上り御逗留中故、添様を以委細被仰上彦助様
ニも御出達候て御願被成候ニ付、勘解由様御登前とくと御内談
被成候処、去春一統江御沙汰向も有之候上之事ニ候得は、此度
北守より願上候ハヽ御用捨被遣可然、尤、御同□□□様江も御
内咄被成候由、右ニ付、若北守より起り候ハヽ拙者留主ニ候ハ
ヽ丹波殿へ御内々御問合可然と被仰候由ニ付、六月廿八日丹波様
江被為入候て委細御咄合被遊候処、考候て此内御挨拶可申上と
被仰候ニ付、七月三日ニ被為入候て御挨拶御聞被成候所、私き
りニも不相成候間、外衛・蔵人・美濃様江内咄仕候処、随分御
用捨て被成候て前々之通御同家之御次第ニて可然、尤、右之儀
は御内々私申上候旨ニて、以来は如此ニ致候と申訳大目付江も
心得之ため御咄被成被差置候ハヽ可然候、尤、御通家ニも御座
候由、弥市江御咄被成候ハヽ可然と御咄被成候由、扨亦、先日
丹波様江被為入候節梅田繁助家も北守同様ニ御座候処、何と申
訳やら只今迄通路も不仕代々出入は仕らせ候、是ハ繁助よりハ
中施之次第も無之候間願いハ無之候得共、去春之御次第も有之
候間、私限落着兼候と御咄被遊候処、今日御挨拶ニは梅田儀も
同席江も咄置候、依て、大目付江も御内咄被成候て梅田義も北
守同様ニ以来ハ御親しく被成候て可然と御内咄之由也、随て右
之義此節勘解由様江戸ニ被成御座候ニ付、彦七郎様江委細御内
談被成、扨亦、此節御勤懸りニも御座候間、弥六郎様・美濃様
江も被為入候て御内談被遊候処、いつれも御尤ニ思召候旨随て
ハ近キ内大目付江御内咄被遊候筈也
七月四日ニ大目付江は未タ御咄不被遊候得共、折かく北守氏よ
り彦助様・繁助殿抔江御模様相伺一刻も早ク安心被致度由、右
ニ付、民人様江も委細被仰遣御相談之上、今朝於御下屋敷民人
様より之御挨拶は添様・彦助様御両人御立合ニて御相応之御挨
拶助右衛門殿御招キ被仰述候、尤、右御礼ニ早速北守殿御上り
可被成処、数年来ニて御親しミも被成候御事故、初日御上り之
義ハ幸近く七夕ニも御座候間、七夕ニ御礼旁御上り被成候ハヽ
可然、尤、御父子共ニ御上り被成候様御差図被遊、御両人様御
通達被成候由也
七月四日繁助殿御招キ御意被遊候は是亦何と致候事や通路も不
致同家之親しミも不致候、此度北守より段々御覚之通先年之義
ハ段々平ニ申訳ニ付、此度其筋江も内々問合之上大目付江内咄
致と往古之通ニ致遣候筈ニ候、随て委しく貴様家筋も致吟味候
処、北守先祖と兄弟之家ニて別々ニ彦助家より被召出候事分明
ニ付、以来は大目付江も内咄致置同家之親しミ致候旨 御意被
成候処、難有旨御請被申上、尤、御盃事ハ北守殿方相済候後被
成候筈
七月六日大目付宮手弥市殿御招キ御内々被仰向候は北守助右衛
門家は同家ニ御座候処、子細有之数代不通罷有候、然ル処去年
御沙汰向も有之処より折角同苗共ヲ以先年之義ハ相免し呉候て
、以来は往古之通親しく致呉候様申参候、依て、段々吟味致候処
、表立不通之義申上候義も不相見得、内々之事ニ御座候得共近年
迄親類□□等江は互ニ加へ不申処、以来自ヲ往古之通致候事ニ
ては親類□江も相加へ候事故内々御家老中江も咄合候処、随分
用捨致候ても可然、何之道内々之事とハ乍申大目付之内江も内
々咄置候様可致被申候間御咄申置候、尤、梅田繁助も北守同様之
家筋故、以来ハ北守同様ニ為心得候間、是亦御家老中江も内咄
致置候、貴様共ニ御心得置可被下旨被仰向候処、委細御内咄之
旨承知仕候由被申上候由
七月七日八時より助右衛門殿父子此間之為御礼御上り被成候、
御上り前鯛一折御上被成初ハ中御居間ニて壱寸と御出会、夫よ
り奥ニて御吸物御料理等相出御盃事有之候て暮少前御帰り也
同八日昨日之為御礼助右衛門殿御上り被成
同九日梅田繁助殿此間は格別之御意相蒙候ニ付、今日御盃頂戴
仕候筈ニて被罷出、御肴一折差上、久吉様江も御肴一折差上御
吸物・御料理北守殿節之通被差出御盃事之節御盃返盃恐入候旨
ニて達て戴下ヶニ仕度旨被申上候ニ付、直々右御盃は被下候、
全躰三ツ御盞ニて御盃事被遊候筈之処、添様迄御内々右之含申
上候ニ付、態と大振之一ツ御盞ニて御盃事被遊
同十日梅田氏為御請被罷出
同十一日北守殿御取扱向相伺候処、彦助様御同様ニ御取扱致候
様被 仰出、泰司殿は鎌吉様御同様也
七夕
御表様六時少過キ御登 城被遊
御供上下 藤 岡 澄 見
同 湯 川 四郎治
平服 諏 訪 良 蔵
同 安 田 栄 蔵
御鑓
御箱
御長柄
御草履取
合羽籠 壱荷 弐 人
押 三 郷 清 蔵
御下りより直々御礼勤并ニ処々御廻勤被遊ル
一 今日於殿中大萱生外衛様御達之由ニて、大目付吉田唱殿御達被
申上候は、当年より内丸中盆中門前前江門火炊候儀、門前長キ
所は弐ヶ処短キ場処は一ヶ処炊キ候様可致候、扨又、表門裏門
と隔り候処は、両門前江一ヶ所ニて炊可申前以内丸中は真なし
之椛炊来候内、当年より別て逃ニ炊キ雲焼ヶ等無之様可致之旨
御達ニ御座候、此旨御同列中江最寄ニ御通達被成候様御達被申
旨ニ付、今日御出仕之御同列様方江早速御通達被遊ル
内 堀 大 蔵様
野 田 豊 後様
右御両処様御病気ニて御出仕無之ニ付、大蔵様江は、彦六郎様
御達被成、豊後様江は、桜庭周防様御見廻之御序ニ御達被成候
由
奥瀬内記様御回嶋御留主ニ付、御城使諏訪宗治ヲ以彼方御役人
江通達被 仰付、罷越ス、小笠原甚蔵江申達ス
八日
別紙之趣八戸美濃殿御達ニ候間、御同列中無遅滞通達可有候、
銘々より挨拶ニ不及各より吉田唱方江可被相返候、以上
七月八日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
盆中高焼籠之儀当年よりひきく可仕既ニ隣家より見得不申程ニ
明シ可申候、尤、家ニ寄盆前後共ニ明シ候儀有之候、以来盆中
三日ニ限り前後明し申候儀相扣可申旨御沙汰ニ候
七月
以廻状致啓上候、今日大目付より御廻状壱通御書付壱通被差越
候ニ付、右写各様迄致通達候様兵庫・帯刀被申付候、尤、御銘
々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以
上
七月八日 楢山帯刀内 沢田 武右衛門
桜庭兵庫内 内 藤 太郎平
御次第不同
北 監物 様 御役人中様
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
外御高知御連名 御役人中様
九日
安 田 喜之進
花巻雄山寺江御用ニ付、今日出立罷越
高坂 才右衛門
安田喜之進御用ニ付、花巻江被遣候ニ付、帰り迄相勤候様被
仰付罷出ル
兼て之御内借金拾五両、此節御金繰甚御指支ニ御座候之間、盆
前早々御上納可被成候、以上
七月八日 御銅山方
北 監物 殿
役人中
右返事不指越、点ニて相返ス
十日
御表様佐羽内勇蔵殿江五時御出被遊、御供御平常之通
御籠
御草り取
御表様七時八戸弥六郎様江御出被遊候、直々御帰殿也
御供 三 人
御草取
御箱
十一日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
七月十一日 山 田 要 助
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
七月十一日 北 監 物
山田 要助 様
右ニ付、御城使諏訪宗治差出候処、来ル十四日六つ半時 屋形
様御供揃ニて聖寿寺・東禅寺江御仏詣被遊候ニ付、門前通掃除
等致候様御目付山田要助殿手塞ニ付御徒目付寄木新蔵被申渡之
ル
大湯御同心 内 川 作 助
御代物宰領ニ来ル
十二日
目録
一 八木 壱駄 霊料米
以上
七月十二日
一 八木 壱駄 霊料米
以上
七月十二日
二枚御認聖寿寺江壱駄、恵伝庵江壱駄、〆弐駄目録相認上包江
目録と相認ル
御使者上下 斎 藤 甚五郎
聖寿寺より受取来ル、恵傳庵よりも
一 御舫御懸金七十弐歩之内江、五十四両弐朱今日上納、残り金之
処江今司傳右衛門より始末御舫処江差出置候、御城使諏訪宗治
を以上納
御表様妙泉寺江、九時過御一代様江御参詣被遊、御供御平常之
通
御駕籠
御草り取
例年之通関口広済寺江御ほかいもの差遣ス
色ちうちん 弐つ
白ちうちん 壱つ
らうそく明し 十丁
干くわし 一袋
十三日
一 今日例年之通、御廟所江御供物御内所より御女中共罷越、相備 乗台 弐 人
女中供 弐 人
内若党 壱 人
草り取 壱 人
御廟所御挑灯
一 覚花院様江 白挑灯 壱ツ
一 見性院様江 同断
一 清心院様江 同断
一 八助様江 同断
一 道休様江 白挑灯 一
一 蘭陵院様江 同断
一 玄隣様江 同断
一 献珠院様江 同断
一 浄節様江 同断
一 延寿院様江 同断
一 浄観院様江 同断
一 照真様江 同断
一 玄通様江 同断 寿昌庵ニて
一 愈好軒様江 同断
一 妙凉様江 四十八焼籠
一 御子様方江 色挑灯 三
広済寺江
白挑灯 壱ツ
色挑灯 弐ツ
右之通御上ヶ被遊ル
十四日
御表様聖寿寺・東禅寺外寺院処々江御仏詣被遊ル
御供上下 湯 川 四郎治
同 工藤 清右衛門
斉 藤 甚五郎
君成田 泰 助
御駕籠 六 人
御箱 壱 人
合羽駕籠 壱荷 弐 人
今朝 屋形様御仏詣被遊ル、御帰城之後御出也
昨夜中御触来ル
盆中子共たり共辻踊・辻相撲或は途中酸味線等曳歩行候儀可為
無用、都て神事めきたる賑い三味線・笛太鼓又は仁和俄行列等
決て不相成候事
一 門火乗候共駈乗申間敷候、凡て人立繁所は其心得可致候
一 念仏諸士丁江相廻候事、不相成事
但、兼て托鉢等願上置本尊相廻候年数之内ニ候ハヽ、町々計
は不苦事
一 劔舞諸士丁并町々共ニ相廻候事、不相成事
但、御城下之外は、勝手次第相廻候て不苦事
右之通被 仰出候間、左様御心得可被成候、以上
七月十三日 御目付
内丸中
一 献珠院様御位牌如何間違候哉、院殿之殿号無之処、当年御年廻
ニも被為有候ニ付、殿御加へ被成度之旨被 仰入、直々聖寿寺
納所江頼仕直候処、十二日ニ出来候由也
十五日
御表様処々寺院御参詣被遊ル、御供何も昨日之通り
奥様今日聖寿寺・東禅寺外処々寺院江御仏参可被遊候処、此節
御忌中故御仏参不被遊候、依之、御女中共より御仏参相勤ル
見性院様
清心院様
八助様
御三方様、御廟処へも御女中共御挑灯灯ス
十六日
御表様、永祥院江御仏参
御供 斉 藤 甚五郎
安 田 栄 蔵
君成田 泰 助
御駕籠
御箱
御草り取 深 蔵
十七日
来月十七日松斎様弐百回御忌御相当ニ付、其節花巻江被為入度
御暇之儀御願被成候儀御火消も御蒙被成御座候御事故、表立御
願之義も恐入 思召御内々勘解由様・丹波様江兼て御問合被成
候所一先御内々大目付ヲ以御伺可然、左候ハヽ同席相談御挨拶
も可仕候間、御内々相済居候上、表向御願可然と御咄合ニ付、
今日宮手弥市殿御招御頼被成候は
先祖松斎弐百回忌相当ニ付、於花巻雄山寺法事致執行度候、依
之、其節往来四日御暇願上罷越申度候所、火消も相蒙居候事故
申上候義恐入候事ニ御座候、依て、御内々御伺被下候て表立申
上候ても不苦事ニ候ハヽ願上度存候、此段御頼被成候趣被仰問
候処、承知仕候之由
翌十八日宮手弥市殿より梅田繁助殿ヲ以被仰越候は、昨日御頼
被成候義申上候処、御同席御相談之上、追て御挨拶可被成候由
被 仰越候
十八日
今日梨木神事ニ付、如例年御初穂三十疋被遣ル
御使者 藤 岡 澄 見 十九日
廿日
廿一日
御表様三社江御参詣被遊、御供御平常之通
御駕籠
花火相たて候儀、木節川原新山川原之外中津川筋は勿論惣て人
家近キ処は可為無用候、縦令人家相離レ候ても田道等は耕地之
障りも相成候条、是又相扣可申旨、度々被及御沙汰候処、近頃
も聖寿寺於田面花火相たて候之者有之哉ニ相聞得不埒之至ニ候
、御田地障りニ相成候事ゆへ、以来心得違之者無之様銘々急度相
守可申候、尤、廻方之者も被 仰付置候間、若心得違之者も於
有之は捕押名元承糺可申出旨被仰出候、此旨左様御心得被成召
仕之者江も可被仰含候、以上
七月廿一日 御目付
内丸中
廿二日
今日 御表様北守助右衛門様江御出、御供御平常之通
御駕籠
御出前御砂鉢肴被為遣候
鱸 一
鱒 一
貝附あわひ 七
御使 工藤 清右衛門
右は初て御入被成候ニ付、被為進候
九つ時過キ御出七つ時過キ御帰殿也
今日御出之為御礼御嫡子泰治様巳刻御出被成ル
廿三日
御用之儀御座候、御中丸中ノ口江御家来御上ヶ可被成候、以上
七月廿三日 坂 牛 杢
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
七月廿三日 北 監 物
坂 牛 杢 様
右ニ付、御城使諏訪宗治差出候処、来月御神事御用ニ付、大湯
御同心七人御呼上ヶ被成候ニ付、来月六日迄爰許着致候様申遣
候、此旨相心得候様被 仰達ル
但、手塞ニ付、御徒目付洞内庄兵衛申達之
廿五日
今朝 於綾様、丹波様江御出
御供 尾形 射右衛門
外諸士 三 人
御草り取 壱 人
押 壱 人
女中供 壱 人
物持 壱 人
為御持よねき□□□ 弐重
直々御泊り被遊候
御表様愛宕山江御参詣被遊、御供御平常之通
御駕籠
一 高坂 才右衛門
雄山寺江為御用罷越
廿六日
於綾様、今日御帰殿為御迎
御供 尾形 射右衛門
外諸士 三 人
御草り取
女中供
押
御表様、七時分丹波様江御出
御供諸士 三 人
御駕籠
五時過御帰殿
廿七日
一 高坂 才右衛門
花巻雄山寺罷越候処、今晩罷帰ル
廿八日
今朝卯中ノ刻月次為御礼 御表様登 城被遊候
御供 斉 藤 甚五郎
小山田 里 治
君成田 泰 助
御鑓
御箱
御草り取
合羽籠 壱荷
御表様聖寿寺江御仏参被遊候、御供御平常之通
御駕籠
廿九日
一 安 田 喜之進
御代香相勤ル
此度従 公儀御尋人有之、御穿鑿被 仰付候、依之、下条一五
郎・土岐伊左衛門・蟇目伊左衛門・鴨沢其衛家別相廻候様被
仰付、来月二日より御廻被成候旨八戸美濃殿御達被成候、此旨
被得其意御同列中名残様通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各
より宮手弥市方江可被相返候、以上
七月廿九日 御目付
北 監物 殿
南 彦六郎 殿
右役人
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通被差越候ニ付、
右写各様迄致通達候様、監物・彦六郎被申付候、尤、御銘々様
より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以上
七月廿九日 南彦六郎内 福 士 伊兵衛
北監物内 安 田 喜之進
御次第不同
桜庭 兵庫 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
右取調候後、南彦六郎様御役人江手紙ヲ以相招候処、福士伊兵
衛疾所有之候ニ付、為名代木村丹治罷越候ニ付懸合直々彼方よ
り差出
晦日廻達相済候て山本右兵衛様御返却来ルニ付、御本紙江奉点
ニて 御城使諏訪宗治・宮手弥市殿宅江持参差出ス
葛岡三蔵へ相渡ス
晦日
御表様聖寿寺江御仏参、御供御平常之通
御駕籠
立紙ニて上包紙上
従 公儀御尋人御座候ニ付、御書出之通之者有之候哉と御穿鑿
御座候、拙者家内左様之者無御座候、若牢人者も有之由、脇よ
り申出候ハヽ越度可被 仰付候、為後日如此御座候、以上
文化九年八月 北 監 物 御印
下条一五郎 殿
土岐伊左衛門殿
蟇目伊左衛門殿
鴨沢 其馬 殿
右御始末之儀、筆頭中江御認被下度旨傳右衛門より被遣、御頼
申候て相認
八月朔日
八朔之為御礼今朝六時過キ 御表様御登 城
御供上下 工藤 清右衛門
同 小山田 里 治
平服 安 田 榮 蔵
同 君成田 泰 助
御鑓
御箱
御長柄
御草り取
合羽籠 壱荷 弐 人
押 三 郷 清 蔵
御下宿後御駕籠ニて加賀野江御出
御供 前之通
御駕籠 四 人
御箱
一 安 田 喜之進
御代香相勤ル
二日
御表様聖寿寺江御仏詣被遊
御供 斉 藤 宮五郎
小山田 里 治
君成田 泰 助
御駕籠
一 君成田寛右衛門
当月より勤番被 仰付候処、今日着
一 工 藤 善 八
継目為御礼今日相詰
飛夫 治 助
三日
四日
一 大湯飛夫 治助 帰ル 駄馬壱疋大湯江被遣ル
覚
三寸五分
一 鹿毛四歳駄 馬主切田村 市郎左衛門
〆壱歩 買人毛馬内通大湯村 治 助
右駄壱疋其許御支配処、大湯村治助地遣買調攣参候、尤、御役
銭取立差遣申候、年・毛御改相違無之候ハヽ返り切手可被遣候
、 已上
文化九年申八月三日 村 松 喜八郎印
中野三左衛門 殿
橋本定右衛門 殿
五日
御表様聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕
六日
御表様聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕
一 御神事御用大湯御同心七人相詰ル
七日
御表様中御屋敷御法事ニ付、聖寿寺江御出有り
御供 工藤 清右衛門
小山田 里 治
君成田 泰 助
御草履取
御駕
一 工 藤 善 八
継目御礼被為請於御新宅
一 御肴 一折 鱸
一 家内喜多留 一荷
一 安堵銭 耳白 五百文 青さしニて
御表様江献上
一 御肴 一折 鱸
奥様江献上
一 下ノ橋詰御番所
一 上町橋詰御番所
一 平山丁御用屋敷御番
右三ヶ所大湯御同心相勤旨小頭弥平申出ル
八日
口上之覚
先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付、花巻雄山寺ニて法事仕
度候間、其節罷越墓参仕度奉存候、依之、恐多申上様奉存候得
共往来四日御暇被下置度奉願候、此段御序之節宜被仰上被下度
奉頼候、以上
八月八日 北 監 物
宛処なし
右之通御物書頭古沢十作殿御頼御認、四戸銀左衛門殿ヲ以被
出候趣ニ御取計、大目付吉田唱殿江差出給候
九日
一 守 田 十 郎
佐 藤 武
汲 川 安 太
当月十日勤番之処、今日相詰
飛脚 治 助
十日
大萱生 外 衛
新渡戸 丹 波
北 監物 殿 毛馬内 蔵 人
八 戸 美 濃
藤 枝 宮 内
御手前儀先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付、花巻雄山寺ニ
て法事仕度候間、其節罷越墓参仕度候間、往来四日御暇被下度
旨申上、願之通被 仰出候条可被得其意候、以上
八月十日 藤 枝 宮 内
八 戸 美 濃
毛馬内 蔵 人
新渡戸 丹 波
大萱生 外 衛
北 監物 殿
右御請
御手紙致拝見候、拙者儀先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付
、花巻雄山寺ニて法事仕度候間、其節罷越墓参仕度候間、往来四
日御暇被下度旨申上候処、願之通被 仰出難有奉得其意候、
恐惶謹言
八月十日 北 監 物
継隆 花押
大萱生外衛 様
新渡戸丹波 様
毛馬内蔵人 様
八戸 美濃 様
藤枝 宮内 様
表書、右同断
右御請御城使守田七郎持参、御当番御目付沢里勇馬殿御手塞ニ
付、御徒目付白濱六之丞江相渡
追刻為御請御登 城被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 易 太
君成田 泰 助
御鑓
御挟箱
合羽篭 壱荷
十一日
一 諏 訪 宗 治
工藤 清右衛門 斉 藤 甚五郎
勤番相済罷下ル
一 工 藤 善 八
為継目御礼相詰候処、今日罷下ル
一 晴 山 実
勤番之処、今日着
猶以役馬歳・毛・病馬有無之訳、以別紙来ル十六日限御書上
可被成候、已上
当馬喰馬来ル廿一日より内改就被 仰付候、御所持之役馬も加
見分被 仰付候間、歳・毛御書上可被成候、先達て御書上被差
置候も有之候得共、猶又、御書上可被成候、追て御馬別当より
左右次第御出可被成候、已上
八月十一日 玉 山 直 人
葛 西 右 仲
藤 田 務
中 西 静 馬
佐 藤 靱 負
池 田 左 内
奥 瀬 舎 人
切 田 邊
北 監物 殿
南 彦六郎 殿
桜庭 兵庫 殿
下田 将監 殿
外御高知御連名
口上之覚
私本家北監物先祖松斎当月十七日二百回忌相当ニ付、監物花巻
於雄山寺法事仕候間、其節罷越墓参仕度方存候、依之、恐多申
上様奉存候得共、往来四日於暇被下置度奉願上候、此旨御序之
節宜被仰上被下度奉頼候、以上
八月十日 北 監 物
御目付中
一 七 戸 民 人様
北守 助右衛門様
右御両人様ニも右同断御口上書を以御願被成候得共、御三人様
共難被 仰付旨御沙汰也
十三日
一 安 田 喜之進
萬猷院様御法事ニ付、今日為御先詰花巻江罷越ス
御表様三社江御参詣被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御橋ニて
明後十五日花巻江御発駕ニ付、御法事ニ付御出被成候段、御通
路之御方様江無残御手紙ニて為御知也
覚
一 青 六歳
右は拙者役馬御座候処、此節病馬ニ付御改之節差出兼申候、此
段御届申候、以上
八月十三日 北 監 物
右は例年之通、御物書頭中江頼入相認其筋方江差出給候
十四
久吉様 於綱様 於崎様、今日八幡御通為御見物御出有り
御供 尾形 射右衛門
工 藤 弥太郎
佐 藤 武
汲 川 易 太
工 藤 隼 見
諏 訪 良 蔵
大川原 叶
君成田 泰 助
安 田 喜代松
一 大目付中より御廻状壱通・御書壱通、 此方様桜庭兵庫様御連
名御役人江参候処、 此方様御初筆ニは候得共桜庭様江差て参
候ニ付、桜庭様ニて相認御順達也
新渡戸丹波殿御渡候御書付写壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞可有通達候、銘々より不及挨拶各より吉田唱方江
可被相返候、以上
八月十四日 大目付
北 監物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
覚
御城内八幡宮御曲輪之儀、八幡曲輪と唱候処、鳩森曲輪と唱候
事
御城内鹿嶋之儀、八幡宮客神宮鳩森春日大明神と唱可申事
一 淡路丸御社は、以来桜山明神と唱可申事
右之通一統相心得可申事
一 御領分御城下は勿論惣鎮守之儀は
天尊を奉祭故一番
一 榊山正一位稲荷三社大明神
日神・月神願向之社故引続也
一 同摂社月日大神宮、両社
應仁天皇を奉祭故二番
一 鳩森八幡宮
供奉之神ナル故此処
一 同客神春日社
清和天皇之末南部之中祖神故三番
一 桜山明神
右之通之次第と相心得可申事
八月
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者より御届可仕候
、 以上
八月十四日 桜庭兵庫内 和井内次郎右衛門
北監物内 君成田 寛右衛門
御次第不同
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
一 奥瀬内記様、此節松前御詰ニて御留主之事故、御役人江以手紙 通達致候也
一 萬猷院様二百回御忌御法事ニ付大赦被 仰付、晴山幸右衛門二
男伊四郎兼て逼足被 仰付置候処、此度御免被遊、三知行処江
も大赦被 仰渡
十五日
御表様来ル十七日 萬猷院様御法事ニ付、今暁七つ時花巻雄山
寺江御発駕被遊
御供割
一 御具足櫃 関口小者手代共ニ 三 人
一 弐張立御弓 御同心 金 蔵
一 御先供 晴 山 彼 心
斉 藤 甚五郎
晴 山 谷 治
諏 訪 良 蔵
君成田 泰 助
一 御駕脇 御戸脇 小 原 才 助
工 藤 忠 見
渕 沢 六 郎
藤 岡 澄 見
晴 山 実
小山田 里 治
一 御駕舁 雇 六 人
一 御鑓 丑 松
一 御長柄 勘 太
一 御草履 深 蔵
一 対御挟箱 庄 蔵
虎 助
手代関口小者 壱 人
一 御蓑箱 関口より 壱 人
一 御馬口付 作 助
伊 八
一 沓箱 関口小者 壱 人
一 両掛御箱 関口小者 弐 人
一 合羽籠 関口より 弐荷 四 人
一 押 三 郷 清 蔵
一 御医師 三 和 三 亭
一 御料理方 荷才領兼帯 倉 沢 善 治
一 御長持 壱挺 関口小者 六 人
一 御荷物附并合羽附共ニ 馬 弐 人
一 御家老 波岡 傳右衛門
鑓持 壱 人
草里取 壱 人
右は御後より
一 御用人 高坂 才右衛門
草里取 壱 人
右は御先江出立
一 今日花巻江 御発駕御届向之義は、兼て八木沢重蔵殿江御頼被
遊置候間、御城使ヲ以大目付吉田唱殿江御届被成候積ニ御取計
い給候由也
八ノ十六日
一 屋形様来ル十八日四つ時、聖寿寺・東禅寺江御仏詣被遊候ニ付
、例之通御門前掃除飾桶等相出シ候様、火ノ見櫓之戸開候様御目
付切田多仲殿御達也、尤、此節御留主故御親類之内御呼上家来
江為御達可被成候処、八木沢十蔵殿右之通ニ御達有之候積りニ
御取計い給候也
一 此度御法事ニ付、大湯・関口御知行処定府之惣御家中より御菓 差上之
十七日
萬猷院様弐百回御忌花巻雄山寺ニて御法事被成候ニ付、此元聖
寿寺江被遣物、左之通
一 金弐百疋 御布施
一 八木 片馬
一 造花 壱瓶
一 杉重 壱組
一 干菓子 五袋
一 麦板 拾枚
右は前日御使者ヲ以被遣
一 五百文 御布施
一 干菓子 拾袋
右は恵傳庵江
一 杉重 壱組
右は方丈江
一 杉重 壱組
右は納所へ
一 三百文 乞食共へ
右は恵傳庵江相頼
御当日十七日ニ遣ス
一 御寺詰 御用人 君成田寛右衛門
御取次 湯 川 四郎治
安 田 栄 蔵
御仏参之御方様
一 北守 助右衛門様
東 彦七郎様
南 彦六郎様
川井 源左衛門様
高 橋 定之助様
屋形様来ル十八日四つ時御仏詣被遊候ニ付、例之通門前掃除等
可仕旨御目付切田多仲殿御達候処、当亦、今日御達ニは明十八
日朝六つ時御仏詣被遊候旨、御達直シ有之処、八木沢十蔵殿頓
て御取計給候
一 去ル十四日大目付中より之御廻状并御書付共御順達相済本紙返
上致候ニ付、桜庭様御家来谷地源吾本紙持参、御名之下江奉字
相記桜庭様御手より返上也
文化九壬申五月十三日
口上之覚
松斎様御法事之儀は兼て御届申上置候、然処、当寺至て大破仕
、拙僧修覆手段及兼候間、恐多申上様奉存候得共見分之上御繕被
成下度奉願上候、此旨宜被仰上被下度奉願上候、以上
申五月 雄山寺
北 監物 様
御役人中様
右願書、雄山寺末山郡山勝源院持参差出ス
七月九日
一 御用人 安 田 喜之進
松斎様当八月弐百回御忌御法事被遊候ニ付、花巻雄山寺江罷越
ス、兼て 松斎様御贈号雄山寺先住撰考ニて雄山院様ト申上候
ニ付、右御布施金弐百疋并御音物持参、此節開基殿之内御位牌
拝見之内、 雄山陽光居士ト申御牌名見得候ニ付、喜之進相尋
候は、是は何方様之御牌名ニ御座候哉と申向候処、雄山寺答は
是は 北内蔵様と申御方之御牌名之由申ニ付、喜之進不取敢申
向候ニは、左候得は此御牌名は 松斎様御連子様之御内ニ御座
候御子様方御牌名之字ヲ御親様御贈号と申儀差支も有之間敷哉
と申向候処、雄山寺答何そ差支と申も無之旨申聞候得共喜之進
進申は、乍去是等之義は 監物様江申上候様ニ致度と申向罷帰
候処にて右之次第申上候処、逐一達御聴、此義如何ニ 思召此
元聖寿寺和尚江御取合被遊候上御贈号は
捐 神
萬猷院殿節叟忠公大居士
舘 儀
奉申上、此節喜之進花巻簡左治殿・高橋織右衛門殿江罷越、来
ル八月法事之節ハ法事御添心被下度、右ニ付、夫前手合向之義
御頼申度候間、何分御頼被遊候趣御口上申述、此節御両人江御
音物有り
同月廿七日
一 御用人 高坂 才右衛門
花巻雄山寺江罷越申向候は、先頃同役喜之進罷出候節、 松斎
様御贈号之字之義御懸合申上候筈、右之次第は 監物様江も申
上候処、御連子様御牌名之字ヲ以、此度御贈号と申義如何ニ被
召置候て如斯 萬猷院様と被成上度 思召候間、此旨左様御承
知成度候、乍去、頓て御先住様御撰考之趣ニ御心得被成候て、
是より御差図申候趣は御咄合御扣可然候と申向候、此節才右衛
門・簡左治殿・高橋織右衛門殿江罷越、雄山寺屋根繕方并御石
牌御牌名彫刻方共ニ御世話被下度旨頼入罷帰ル
七月十七日
来月十七日 松斎弐百回御忌御相当ニ付、其節花巻雄山寺江被
為入度御暇之義御願被成候儀、御火消も御蒙被成御座候御事故
、表立御願之儀も恐入 思召御内々御老中東勘解由・新渡戸丹波
様江兼て御問合被成候所、一先御内々大目付ヲ以御伺可然、左
候ハヽ同席相談之上御挨拶可仕候間、御内々相済居候上表向御
願可然と御咄合ニ付、今日大目付宮手弥市殿御招御頼被成候は
先祖松斎弐百回忌相当ニ付、花巻於雄山寺法事致執行度候、依
之、其節往来四日御暇願上罷越申度候所、火消も相蒙居候事故
申上候も恐入候事ニ御座候、依て、御内々御伺被下候て表立申
上候ても不苦事ニ候ハヽ願上度存候、此段御頼被成候趣被 仰
向候所、承知仕候之由、翌十八日宮手弥市殿より梅田繁殿ヲ以
被仰越候は昨日御頼被成候義申上候処、御同席御相談之上追て
御挨拶可被成候由、被仰越候
八月七日
一 先達て御内々御席江御伺被遊候、花巻江被為入候儀表立御願被
遊候て宜之旨、今日大目付宮手弥市殿より八木沢十蔵殿ヲ以被
申上候
同月八日
右ニ付、今日表立御口上書被差出
口上書之覚
先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付、花巻雄山寺ニて法事仕
度候間、其節罷越墓参仕度奉存候、依之、恐多申上様奉存候得
共、往来四日御暇被下置度奉願候、此段御序之節宜被仰上被下
度奉頼候、以上
八月八日 北 監 物
右之通御物書頭古沢十作殿御頼御認四戸銀左衛門殿を以差出候
趣ニ御取計、大目付吉田唱殿江被差出給候
同月十日
上書 大萱生 外 衛
新渡戸 丹 波
北 監物 殿 毛馬内 蔵 人
八 戸 美 濃
藤 枝 宮 内
御手前儀、先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付、花巻雄山寺
ニて法事仕度候間、其節罷越墓参仕度候間、往来四日御暇被下
度旨申上、願之通被 仰出候条可被得其意候、以上
八月十日 藤 枝 宮 内
八 戸 美 濃
毛馬内 蔵 人
新渡戸 丹 波
大萱生 外 衛
北 監物 殿
右御請
東山ニて上包
大萱生外衛 様
新渡戸丹波 様
毛馬内蔵人 様 北 監 物
八戸 美濃 様
藤枝 宮内 様
御手紙致拝見候、拙者儀先祖松斎当月十七日弐百回忌相当ニ付
、花巻雄山寺ニて法事仕度候間、其節罷越墓参仕度候間、往来四
日御暇被下度旨申上候処、願之通被 仰出難有奉得其意候、恐
惶謹言
八月十日 北 監 物
継隆 花押
大萱生外衛 様
新渡戸丹波 様
毛馬内蔵人 様
八戸 美濃 様
藤枝 宮内 様
右御請御城使守田七郎持参、御当番御目付沢里勇馬殿御手塞ニ
付、白濱六之丞江相渡
追刻為御請御登 城被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御鑓
御挟箱
合羽籠 壱荷
口上之覚
私本家、北監物先祖松斎当月十七日二百回忌相当ニ付、監物花
巻於雄山寺法事仕候間、其節罷越墓参仕度奉存候、依之、恐多
申上様奉存候得共、往来四日御暇被下置度奉願上候、此旨御序
之節宜被仰上被下度奉頼候、以上
八月十日 北 彦 助
御目付中
右御口上書被差出候処、難被 仰付趣御沙汰也、七戸民人様・
北守助右衛門様ニも御口上書ヲ以御願被成候得共、難被 仰付
旨御沙汰ニて、御三人様共ニ花巻江不被成御越候
同月十三日
一 安 田 喜之進
御法事御用為御先詰、今日花巻江罷越
一 明後十五日花巻江御発駕被遊候ニ付、御通路之御方様江為御知
被遊、弥六郎様・治部様江は例之通御使者袖扣ヲ以外御同列中
様江并御通路平士之衆中江は、御手紙ニて為御知被遊候也
同月十四日
一 此度 萬猷院様弐百回御忌御法事ニ付、格別之御事故大赦被
仰出、三御知行処江も申遣ス、晴山幸右衛門二男伊四郎儀、兼
て逼足被 仰付置候処、此度御免被遊之旨被 仰出申渡
一 花巻御供被 仰付候諸士并関口小者共今晩着、御前諸士江御逢 被遊
同月十五日
御表様、今暁七時花巻江御発駕被遊御行列
一 御具足櫃 関口小者手代共ニ 三 人
一 二張立御弓 御同心 金 蔵
一 御先供 晴 山 悠
斉 藤 甚五郎
晴 山 谷 治
諏 訪 良 蔵
君成田 泰 助
一 御橋脇 御戸脇 小 原 才 助
同 工 藤 忠 見
渕 沢 六 郎
藤 岡 澄 見
晴 山 実
小山田 里 治
一 御六尺 雇 六 人
一 御鑓 丑 松
一 御長柄 勘 太
一 御草履取 深 蔵
一 御挟箱 庄 蔵
一 同 虎 助
手代 壱 人
一 御蓑箱 関口小者 壱 人
一 於馬口付 作 助
伊 八
一 沓箱 関口小者 壱 人
一 両掛御箱 同断 弐 人
一 合羽籠 関口小者 弐荷 四 人
一 押 三 郷 清 蔵
一 御医師 三 和 三 亭
一 御料理 荷才領共ニ 倉 沢 善 治
一 御長持 壱挺 関口小者 六 人
一 御荷物附合羽附共ニ 馬 弐 人
一 御家老 波岡 傳右衛門
鑓持 壱 人
草履取 壱 人
右は御後より出立
一 御用人 高坂 才右衛門
草り取 壱 人
右は御先江出立
一 今日花巻江御発駕御届向之義は、兼て八木沢重蔵殿御頼被遊被
指置候故、大目付吉田唱殿江御城使ヲ以御届被成候積ニ御取計
給候也
一 是より前、左之通雄山寺江ヶ条書ヲ以申遣置候
覚
一 御法事之節、御頼被成候寺院五ヶ寺御頼可被成事
但、長老御小僧中拾人位御頼被成候事、惣て僧中十五六人ニ
て御勤可被下候事
一 御僧中江賄之義は御寺ニて御手合可被下事
但、朝夕夜食共ニ三ツ附之事、右江二か茶わんか坪之内一品
御引可被下事、外引物菓子等不出事
一 監物殿御始、寺詰之人数諸賄御手合ニ不及事
附 御法事中禁酒之事
一 御法事相済候処ニて僧中江夕飯は別段饗応之ため差出候、繕部 何も前同断之内台引菓子指出候事
〈御沙汰ニ依て菓子ハ不差出、台引ハ御饗応之為 御前御引被
遊ル〉
一 御法事中諸賄何程ニ可有之哉、御差積り被 仰越候様致度事、 尤、被遣候品、左之通
一 造蓮花 壱対
一 玄米 弐駄
一 餅米 片馬
一 薪 壱配
外蝋燭・茶并外入用之品賄料江加へ御差積可被仰越事、御布施
等は別段之事
一 給仕人御手合可被成事
一 御位牌地板金地文字黒漆ニ致候筈御頼申候処、文字紺青ニ被仰 付被下度事
一 御卒塔婆 壱本
右は、兼て御頼申候通御拵被差置被下度事
一 畳表替之事
御仏壇前
開基殿
室中
右三ヶ処表替之事、外ハ手入無之筈
一 客殿障子張替之事
以上
覚
一 代物 弐拾弐貫文、雑用
一 米 弐駄
一 餅米 片馬
一 春木 壱間
一 蓮花 壱対
右之通慥ニ受取申候、以上
八月十四日 雄山寺 印
守田喜之進 殿
御表様今日郡山小川多蔵江御昼御宿被 仰付被下物
御くわし 壱箱
御交肴 一鉢
花巻江暮頃御着被遊、御止宿丸屋源太郎
御見廻之旁
一 高橋 織右衛門殿
簡 左 治殿
駒ヶ嶺 六 郎殿
簡 良 作殿
高 橋 小十郎殿
平 賀 善 治殿
新渡戸 縫 太殿
御具足師 章 蔵
右は途中并御止宿江御見廻
途中計り 門屋 助右衛門殿
御目付 山 田 要 助殿
雄山寺
検断 兵 助
御音物被遣候旁
一 簡 左 治殿江 茶釜 壱ツ
菓子 壱箱
硯蓋 壱枚
一 高橋織右衛門殿江 茶釜 壱ツ
菓子 壱箱
硯蓋 壱枚
一 岩間 秀作 殿江 盃 壱ツ
菓子 壱箱
土瓶 壱ツ
一 新渡戸 民治殿江 土瓶 壱ツ
菓子 壱箱
茶通
一 太田 志津馬殿江 落雁 壱箱
盃 壱ツ
素麺 壱箱
一 平賀 善治 殿江 素麺 壱箱
盃 壱箱
土瓶 壱ツ
一 雄山寺江 菓子
茶
一 門屋助右衛門殿江 素めん 壱箱
土瓶 壱ツ
一 浅水 喜兵衛殿江 素めん 壱箱
盃 壱ツ
一 光徳寺江
温飩
一 日野屋江
五品被下
十六日 御供立両日共ニ同断
一 斉 藤 甚五郎
晴 山 悠
晴 山 谷 治
諏 訪 良 蔵
君成田 泰 助
上下 小山田 里 治
藤 岡 澄 見
晴 山 実
御六尺 六 人
三器御道具
但し、御忍故御鑓ハ不立
御草履取 深 蔵
合羽籠 弐荷 四 人
押 三 郷 清 蔵
右は御宿より雄山寺江被為入候節御供立也、尤、御供諸士之内
より御使者等相勤也
一 御取次 工 藤 忠 見
小 原 才 助
一 御給仕 諏 訪 良 蔵
小山田 里 治
君成田 泰 助
一 火ノ廻 大川原 定 賀
一 御目付 渕 沢 六 郎
小川口 今 治
一 御宿御留守居 藤 原 澄 見
晴 山 実
右両人ニて、御供并御留主居代々相勤
寺院方左之通
一 瑞興寺
昌観寺
東光寺
浄光寺
永昌寺
長老小僧中 拾三人
御法事品目
逮夜
下后 迎神
扣香
金剛経
□時 歎仏会
□香
献茶湯
献供
大悲□
当日
早晨 朝課恒規
献供
八句陀羅尼
禺中 懺法
午時 大□香
献供
上茶湯
□厳□
右 悉知
御仏参之旁并御香奠
一 高 橋 小十郎殿
簡 良 作殿
一 御香奠青銅二十疋 新渡戸 縫 太殿
同 青銅二十疋 岩 間 秀 作殿
御茶弐 簡 左 治殿
簡 虎 治殿
御茶弐 高橋 織右衛門殿
以御使御香奠青銅五十疋 高 橋 定之助殿
御香奠、短冊 七戸 民人様より
十七日
新渡戸 民 司殿
高 橋 小十郎殿
簡 良 作殿
高橋 織右衛門殿
御香奠青銅拾疋 小田嶋 新 吾殿
御茶弐 平 賀 善 治殿
岩 間 秀 作殿
御香奠拾疋 宮 野 矢 柄殿
右同断 岩 間 冨 弥殿
簡 左 治殿
同拾疋 高 橋 俊 作殿
同三拾疋 太 田 一 郎殿
光徳寺
伊 藤 嘉 納殿
同二十疋 中 野 弘 治殿
同二十疋 松 井 東 庵老
城 直 志殿
御菓子弐 門屋 助右衛門殿
同 壱 岩 井 庄 蔵
五拾銅 小屋敷作右衛門殿
拾疋 小山田善左衛門殿
平 賀 秀 治殿
浅 水 喜兵衛殿
弐十疋 櫛 引 良 八殿
十疋 佐 藤 小四郎殿
隠居 同 軍 蔵殿
十疋 照井与五左衛門殿
十疋 岩 間 民之進殿
御茶壱 猪 去 文 蔵殿
十疋 松 岡 織 人殿
御菓子 石 川 圓兵衛殿
御茶弐 櫛 引 郷 助殿
上 田 弥四郎殿
名須川元右衛門殿
駒ヶ嶺 六 郎殿
四 戸 彦 作殿
拾疋 新渡戸 参 弥殿
雫石 判左衛門殿
田頭 作左衛門殿
城 秀 作殿
一 御香奠金 百疋
御表様より御上
一 同青銅 百疋
奥様より
一 同青銅 百疋
久吉様より
一 干菓子 十袋
一 同青銅 五十疋 彦助様より
一 同 五十疋 北守助右衛門より
一 同 三十疋 梅田繁助殿より
一 同 三十疋 八木沢十蔵殿より
僧中江御布施
一 金壱両壱歩 雄山寺江
一 同壱両壱歩 五ヶ寺江
瑞興寺
昌観寺
東光寺
浄光寺
永昌寺
〆
一 壱貫五百宛 長老 七 人江 右は寺持之方故如此
一 七百文ツヽ 小僧 五 人江一 此度御法事ニ付、花巻江御入被遊候、雄山寺御送迎、先例之通一 御法事無御滞御執行相済、明十八日 御帰路御催被遊御音物来 ル、左之通
一 舞たけ 壱ツ 高橋 織右衛門殿 干蕨 壱連
ぜんまい 二連
一 せんまい 二連 浅 水 喜兵衛殿一 酒 五升入 一 日野屋 与惣治
一 鮭 壱尺 門屋 助右衛門殿一 屋き麸
昆蒜 廿丁 高 橋 俊 作殿
一 舞たけ 光徳寺
一 中折 新渡戸 民 治殿一 わらひ并 太 田 志津馬殿
松たけ
一 明神酒 三升 平 賀 善 治殿 わらび 三連
一 わらび 二連 簡 左 治殿 明神酒 三升
かたくり 一
きび志よ 七
一 わらび 三連 高橋 勘右衛門殿 白菊酒 三升
一 鮭 壱尺 岩 間 秀 作殿 鮎 三十
一 酒 三升 御宿亭主 丸 屋 源太郎
せんまい 一連
十八日
一 御目録金三百疋、御紋御肩衣一 丸屋源太郎江被下置
一 拾三貫三十弐文、御宿江賄代払
一 七貫百弐十四文、下陳江同断
一 此度御法事ニ付、前広ニ御手合被差置、右代共左之通
一 三貫三百文、御位牌直シ地板金地御位牌紺青ニて
一 拾貫文、御石牌入方たゝき直シ、御牌名くり彫方、上々金*弐 重御台石共ニ新規也
一 廿一貫三百七拾文、雄山寺本堂屋根繕方
一 七貫八百□十文、御廟処雨覆并玉垣方
一 九貫八百七十弐文、畳三拾六畳表替方
一 七百八文、障子張替方
一 五百文、雄山寺ニて御雪隠繕方
外ニ、雄山寺之方、御厨子ハ新規也
御位牌御厨子、御厨子ハ新規也、ぬり直し等、金具御手入有り
聖寿寺之方、御牌名御厨子等御手入有り
一 御牌名聖寿和尚御認表具被 仰付、御逮夜より御当日迄御菊ノ 間御床江懸上ル
一 此元聖寿寺ニても御法事ニ付、左之通被遣物
一 金弐百疋 御布施
一 干菓子 拾五袋
一 杉重 三組
一 八木 片馬 御霊米
一 麦板 十枚
一 五百文 恵傳庵江御布施
一 造蓮花 壱対
一 三百文 乞食へ
〆
一 御寺詰 御用人 君成田寛右衛門
一 御取次 湯 川 四郎治
安 田 栄 蔵
此元ニて御逮夜御料理献立
さん木大こん
御汁 いものこ
舞たけ はつ茸
一 御五寸 やきふ 御飯
長いも
にんぢんせん
御茶碗
一 志いたけ
牛房せん
な
御砂鉢ニて 一 御香のもの
御重ニて 一 御につけ
一 白あへ夕顔 かんひょう
一 御ひたし めうか
一 同 きく
御菓子 一 五つ盛
鶉餅
御客様方
一 彦 助様
北守 助右衛門様
村 枩 権二郎様
八木沢 十 蔵殿
右は御小居間
一 嶺松院様御内所江御入
御表様十八日今晩五時花巻より御帰殿被遊
郡山、小川多蔵御昼宿
於御前御紋御肩衣被下置、外ニ花巻より之為御土産ぜんまい一
連・舞茸きび志よ壱ツ被下置、外御目録等不被下置候
一 詰合御家老并御用人、外、諸士一統恐悦申上ル
一 此度花巻江御供御家老・御用人并諸士江御吸物・御酒被下置、 尤、御夜食被下置御下々江は御酒計肴弐種ニて被下置
十九日
御表様花巻江御暇御頂戴御発駕被遊、昨夜御帰殿被遊候ニ付
為御請今朝卯刻御登 城被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
合羽籠 壱荷
一 関口諸士并小者御法事御用ニて相詰候分、今日罷帰ル、諸士江 御前御逢被遊
一 昨夜□□時、御帰被遊候義御通路□□□様江御発駕之通御手紙 □□為御知被遊
同月廿三日
一 御家老 波岡 傳右衛門
此度御法事御用向無滞相勤、御満足 思召為御賞御紋御上下被
下置之
一 御用人 安 田 喜之進
同 高坂 才右衛門
右同断御用無滞相勤、御満足 思召為御賞御目録被下置之
十八日
一 大湯御同心七人御神事為御用相詰候処、御用相済明日御返シ被
成候間、其旨為御心得申達候旨、八木沢十蔵殿御出被 仰聞候
、右は例之通御家来御呼上御達可被成候処、十蔵殿御取計い給候
御目付沢里勇馬殿・御徒目付浦田吉右衛門也
御表様今日従花巻御帰殿被遊候ニ付、為御待請御出之御方
八木沢 重 蔵殿
川井 源左衛門殿
村 枩 権二郎様
夜五ツ時 御帰殿被遊
一 此度花巻江御供御家老・御用人并諸士御下々迄御吸物・御酒・
御夜食等被下置之、尤、御下々江は御酒計御肴弐種ニて被下置
一 詰合惣諸士 御帰殿恐悦申上ル
花巻御帰後、花巻より御持参被遊候御土産物、御近キ御間柄并
御懇意之御方様江被遣候
十九日
御表様今卯中刻為御請御登 城被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
合羽籠 壱荷
御下城後四時 覚花院様御祥月ニ付、聖寿寺江御仏参有り、御
供方御平常之通、御駕籠ニて
御用之儀御座候間、明廿日五時御中丸中ノ口江御家来壱人御上
ヶ 可被成候、以上
八月十九日 浅 石 九八郎
北 監物 様
御返事
御用之儀御座候間、明廿日五時御中丸中ノ口江家来壱人差出可
申旨得其意存候、以上
八月十九日 北 監 物
浅石 九八郎 様
一 漆戸左仲様御出被 仰ニは 屋形様、慈眼院殿江御内達被成候
て拙者より御同列中江御内達申候様御沙汰ニ御座候、来月十日
・十一日春日御祭礼之節両日之内一日勝手次第参詣仕候様ニと之
御内意之由、外御同列様江は廿八日ニ御内達之由、 此方様江
は早速御出御咄被成候由也
廿日
昨日御差紙来ル
右ニ付、今朝五時御城使守田七郎罷出候処、御目付浅石九八郎
殿左之通被 仰達候
覚
一 三貫三拾文
右は、新御屋鋪脇水道新規御普請請入方
右之通其筋見分之上、積書之通被 仰付
八月
兼て御沙汰被成置候通、御組合中江御通達可被成いさゐは御掃
除奉行江懸合可申旨被申達也
御表様内丸通御廻勤、御供御平常之通、御橋ニて
一 大湯より飛脚 茂 助着 廿一日
一 御掃除奉行照井多左衛門殿九尺之間へ入来、御役人江出会申度
旨被申候ニ付、当番御用人君成田寛右衛門出会候処、多左衛門
殿被申聞候は、昨日御目付中より御達可有之新御屋敷脇水道新
規御普請御割合御組合中江御通達被成候様致度候、新御屋敷・
角御屋敷江は、今朝拙者罷越御役人中江懸合申候御割合之義は
、是より為御知被上候様ニと被申聞候間、寛右衛門答いさゐ致承
知候、両御屋敷より之御出銅は御手前様ニて御取立可然候、尤
外御高知様御組合之分共ニ御取立可被成ト申向候処、多左衛門
殿挨拶御尤ニ致承知候、乍去、日勤之拙者御銘々様より取立候
義相成兼候間、兎角御手前様ニて一処ニ御取立明日中拙者迄御
届被下度旨頼合ニ付、廻紙ヲ以御組合中様御役人迄通達ス、尤
、両御屋敷ハ相除キ、只御割合之義計り手扣書付ヲ以守田七郎罷
越、両御屋敷御役人江申向候処、承知致候由也
廻紙
以廻状致啓上候、一昨日十九日御目付浅石九八郎殿より明廿日
五時家来壱人罷出候様御差紙ニ付、罷出候処、御達書写別紙之
通御通達申候様被相達候間、即御通達申候、左様御承知可被成
候、尤、御掃除奉行照井多左衛門殿被相越被申聞候は、御割合
御出銅之義は、日勤之拙者故御銘々様より取立候様も無之故、
取立明日一処ニ渡呉候様頼合ニ御座候間、明廿二日五時迄ニ拙
者迄被遣候ハヽ是より相届可申候、即御割合書付別紙之通御通
付□申候間、御順達相済候ハヽ留之御方より御返却可被成候、
以上
八月廿一日 北監物内 君成田監右衛門
御次第不同
毛馬内蔵人 様 御役人中様
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
覚
一 三貫三拾文
右は水道御普請入方銭
御高百石ニ付、廿八文当り
一 弐百八拾八文 新御屋鋪
一 弐百八拾八文 角御屋鋪
右両御屋敷は割合出銅、廻紙へは書載セ候得共御順達は相除候
也
一 六百八拾弐文 北 監 物殿一 弐百六拾文 毛馬内 蔵 人様 御屋敷
一 百七拾弐文 南 彦六郎様 御屋敷
一 弐百三拾文 下 田 将 監様 御屋敷
一 百五拾八文 奥 瀬 治 部様 御屋敷
一 三百廿四文 漆 戸 左 仲様 御屋敷
一 百五拾八文 下 田 右 門様 御屋敷
一 百三拾文 漆 戸 左司馬様 御屋敷
右割合書付并御達書写共ニ順達致候、三郷清蔵ヲ以毛馬内蔵人
様御取次一条定見へ相渡、翌廿二日五時廻状共ニ相戻ル
御普請御組合高
一 千石 新御屋鋪
一 千石 角御屋鋪
一 弐千三百四拾八石弐斗八升弐合 此方様
一 九百石 毛馬内 蔵 人様一 六百石壱斗 南 彦六郎様一 八百石 下 田 将 監様一 五百五十石 奥 瀬 治 部様一 千百石三斗 漆 戸 左 仲様一 千百石 内 堀 大 蔵様一 五百五十石弐斗 下 田 右 門様一 四百五十石 漆 戸 左司馬様 右之通御組合也
御高 〆壱万三百九拾八石八斗八升弐合
前書之御割合御出銅御銘々札付ニて、廿二日九時御掃除奉行照
井多左衛門殿へ遣ス、受取書有り
廿三日
今日 御子様方為御茸狩赤平江御出有り
御供 佐 藤 武
湯 川 四郎治
諏 訪 良 蔵
大川原 叶
君成田 泰 助
浅 井 養 元
御草履取 深 蔵
御弁当持 壱 人
合羽持 壱 人
七時御帰殿被遊
御表様かゝの通御廻勤被遊
御供 汲 川 易 太
安 田 榮 蔵
小山田 里 治
御橋ニて
一 御家老 波岡 傳右衛門
此度、御法事御用無滞相勤、御満足 思召為御賞御紋御上下被
下置之
一 御用人 安 田 喜之進
同 高坂 才右衛門
右同断、御用無滞相勤御満足 思召為御賞御目録被下置之
廿四日
一 大湯飛脚 茂助 帰ル 御表様愛宕山江御参詣、御供御平常之通
御橋ニて
廿五日
御表様、御法事之節之為御挨拶彦助様江被為入、御供御平常之
通
御橋
御箱
一 晴 山 実
母大病ニ付、介抱之御暇願之通被 仰出、今夜八時出立罷越ス
廿六日
一 源光院様御病死ニ付、奥様より御香奠金百疋御女中使ニて被進 之
御香奠包御香奠江載セ、奥様御祖母様故ニ如此
一 御表様より、杉重 壱組
御使 佐 藤 武
一 御子様より、同 壱組
御女中使ニて
右ニ付、 奥様御機嫌御役人共相伺
廿七日
一 小山田 里 治
為洗濯往来十日御暇被下置、今日罷下ル
奥様御祖母様ニて、江刺牧太殿御母堂也
源光院様御死去ニ付、 奥様為御焼香江刺牧太殿江被為入
御供 尾形 射右衛門
佐 藤 武
汲 川 安 田
君成田 泰 助
御橋
御草里取
女中供
押
廿八日
御表様、月次為御礼今朝卯刻御登 城
御供 湯 川 四郎治
佐 藤 武
君成田 泰 助
御鑓
御箱
合羽篭 壱荷
辰ノ刻御下 城
御表様聖寿寺江御仏参、御供御平常之通、御橋ニて
御橋ニて
奥様御母公様也
一 明廿九日、覚應院様御百ヶ日御法事為御知ニ付
御表様より 杉重一組 御使者 湯 川 四郎治
於勝様より 杉重一組 御女中使ニて
右ニ付 於勝様、弥六郎様江被為入
御供 尾形 射右衛門
汲 川 安 太
佐 藤 武
君成田 泰 助
御歩行
女中供 壱 人
押 壱 人
一 江刺牧太殿御母堂源光院様御遺尸土沢浄光寺江御葬ニ付、今七 つ時辻堅并菩提院之脇江途中迄 奥様より
御使者 湯 川 四郎治
草り取 壱 人
廿九日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
一 左内様御北堂様御大病ニ付、御様躰為 御尋
君成田寛右衛門
被遣
一 彦助様御儀御下屋鋪ニ御住居ニは被成御座候得共、 御上向は
御同居之被仰立被差置候事故、左内様御北堂様此節御大病ニ付
、万一之義も御座候、養生惣て 御上向御差支之筋も有之、指当
り明九月朔日月次御登 城ニも御差支ニ相成候事故、此度新ニ
御下屋敷江御別居被成候趣、御上江御届可被遊処、幸今日八木
沢十蔵殿御入来ニ付、右之次第御届向之儀御頼被遊、尤、彦助
様より之御届向共ニ十蔵殿江御頼被遊候処、御同人御双方之御
届向御取計之義いさゐ奉承知候旨御挨拶被申上、依之、早速右
之次第彦助様江君成田寛右衛門ヲ以被仰進候処、いさゐ承知仕
候、別て御心配被成下難有奉存候旨、彦助様より御挨拶也
九月朔日
御表様為月次御礼今朝卯刻御登 城被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
工 藤 隼 見
御鑓
御箱
合羽籠 壱荷
巳上刻御下 城被遊
御下 城後、聖寿寺江御仏参被遊
御供 汲 川 安 太
工 藤 隼 見
君成田 泰 助
御駕籠
一 左近様より御使者大坪理右衛門殿ヲ以、先刻辰刻御妾腹御男子 様御出生御座候、此段以御使者被 仰進候
右ニ付、為御歓
御肴 一折 鱸
御使者上下 佐 藤 武
ヲ以御上被遊候
御向御役人江出会、御口上之趣申述ル
一 今日於殿中大萱生外衛様より大目付宮手弥市殿ヲ以、御内々無
急度御達被成候は、春日御祭礼之節御能拝見当年は不被 仰付
候、併、御沙汰と申ニは無之候得共、御参詣被成候て可然八幡
御神事之節も御一統御参詣之義、 御前ニも御悦思召之御模様
故御参詣被成候て宜有之候、尤、御能両日共ニ有之候間、若、
御参詣後御見物被成度方は御遠慮なく御拝見被成候ても不苦義
御拝見被成候場所ト申て別ニ無之義故、何レ御見配り被成候て
御拝見可然、又御参詣計ニて御拝見不被成候ても宜義、いつれ
ニも御勝手次第と之御内達之旨弥市殿被申上候由、御同列様御
嫡子様江も最寄ニ御伝被成候様ニと御達ニ付、今日於殿中彦六
郎様・兵庫様・将監様江御達被成候、夫より段々御達之由御登
城無之御方様は、漆戸左仲様・内堀大蔵様・岩間将監様、右之
内左仲様江は御出之御序ニ御達被遊、御両人様江は兵庫様・近
江様より御達之筈、御嫡子様方ハ冨吉様・出雲様江御達被遊候
由、外々様江は御両人様より御達被成候由、尤、弥市殿御内咄
被申上候は御参詣之何レも様十日ニ計御参詣ニて、十一日ニハ
御壱人も御参詣無之候ては如何敷候間、いつれニも被仰合候て
一日御参詣被成候て可御宜と被申上候由
御表様七時八戸弥六郎様江御出被遊、御供御平時様之通
御箱
二日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
此度大鷹一居御逃被成候間、相障申間敷旨被 仰出候、此旨左
様御心得召仕之者江も可被仰含候、以上
九月二日 御目付
内丸中
一 左内様御北堂様御養生無叶今未刻御死去被成候旨、彦助様より
為御知被 仰進候ニ付、御使者ヲ以御香奠青銅百疋被進之
御使者 君成田 泰 助
三日
御表様、八時より大清水通江御出被遊
御供 湯 川 四郎治
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御橋ニて
一 今七半時左内様御北堂様御葬送ニ付、辻堅寺江御使者共ニ
佐 藤 武
草り取
御同心 田 館 清 助
右は田町上之の横丁入口江
一 大湯御同心才領 三上 弥平 来ル 四日
一 大湯御同心 三上 弥平 帰
右便之節三つ組栄の御盃木地注文申遣ス
五日
御表様、聖寿寺・東禅寺江御仏参被遊
御供 佐 藤 武
汲 川 安 太
工 藤 隼 見
御橋ニて
六日
一 晴 山 実
母大病ニ付、介抱之御暇被下置罷下候処、快方ニ付今日相詰ル
七日
一 小山田 里 治
洗濯之御暇被下置往来十日罷下候処、今日相詰ル
八日
九日
御表様、為重陽御礼今朝卯刻御登 城
御供上下 湯 川 四郎治
同 汲 川 安 太
羽織 安 田 栄 蔵
同 君成田 泰 助
三器御道具
合羽籠 弐荷 三 人
押
御下 城後、内丸通并賀加野通御廻勤被遊、御供前之通
十日
御表様、八戸弥六郎様江被為入
御供 晴 山 実
小山田 里 治
君成田 泰 助
御挟箱計
十一日
御表様 春日社江御参詣、今寅下刻
御供上下 晴 山 実
同 湯 川 四郎治
安 田 栄 蔵
小山田 里 治
御箱
御長柄
合羽籠 弐荷
御初穂 三十疋
右杉原弐枚江包、金銀水引ニて中結、包紙上下之端折
今日 春日御能 御拝見之儀兼て御達も有之、 御拝見可被遊
処、御痛処被為有御折敷不被遊御成候処、今日御参詣之御同席
様方江為御知之上 御拝見無之、御帰殿被遊也
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上可被成候、
以上
九月十一日 浅 石 九八郎
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
九月十一日 北 監 物
浅石 九八郎 様
右ニ付、御城使守田七郎病気ニ付、晴山実差出候処、 屋形様
明十二日五半時御供揃ニて聖寿寺・東禅寺へ御仏詣被遊候間、
門前掃除并例之通相心得候様ニと御当番御目付御手塞ニ付、御
徒目付照井吉左衛門申達、依之、御門前掃除并飾桶等火ノ見櫓
之戸 御通行より御帰城迄之間開キ櫓番下り居候様小頭清助江
申達置
十二日
御表様聖寿寺・東禅寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
十三日
十四日
十五日
御表様為月次御礼今朝卯刻御登 城
御供 晴 山 実
汲 川 安 太
君成田 泰 助
御鑓
御箱
合羽籠 壱荷
巳上刻御下 城
一 彦助様御法事ニ付、報恩寺江
御使者 佐 藤 武
十六日
御表様 三社江御参詣
御供 晴 山 実
佐 藤 武
小山田 里 治
君成田 泰 助
御挟箱
御橋ニて
御初穂 三十疋
杉原二枚江包、端折金銀水引ニて中結
十七日
一 大川原 安兵衛
大湯御知行処江内用有之、往来十日御暇申上、今日出立罷越
十八日
御表様北守助右衛門様江御出有り、夫より彦助様江 御朦中為
御見廻御出被遊、御供御平常之通
御橋ニて
十九日
廿日
一 七 戸 民 人様 昨夜此元江御引移ニ付、為御怡御肴一折被進候
一 工 藤 隼 見
内用有之御知行処関口江罷越申度、往来五日御暇申上被下置、
明廿二日出立之旨申出ル
一 御書院 稲荷御祭礼
正一位呑香稲荷大明神 文化九歳壬申五月廿一日御筆也
御籏 壱対
ほうつき御挑灯 壱対
右新ニ御寄進被遊
御挑灯 壱対
倉 沢 清 治
差上ル
廿二日
御表様、向井寛司様御法事ニ付、永祥院江被為入、御供御平常
之通
御橋ニて
一 愛宕山江御神馬大湯より来ル馬送り、左之通
飛脚 茂 助
覚
尺
一 青毛駒二 北監物領関上村 佐五右衛門
右馬壱疋北監物様より、盛岡愛宕江御神馬ニ攣参候間、無滞攣
届候ハヽ御改受取返事可被遣候、以上
申九月十九日 毛馬内馬肝入 七郎兵衛
儀右衛門印
盛岡馬宿
弥作 殿
馬雑人衆中
前書之通相違無之候、改御通可被成候、以上
九月 橋本 定右衛門
中野 三左衛門印
折壁・夕顔瀬御番人中
覚
一 壱疋
右は支配処駒弐才之内、北監物より神馬ニ攣参候間、相改其筋
送書付之通相違無御座候
九月 橋本 定右衛門
中野 三左衛門印
牛馬御用所
廿三日
奥様 於勝様 御子様方、弥六郎様御祭事ニ付、為御参詣四時
御出有之
御供 尾形 射右衛門
晴 山 実
諏 訪 良 蔵
汲 川 安 太
佐 藤 武
大川原 叶
君成田 泰 助
御橋ニて両度ニ御出被遊
女中供 壱 人
押
御菓子 弐重 まんちう・巻せんべい
御初穂 三十疋ツヽ
弐包杉原江包、金銀水引ニて中結
右は 奥様 於勝様より
同三十弐銅ツヽ 光り銭
杉原紙へ包、包様去月之通
右は 御子様方御四人様より
御挑灯 壱対
右御奉納一昨廿一日被遣之
夜六時過御帰館
廿四日
一 青毛駒弐才 壱疋
右は例年之通愛宕山江御奉納、飛脚茂助前夜より愛宕江攣参
一宿致候
御表様、御参詣之節御奉納ニ相成候
外ニ御初穂青銅 五十疋
御神馬江相添大湯より来ル、大湯御代官共より法輪院様御小
性中と表書之書状来ル
御表様愛宕山江御参詣
御供 佐 藤 武
汲 川 易 太
君成田 泰 助
御橋ニて
新渡戸丹波殿御渡候御書付壱通相達候之間、被得其意御同列中
不残様無遅滞通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥
市方江可被相返候、以上
九月廿四日 大目付
北 監物 殿 奉
南 彦六郎 殿 奉
右役人
霜月十五日、髪置袴着紐とき祝ひ并誕生之時宮参等之節、生社
神江参詣之儀、一統只今迄勝手次第親々之存入ヲ以信仰之社江
為致参詣候儀、不相当之事ニ候、惣 御鎮守之儀は 榊山ニて
御城下一統生神ニ有之候得共、猥りに参詣不相成御場所之事故
、春日・厳嶋両社生神守護たるへく候間、依て以来生神之社間違
不申様左之通相心得参詣可致事
一 中津川向は、 春日大明神江参詣たるへく事
一 中津川手前は、 厳嶋大明神江参詣たるへく事
一 新山川向 御城下近き所は、 大国大明神江参詣可致事
一 夕顔瀬川向 御城下近き所は、 栗谷川稲荷大明神江参詣可致 事
右之通向寄相達行違無之様為相心得可申事
九月
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付壱通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・彦六郎被申付候、尤
、御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
九月廿四日 南彦六郎内 福 士 伊兵衛
北監物内 君成田寛右衛門
御次第不同
桜庭 兵庫 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
外御高知様 御役人連名
右は御城御用使御同心南様江差て御廻状御書付致持参候由、南
様御役人より申来候は、只今大目付中より御廻状并御書付、拙
者共方へ致持参候得共、此方様御先気之御事故、此方様ニて御
認御廻シ被成候様致度旨申聞候、依之、挨拶致候は此方先気ニ
は候得共其御元江差て致持参候儀は、如何成ル御上 思召ニ候
哉、然は、其御元ニて御認被成候て御廻シ可然候と申向候処、
後刻南様ニて相認当又持参此方様より御廻シ被成候様致度、尤
、御本紙共ニ此方様より御返却被成候様致度旨申聞南様御名之下
江奉字書候て、本紙相渡候間承知之旨及挨拶受取、右孰も御城
使守田七郎挨拶致申聞ル、右田館清助ヲ以桜庭様御取次竹沢喜
右衛門江相渡
御表様七時より七戸民人様江被為入、御供御平常之通
御橋ニて
廿五日
於綾様 久吉様、志和江於参詣
御供 晴 山 實
佐 藤 武
汲 川 安 太
小山田 里 治
君成田 泰 助
浅 井 養 元
御女中 三 人
御草り 深 蔵
御弁当持 壱 人
御六尺 四 人
合羽付馬 壱 疋
御初穂 三十疋
右二包 本宮 新宮江
久吉様
同三拾弐銅ツヽ 弐包
於綾様 同断
暮六時於帰館、今日御供之上下江御夜食被下、三ツ付ニて御小
者共へは汁計りニて
廿六日
先日之御廻状并御書付壱通廻状共南様江相戻候旨申来候間、本
紙御城使守田七郎持参、宮手弥市殿取次伊藤藤市江相渡ス
一 大湯飛脚 茂 助 帰
覚
一 御書付 弐通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申ス
九月廿六日 北監物内 汲 川 安 太印
御城中ノ口御用使
楢山茂右衛門組 吉 田 忠之助
新渡戸丹波殿御渡候御書付弐通相達候之間、被得其意御同列中
不残様無遅滞通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各より宮手弥
市方江可被相返候、以上
九月廿六日 大目付
北 監物 殿
桜庭 兵庫 殿
右役人
覚
御家中一統家屋鋪之儀は、先祖共より被相譲候事故、大切ニ持
伝可申処、当座之不如意ニて右宅ヲ相払別宅ヲ求亦は借宅等い
たし、且、遠方行之御用相蒙候者ハ家内離散いたし罷越候類も
有之候、士道ニ不似合不心得之事ニ候、依て、思召入有之候間
、以来右躰之者有之候ハヽ急度可被及御沙汰候、是迄之処一々御
吟味被成候ては、数多無調法人有之事故御吟味之儀は御用捨被
成候、依之、唯今迄借切ニ住居いたし居候者ハ、右借宅ヲ直々
本家ニ願可申候、貸置候者ハ自家不持ニ相成候事ニ候、半分借
受居候者ハ本家主と両人之名前ニ相成候事、離散之者ハ離散之
侭家主遠方御用相済罷帰候節は無拠独身之事ニ候、左様ニては
誠ニ御不慈悲之様ニは有之候得共、莫太之御家中一々御手宛も
離被成儀一段窮屈ニて不便之事ニは 思召候得共、後ニは銘々
居所ニも迷ひ不申御奉公之心懸ニも相成可申事ニ候、前書之通
御沙汰被成候ては差当り窮屈ニて逼迫ニ及ひ候者も可有之哉ニ
候得共、数多之御家中格別之事も有之間鋪、仮令家内永ク離散
いたし居候ても家名身帯之有之事故、右ニて御奉公不相勤と申
筋も無之事ニ候得共、於江府御大名は不及申、御旗本御家人差
上り之町人ニ至迄も先祖より持伝之家屋鋪ニは相放不申様ニ心
懸候事ニ候、然ル処、御国元近年貧窮と申なから聊之事ニて家
屋敷売払候儀悪キ風義ニ相成、兼々御沙汰被成候御趣意ニも相
応シ不申士分之心懸薄く別て御残念ニ 思召候、随て、是迄住
馴候所より急度相動キ不申様可仕候居屋鋪所持不仕候者は、兼
て御沙汰被成候通屋敷地願上候ハヽ御差支無之、御場所可被下
置候之間、追々願上可申候、右之通被及御沙汰候条、以来急度
相守住居向手離不申様可致旨被 仰出
九月
覚
神明町之儀、以来生姜町と相唱可申事
九月
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付弐通被
差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
九月廿六日 桜庭兵庫内 和井内治郎右衛門
北監物内 君成田寛右衛門
御次第不同
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
右三郷清蔵持参致、南様御取次木村丹治へ相渡
右認候上、桜庭様御役人江手紙遣相招候処、御役人和井内治郎
右衛門病気ニ付、谷地源吾来り候故、為見候上ニて相出ス
奥瀬内記様、此節松前御勤中ニて御留主故、御役人迄以手紙通
達ス、尤、御書付弐通并御廻状共ニ別段相認添遣ス
以手紙致啓上候、然は、今日大目付中より御廻状壱通・御書付
弐通被差越候ニ付、右写御高知様御役人中迄致通達候様、監物
・兵庫被申付候間、以廻状致通達候、然ル処、御主人様此節御留
主故廻状江御連名相除キ各様迄以手紙致通達候様、是亦被申付
候間、即差越申候、御承知之上右御書付写共御返却可被成候、
以上
九月廿六日
上書、左之通
奥瀬 内記 様 北監物内 君成田寛右衛門
御役人中様 桜庭兵庫内 和井内治郎右衛門
右は三郷清蔵持参、内記様御取次関元市へ相渡
廿七日
一 奥瀬内記様御役人より御書付写戻ル
御表様、八時より永福寺江為御参詣御出有り
御供 晴 山 實
佐 藤 武
小山田 里 治
御橋ニて
廿八日
御表様、聖寿寺・東禅寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口御家来壱人最早御上不被成候
、 以上
九月廿八日 野々村 圓 蔵
北 監物 様
御返事、例之通認遣ス
右ニ付、御城使守田七郎罷出候処、御目付野々村圓蔵殿御手塞
ニ付、御徒目付寄木新蔵申達候は、今日於御厩尻御焼捨物有之
候間、為御心得為御知申候由に申達ス
一 工 藤 隼 見
先日御暇頂戴関口へ罷越候処、得風邪不快保養仕、今日罷帰候
旨申出
廿九日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供常之通
御橋ニて
一 去ル廿六日致通達候、御書付写弐通・御廻状写壱通、廻状共ニ
御向々御順達相済、今未刻漆戸左司馬様より相戻ル、依之、本
紙御城使守田七郎持参、宮手弥市殿江返上取次加藤栄吉
晦日
一 御代香 君成田寛右衛門
一 谷 地 治
十月朔日より勤番之処、今日着
一 君成田 右 内
右同断之処、御広間闕番有之ニ付、守田七郎江引代御広間御城
使兼帯相勤候様波岡傳右衛門申達之、尤、御納戸共ニ是迄之通
相心得、晴山実より引受可申旨共ニ申達
一 小山田 里 治
右は君成田右内御城使被 仰付候ニ付、右御用向等ニて取紛候
節は当分御納戸懸り合被 仰付候間、御用物出納等江立入候様
波岡傳右衛門申達ス
十月朔日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
一 二日 工 藤 隼 見
三日 諏 訪 良 蔵
四日 安 田 栄 蔵
五日 大河原 叶
六日 湯 川 四郎治
右は此節御次御人不足ニ候条、隔日ニ相詰候様被 仰出
一 晴山 直右衛門
小山田 勇之進
御次勤番ニ付、今日相詰ル
口上之覚
私儀当年 久吉様御相手常勤被 仰付候処、先頃申上候通病気
罷有出勤仕兼候処、猶疾瘡相煩近々出勤可仕躰ニ無之候、依之
、申上候儀恐多奉存候得共、御相手御免被成下度奉願上候、此段
御序之節宜御執成被仰上被下度奉願候、以上
九月廿九日 工 藤 弥太郎
右願之通被 仰出申遣之
二日
一 佐 藤 武
勤番相済、今日下宿
一 御代香 君成田寛右衛門
一 左衛門尉様爰許御止宿ニ付、御手紙御供御家老迄被遣、左之通 中里覚右衛門 様
北 監 物
江刺治右衛門 様
以手紙令啓上候、 左衛門尉様道中益御機嫌能御旅行今晩爰許
被成御止宿奉恐悦候、依之、為伺御様躰御止宿江罷出可申処、
此節痛所々罷有候故、其儀無御座候間御聞置、若御尋も御座候
ハヽ宜御執成頼入存候、此段可得御意如此御座候、以上
十月二日
右は前日より、右手紙認方御物書頭古沢十作殿へ当番御家老波
岡傳右衛門より以手紙頼入候処、御文面下書ニ遣候様申来候間
、写取今朝御用之間迄遣候処、相認給来候て御仮屋詰御物書頭は
七戸庄蔵殿之由申来候間、波岡傳右衛門より手紙相添御供御家
老名元も相知レ不申候故、御認御出シ被下度段頼遣ス、御使小
山田里治御仮屋詰御坊主根子長悦相頼候
中里 覚右衛門
北 監物 様
江刺 治右衛門
御手紙致拝見候、左衛門尉様爰許就御止宿為御伺御様躰御上可
被成候処、此節御病気ニて不被及其儀之旨、若御尋も御座候は
可申上旨御紙面之趣致承知候、右御報如斯御座候、以上
十月二日
三日
一 守 田 七 郎
汲 川 安 太
勤番相済今日出立可仕候処、大雨ニ付逗留被 仰付
四日
一 守 田 七 郎
汲 川 安 太
今日出立罷帰ル、飛脚弐人帰ル
五日
御表様聖寿寺・東禅寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
六日
七日
一 波岡 傳右衛門
勤番相済、今日下宿
一 晴 山 実
勤番相済、今日下宿
御表様九時八戸弥六郎様江被為入、御供御平常之通
御箱
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付弐通被
差越候ニ付、右写各様迄通達致候様兵庫・帯刀被申付候、尤、
御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
十月七日 楢山帯刀内 袰岩 圓右衛門
桜庭兵庫内 和井内治郎右衛門
御次第不同
北 監物 様 御役人中様
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
此度、別紙之通御町奉行江御沙汰被成御書付大萱生外衛殿御渡
候壱通并毛馬内蔵人殿御渡候壱通相達候間、被得其意御同列中
不残様無遅滞通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱
方江可被相返候、以上
十月七日 大目付
桜庭 兵庫 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
覚
町名向後左之通相改唱可申事
一 仙北町を 仙北丁 センホクチヤウ
川原町を 川原丁 カハラチヤウ
石町を 穀丁 コクチヤウ
新町を 呉服丁 コフクチヤウ
肴町を 肴丁 サカナチヤウ
八幡丁を 八幡町 ハチマンチヤウ
生姜町を 生姜丁 シヤウカチヤウ
葺手町を 葺手丁 フキテチヤウ
紺屋町を 紺屋丁 コンヤチヤウ
鍛冶町を 鍛冶丁 カチチヤウ
本町を 本丁 ホンチヤウ
八日町を 八日丁 ヨウカチヤウ
六日町を 六日丁 ムイカチヤウ
油町を 油丁 アフラチヤウ
大工町を 大工丁 タイクチヤウ
寺町を 花屋丁 ハナヤチヤウ
四ツ家町を 四ツ家丁 ヨツヤチヤウ
三戸町を 三戸丁 サンノヘチヤウ
長町を 長イ丁 ナカイチヤウ
材木町を 材木丁 サイモクチヤウ
久慈町を 茅丁 カヤチヤウ
紙町を 紙丁 カミチヤウ
仙北町新小路之事 青物丁 アヲモノチヤウ
鉈屋町之事 鉈屋丁 ナタヤチヤウ
石町新丁之事 新穀丁 シンコクチヤウ
山岸町之事 山岸丁 ヤマキシチヤウ
右四丁、以来諸丁並御町奉行支配被 仰付
一 馬町 ムマ
十三日町 チウサンチヤウ
右弐丁ハ是迄之通相唱候事
右之通相唱一統銘々店先江水桶差出、何丁壱丁目・二丁目と丁
限板江書記水桶江打付可申、且、水桶は諸丁不同無之様可致事
十月
御城下中、年始祝儀として三河万歳相廻、其外冬至・節分・大
晦日年越為祈祷・獅子相廻申度旨御駒大夫願出候ニ付被 仰付
候間、相廻候ハヽ家々之祝並祈祷ニも相成候事故、多少ニ不拘
祝儀遣可申候
但、相廻候節、外之芸好候て間取之儀ハ扣可申事
十月
八日
九日
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江御家来壱人御上ヶ可被成候
、 以上
十月九日 野々村 圓 蔵
北 監物 様
御用之儀御座候間、御中丸中ノ口江家来壱人可差出旨得其意存
候、以上
十月九日 北 監 物
野々村 圓蔵 様
右御差紙ニ付、御城使君成田右内罷出候処、御目付野々村圓蔵
殿御手塞ニ付、御徒目付洞内長兵衛明後十一日 屋形様五時御
供揃ニて聖寿寺江御仏詣被遊候間、門前掃除并外例之通相心得
候様申達候ニ付、早速御台処江例之通申達
此度六時鷂御逃被成候間相障申間鋪旨被 仰出候、此旨左様御
心得被成召仕之者江も可被仰含候、以上
十月九日 御目付
内丸中
十日
御表様彦助様江為御見廻御出有之、御供御平常之通
十一日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
御手札御持被遊
十二日
御表様村松喜八郎江被為入、御供御平常之通
御駕
御札令拝見候、弥御無事珍重存候、将又、御祈祷之御祓大麻并
品々贈給之忝存候、仍、御初穂弐百疋致献上之候、猶期後音之
時候、恐惶謹言
十月十二日 御名 御名乗 御判
三日市大夫次郎 様
御初穂金 弐百疋
青銅 五十疋 石川幸之進江被下
御使者
受書
一 御初穂金 弐百疋
右被為成献上之目出度収納仕候、且又、青銅五十疋私江御恵被
下不相替目出度拝納仕候、以上
申十月十二日 三日市 石 川 幸之進印
監 物 様
御使者
十三日
今暁八時村松喜八郎殿、為馬喰馬御用御登ニ付、升形迄
遠使 小山田 勇之進
一 今日四戸銀左衛門殿御祖母三十三忌法事ニ付、源勝寺江
御使者 大川原 叶
右ニ付、杉重一組逮夜江被進候
一 湯 川 四郎治
母方祖母病死ニ付、忌懸之義大川原叶ヲ以訴出候処、御免之旨
被 仰出、御家老谷地治右衛門以奉書申達ス
十四日
御表様八戸弥六郎様江被為入、御供御平常之通
御箱
十五日
御表様、為月次御礼今卯中刻御登 城
御供 湯 川 四郎治
晴山 直右衛門
小山田 勇之進
御鑓
御箱
合羽篭 壱荷
十六日
御表様三社江御参詣被遊、御供御平常之通
御橋ニて
覚
一 御書付 壱通
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
十月十六日 北監物内 君成田 泰 助
御城中ノ口御用使
大萱生外衛殿御渡候御書付写壱通相達候之間、被得其意御同列
中不残様無遅滞通達可在候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田
唱方江可被相返候、以上
十月十六日 大目付
北 監物 殿 奉
桜庭 兵庫 殿 奉
右役人
演説
鈴木和泉・斉藤出雲方ニて是迄盛岡并向中野厨川通右場所隔年
ニ獅子舞・祈祷として相廻り来候処、和泉・出雲儀身分も格別
ニ御取立被下候得は、神祇道江対候ても如何鋪殊ニは榊山 御
本社ニ御獅子も有之候ニ付、旁、獅子頭当年より持廻り候儀相
扣申度旨依願為御止被成候ニ付、以来ハ大宮御社篠木御社ニお
ひて御祈祷相勤両人より守札引賦り候事故、大宮篠木と廻り場
を相分ヶ不申双方打込ミニ相廻候之間、盛岡并向中野厨川通共
ニ守札もらい請信仰可仕事
右之趣、最寄ニ心得居り候様可申通置候事
十月
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付写壱通
被差越候ニ付、右写各様迄致通達候様監物・兵庫被申付候、尤
、御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕
候、以上
十月十六日 桜庭兵庫内 和井内治郎右衛門
北監物内 君成田寛右衛門
御次第不同
南 彦六郎 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
毛馬内近江 様 御役人中様
奥瀬 治部 様 御役人中様
桜庭 周防 様 御役人中様
漆戸 左仲 様 御役人中様
野田 豊後 様 御役人中様
内堀 大蔵 様 御役人中様
下田 右門 様 御役人中様
岩間 将監 様 御役人中様
黒沢傳左衛門様 御役人中様
向井 寛司 様 御役人中様
山本右兵衛 様 御役人中様
漆戸左司馬 様 御役人中様
右廻状三郷清蔵ヲ以南様江差越候処、十九日七時過廻達相済戻
候ニ付、御城使君成田右門持参吉田唱殿取次福田清作江相渡
十七日
十八日
一 八戸冨吉様御名但馬様と御願之通被 仰付候旨為御知ニ付、
奥様より御肴一折あふらめ被進之
安田喜之進、関口江御用ニて罷越
十九日
右同断ニ付、御肴一折すゝき
御表様より被進之、昨日可被進之処、御上御日柄故今日被進之
御表様八時より弥六郎様・丹波様江被為入、御供御平常之通
御橋ニて
廿日
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通・御書付写壱通
被差越候ニ付、右写各様迄致通達候様彦六郎・帯刀被申付候、
尤、御銘々様より不及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届
可仕候、以上
十月廿日 楢山帯刀内 袰岩 圓右衛門
南彦六郎内 山崎 徳右衛門
御次第不同
北 監物 様 御役人様
桜庭 兵庫 様 御役人様
下田 将監 様 御役人様
奥瀬 内記 様 御役人様
毛馬内近江 様 御役人様
奥瀬 治部 様 御役人様
桜庭 周防 様 御役人様
漆戸 左仲 様 御役人様
野田 豊後 様 御役人様
内堀 大蔵 様 御役人様
下田 右門 様 御役人様
岩間 将監 様 御役人様
黒沢傳左衛門様 御役人様
向井 寛司 様 御役人様
山本右兵衛 様 御役人様
漆戸左司馬 様 御役人様
大萱生外衛殿御渡候御書付壱通相達候間、被得其意御同列中無
遅滞通達可有候、尤、銘々より不及挨拶各より吉田唱方江可被
相返候、以上
十月廿日 大目付
南 彦六郎 殿
楢山 帯刀 殿
右役人
覚
八幡山鳩森 八幡宮御旅所江、此度若宮 八幡宮御勧請被成候
間、以来鳩森 八幡宮御旅所と唱不申、若宮 八幡宮と唱可申
、 尤、鳩森 八幡宮御旅之儀は是迄之通相心得可申事
十月
廿一日
廿二日
廿三日
廿四日
御表様愛宕江御参詣被遊
御供 諏 訪 良 蔵
小山田 里 治
君成田 泰 助
御橋ニて
廿五日
覚
一 御廻状 壱通
右之通慥ニ受取申候、以上
十月廿五日 北監物内 晴山 直右衛門印
御城中ノ口御用使
以廻状致啓上候、今日大目付中より御廻状壱通被差越候ニ付、
右写各様迄致通達候様監物・彦六郎被申付候、尤、御銘々様不
及御挨拶御通達相済候上、拙者共より御届可仕候、以上
十月廿五日 南彦六郎内 山崎 徳右衛門
北監物内 君成田寛右衛門
御次第不同
桜庭 兵庫 様 御役人中様
下田 将監 様 御役人中様
楢山 帯刀 様 御役人中様
外御高知様御役人連名
尤、奥瀬内記様今以松前より御帰無之故、別段相認以手紙及通
達候
此度従 公議御尋人有之御穿鑿被 仰付候、依之、塩川金蔵・
渡部悦太・冨田嘉治馬・川守田多右衛門家別相廻候様被 仰付
、来ル廿七日より御廻被成旨、大萱生外衛殿御達被成候、此旨被
得其意御同列中不残様通達可在候、尤、銘々より不及挨拶各よ
り吉田唱方江可被相返候、以上
十月廿五日 大目付
北 監物 殿 奉
南 彦六郎 殿
右役人
右御廻状并廻状共ニ田館庄右衛門持参南様御取次金田一金弥江
渡南様より桜庭様江持参候筈、尤、通達相済候上本紙南様より
返上之筈ニ以手紙申遣也
廿六日
従 公義御尋人御座候ニ付、御書出之通之者有之哉と御穿鑿御
座候、拙者家内左様之者無御座候、若牢人者も有之由、脇より
申出候ハヽ越度可被 仰付候、為後日如此御座候、以上
文化九年十月 御名御印
塩川 金蔵 殿
渡部 悦太 殿
冨田嘉治馬 殿
川守田多右衛門殿
右之御証文御物書頭古沢十作殿江谷地治右衛門より以手紙御頼
申候処、御認ニ遣給候、八木沢十蔵殿御頼申候て手紙認申請、
右御証文共ニ冨田嘉治馬殿江遣候処、致承知候旨申来ル、尤、
及御報可申処、只今出懸故不及其儀旨共ニ申来ル
一 昨日差出候廻状今七つ時相戻ル
廿七日
一 大湯より鰰弐千尾来ル
飛脚 治 助来
宗治嫡子 諏 訪 勇 太
初て之御礼申上度ニ付、今日着
廿八日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御橋ニて
一 君成田 右 内
小山田 里 治
御上御日柄之折は音曲遊山ヶ間敷儀仕間敷旨、兼て御沙汰有之
候ニ付、御前ニも御慎被遊音曲之類ニは無之候得共御的等之御
慰も不被遊候、殊ニ今廿八日格別之御上御日柄之処、御仏参御
留主中御的場ニおいて自分之的等致候義 思召入ニ不相応仕方
不心得之至ニ候、依之、差扣被 仰付御賄処江引取慎居ル
右ニ付、君成田寛右衛門・君成田泰助恐入差扣申上候処、不及
其儀旨被 仰出、大湯・関口親類共若差扣之義申出候ハヽ兼て
御役人共江為心得置不及其儀旨可申達旨被 仰出、大湯・関口
江も谷地治右衛門申遣ス
一 小山田 勇之進
恐入差扣申上候処、不及其義旨被 仰出候
廿九日
御表様聖寿寺江御仏参被遊、御供御平常之通
御駕ニて
晦日
一 御代香 君成田 寛右衛門 十一月朔日
御表様、為月次卯中刻御登 城被遊
御供 諏 訪 良 蔵
小山田 勇之進
君成田 泰 助
御鑓
御箱
合羽籠 壱荷
一 君成田 右 内
小山田 里 治
差扣被 仰付候処、今朝晴山直右衛門を以谷地治御免被遊候旨
申達
御表様聖寿寺江御仏詣被遊、御供御平常之通
御駕
一 高坂 才右衛門
当番ニ付出番
二日
御表様聖寿寺御仏参被遊、御供御平常之通
御駕
大湯飛脚 善 助
三日
一 宗治嫡子 諏 訪 勇 太
今日初て之御礼被為請御礼申上候
御表様江、御肴鯛一折差上ル
奥様 同 鱸一折差上ル
御表様七時より賀ゝ野新渡戸丹波様御出被遊、五時御帰殿、御
供御平常之通
御駕籠
四日
一 君成田寛右衛門
勤番相済出立罷帰ル
一 諏 訪 勇 太
関口江内用有之、十日往来御暇願上今日出立罷越
五日
御表様御仏参被遊、御供御平常之通
御駕籠
六日
七日
於勝様、暮時弥六郎様江御泊り懸御出被遊
御供 尾形 射右衛門
小山田 勇之進
晴山 直右衛門
諏 訪 良 蔵
御駕籠
御箱
御草り取
女中供
右ニ付、すい弐枚御砂鉢ニて、まんちう一重
嶺松院様先日被為入候処、今日御帰り被遊ル、尤、年内中御出
も不被為有、来年頭ニも二月之頃御出被遊候ニ付、御供諸下々
迄御酒被下、諸士御供・女中江、御吸物・御肴二種、下々江ハ
御肴二種
八日
九日
久吉様、弥六郎様江為御見舞昼時御出
御供 晴山 直右衛門
小山田 勇之進
小山田 里 治
御草り取
十日
於綾様 於綱様 於崎様、昼時弥六郎江為御見舞御出被遊
御供 尾形 射右衛門
工 藤 隼 見
小山田 勇之進
晴山 直右衛門
御草り取 壱 人
女中供
御菓子一重 まんちう
一 大湯飛脚 治 助着 十一日
一 大川原 定 賀
内用有之相詰
一 大湯飛脚 弐人 善助・十太
二日振ニて着
十二日
一 大湯 大圓寺
兼て願上置候杉川通他払御証文頂戴之旨申出ル
十三日
一 大川原 定 賀
内用相済、今日出立罷帰ル
於表様、東様江暮頃御出被遊、御帰殿四時過、御供御平常之通
御駕籠
御挑灯
十四日
御表様、九過時弥六郎様・奥瀬内記様御出被遊
御供 工 藤 隼 見
小山田 勇之進
晴山 直右衛門
御草り
御箱
一 大湯御同心才領 瀬川 永助 来ル
一 諏 訪 勇 太
関口知行所江罷越候所、内用相済候て今日罷帰、尤、君成田各
内勤番相済罷帰候迄逗留願上候所、願之通被 仰付、谷地治申
達之
一 御小者 六 人江
右惣代合之儀御沙汰ニ付、高坂才右衛門小頭庄右衛門を以申達
之、御請申出ル
十五日
御表様、卯中刻為月次御礼御登 城被遊
御供 小山田 勇之進
小山田 里 治
諏 訪 勇 太
御鑓
御箱
御草り
合羽籠 壱荷
十六日
御表様、三社江御参詣九時御出
御供 小山田 勇之進
小山田 里 治
諏 訪 勇 太
御駕
一 御小者 作 助
勘 太
長九郎
右三人此度御沙汰ニ依て相下ル、尤、御小者相据候迄高小者三
人相詰右江代ル罷下ル
十七日 鎮火
口上之覚
嫡子谷治儀、当月廿三日より当番ニて相詰可申処、去月中旬よ
り腫物相煩大迫町青木教庵療治罷在候得共今以慎方も無之、近
日出勤可仕躰無御座候間此段申上候、以上
十一月十七日 晴 山 成 見
関口御知行所御納米百性共御屋敷江附上候節、馬弱之者ハ前以
郡山宿久作と申者江頼合駄賃ニて御屋敷江附上来候、然ル所、
此度見前江駅所御立被成候ニ付、附通し不相成候間、見前ニて
継立候様ニと申ニ付、右之趣、関口御代官安田喜之進・小山田
萬江久作申出候間、御代官共より申出候□□□申出候は関口御
納米之義は□給処米とも違、御知行江御蔵も被立置御蔵奉行共
ニ被 仰付置為相納候御納米ニ御座候へは、俵江立縄かけ五所
結ニて、已前より道中無滞附上罷在候、已来共ニ馬弱之者は頓
て郡山ニて駄賃相頼附上不申候得は、甚タ御百性共迷惑仕候間
中其筋へ申入、是迄之通難なく附上ニ相成候様仕度旨申出候ニ
付、早速八木澤十蔵殿江谷地治より頼合候所、見前向中野通御
代官太田源五平殿江頼合給候様、源五平殿被申候は、左候ハヽ
已来木札為持候て可然候間、右之趣申通様にと十蔵殿江被申聞
候由、十蔵殿治江被申聞候、木札認様とも持参いたし被呉候間
、直々喜之進萬江差遣、尤、右判鑑源五平殿江差出候得は見前駅
所懸り之者江渡置候筈ニて其旨共ニ関口御代官とも江申遣ス
木札
裏印
十八日
一 村 角 軍 助殿 今日御用役格被 仰付候ニ付、御肴油め御一折被遣
例年之通小荷駄并駒弐歳所持之方は、来ル廿四日・廿五日・廿
六日、三日之内朝五時馬宿弥作宿前江可被遣候、此節病馬ニ付
、甚手附難相成分ハ歳・毛・姓御書附、右日限御馬別当江可被遣
候、以上
十一月十八日 牛馬御用懸
御目付
内丸中
十九日
一 大湯飛脚 茂 助来 廿日
廿一日
御表様、中野筑後様御出被遊、直々御帰殿也
御供 小山田 勇之進
晴山 直右衛門
大川原 叶
御草り
□□□
一 すい 一折 米倉萬殿
右は御目付格被 仰付候ニ付、被遣
廿二日
御表様、九過時七戸民人様へ御出被遊、夜五時御帰殿、御供御
平常之通
御駕
御草り取
一 七戸勝之助様御前髪御取被成候、御祝儀として左記ス
覚
一 御肴 一折 鯛
一 御樽 一荷
勝之助様江監物様より
一 御肴 一折 すい
御惣客様江、御惣客様より
以上
十一月廿二日
□□
一 諸□□□升 柳樽江入候分として被遣候
御使者 小山田 勇之進
右何も乗台江
一 御上下 □□
右は 御表様、御出之節御持参被遊候て被進、熨斗目添
一 高瀬 音右衛門
勤番ニ付相詰ル
廿三日
一 小山田 勇之進
勤番相済罷帰候処、晴山谷治病気詰越被 仰付候、然処、内用
有之宿元江罷越申度願上、往来五日之御暇願之通被 仰付罷越
、尤、晴山谷病気ニ付、来正月十三日直々□□□□□□□□□□
□□□□□□□□□□□□□
一
勤□□□□□□□□□□
於姉様、□□□七日弥六郎様御泊り懸御出被遊候間、御帰被遊
御迎御供 尾形 射右衛門
高瀬 音右衛門
湯 川 四郎次
諏 訪 勇 太
御駕籠
御箱
御草り
女中供
覚
一 玄米百五拾駄也
但、壱駄ニ付七斗四升入
右は□□知行所大迫通御代官所宮守村より遠野出仕□来月朔日
より同六日同□日迄五拾駄宛三度附越申度奉存候、依之、無役
通御□□被下度奉存候、以上
十一月廿四日 北監物内 谷 地 治
御勘定頭中様
御表様九時愛宕山江御参詣被遊、御供御平常之通
御駕
御草り取
御表様七時過弥六郎様・丹波様御出、直々御帰殿、御供御平常
之通
御駕籠
一 瀬川 保右衛門
山 口 野 助
勤番ニ付、相詰ル、尤、道中六日振ニて着、お道中一日逗留
一 すい一折 南彦六郎様御婚礼ニ付、被遣
廿五日
御表様、南彦六郎様為御歓と御出被遊、直々御帰殿
御供 高瀬 音右衛門
諏 訪 勇 太
諏 訪 良 蔵
御箱
御草り取
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