中国・西域の旅
1991年8月15日(木) ウルムチからトルファンに


 7時30分起床。やっと薄明るくなった時刻。
 ホテル裏を散策。ポプラを中心にした林が賓館を取り巻いている。林の中にリンゴ園。ただし実はわずか3センチから5センチほどの小さなもの。一つ失敬してかじると青リンゴの味がした。ポプラ林を抜けると、煉瓦造りの工場らしき建物と塀の上に鉄条網を張った建物。工場には石炭を運んでいる男一人。塀の中からは体操でもしているのか号令をかける声。工場の裏は地下壕のような崩れた施設。石ころだらけの丘に石碑、登ってみると墓石であった。2、300メートル向こうの丘の上で犬の鳴き声。歩哨らしき人影。そうか、軍の施設だったのか。納得。
 8時20分、日の出。部屋に戻り洗面を済ます。
 9時、朝食。粥に野菜のピクルス、タマゴ、饅頭、ケーキ等。
 3万円両替。主任らしき服務員の無愛想なこと。
 10時出発、マイクロバスは新車なれど定員ぎりぎり、添乗員は補助椅子に。ポプラ並木がとぎれると道の両側は礫砂漠(ゴビタン)に変わる。左に右に天山の山波。蘭新鉄道が道と平行に走る。右手に白く光る塩湖あり。背後の岩山の裾にはみごとなペジメント。11時45分から12時まで達坂城でトイレ休憩。
 天山の名峰の一つボゴダ峰の遠望できる峠道にて写真ストップ。
 カーステレオから流れる喜多郎の「シルクロード」を聞きながらの天山越え。天山といってもその支脈を横切る渓谷沿いの道。茶色に濁った川沿いに白楊、胡楊が緑の縁どりをなし両岸は植生のない切り立った岩山がつづく。約1時間同じ風景を見る。しかし、交通量は結構多く、対向車のみならず我々の乗ったマイクロバスを追い越していくトラックや四輪駆動車もある。トラックの積み荷は石炭、羊毛、野菜、牛や羊、石油が目立つ。
 渓谷を抜けるとまたもやゴビタン。このあたりは5月頃にはものすごい強風が吹くという。人家は見られず。ただ真っ直ぐな舗装道がつづく。誰かが「蜃気楼だ。」と叫ぶ。なるほど逃げ水とは異なる沼のようなもやもやが地平線近くに見える。今年の中国は異常気象に見舞われ、6、7月に各地で大雨が降ったという。トルファンへの道もあちこちで濁流にえぐられており、補修工事が行われている。
 右手前方にトルファンのオアシスが、まさに中国語の緑洲の名の通りの姿を現す。左手天山の岩山の裾から道路を横ぎりオアシスまで何本もカレーズが造られている。オアシスの周辺には干し葡萄をつくるためのアドベ造りの乾燥庫が並ぶ。オアシスに入れば、道の両側はポプラと桑の並木。水路には豊かな水。水遊びを楽しむ子供たち。洗濯をしている民族衣装の女たち。驢馬に水を飲ませるウイグル帽子の男。しかし、道路のアスファルトは高温のため融け、タイヤの音はベチャベチャまるで泥道を走っているようである。14時15分、緑洲賓館着。外気温なんと48℃。湿度5%。
二重に予約を受けていたのか空部屋がなく、添乗員とホテル側で激しいやりとり。やっと3部屋を確保し、とりあえず荷物を置いて昼食にありついたのは15時過ぎ。食堂でも席がなくここでも一もめ。
 午後の観光は17時から。Bさんと葡萄棚の道を歩いてハミウリを買いに。2個3元50角。外国人用の兌換幣が珍しいのか人だかりができる。部屋で切って皆さんにお分けする。好評。久しぶりの味に満足する。
 17時からの観光は、助手席へ。ビデオ撮影には好都合。展望よし。
 トルファンのオアシスを車窓に眺めつつ、交河故城へ。ビデオは駄目とのこと。カメラのみ持ち、炎天下へ。50℃を越えているのではなかろうか。肌のじりじりと焼ける感じ。カメラは触ると火傷しそうなくらい熱くなっている。しかし、汗は出ない。日干し煉瓦で造られた建物の一部が広範囲に遺るが、土器の破片などは意外に少ない。交河の名の通り河川に挟まれた軍艦状の台地上に造られた故城。まさに要害の地。しかし、谷に面した遺跡は崩壊が激しく、このままだと近い将来2つの川に侵食され遺跡の多くが消え去ることになるかも知れぬ。
 遺跡が広いだけに1時間ほどではとても足らず、日陰の少ない炎天下をがむしゃらに歩き回ったため頭はクラクラ、熱射病で倒れる寸前。熱くなった水筒のお茶をなめながら下山。早い人はすでに茶店で一服しいる。葡萄を仕入れた人、ポラロイドで盛んに民族衣装を身につけたウイグルの婦人や子供を撮っている人、皆さんなかなか元気がいい。
 18時20分発。カレーズの見学に。カレーズまで観光化しているのにはびっくり。せめてオアシスの命綱、カレーズぐらいありのままの姿を見たい。それはともかくカレーズを流れる冷水で喉を潤し、西瓜を2きれをいただきホッと一息。
 水路で水浴びをする子供たちを眺めながら、次の目的地、葡萄溝へ。ハミへの道を挟んでトルファンオアシスの反対側数キロ、火炎山の北西麓に位置した葡萄溝は、天山の雪解け水と湧水を利用し、葡萄栽培が盛んに行われており、トルファン市の接待所が設けられている。涼しい葡萄棚の下で鱈腹甘酸っぱい葡萄をいただく。一枚25元の手書き模様のTシャツ3枚購入。すでに時刻は20時を回っているが、まだ日差しは強く、日中。
 再びトルファン市街地に戻り、バザールへ向かう。途中給油のためガソリンスタンドへ。スタンドには警備兵がおり、一般人は立入禁止。乗客は全員下車。道ばたのポプラ並木の下待つこと10分。バザール着20時30分。
 バザールは楽しい。よそ者にとって、土地の人々の生活がもっとも容易に瞥見できる場所でもある。ゴビタンのどこから集まったのかと思われる賑わいがある。入り口に近い屋台店でナイフを購入。一本33元をやっと30元に値切り購入したが、奥の方では同じようなナイフを10元で売っている。干し杏は1s12元。ゆっくりと買い物を楽しむ暇もなく時間に追われバスへ。21時ホテルに戻る。
 すぐに夕食。トラブルつづきで迷惑をかけたからとて豪華(とにかく種類と量に圧倒される)な料理が並ぶ。羊の丸焼き、シシカバブー、鶏肉料理に淡水魚の空揚げ、干しナマコ、野菜料理のいろいろ、葡萄・西瓜・ハミウリなどの果物、漢風料理からウイグル料理までつぎつぎとテーブルに並ぶ。とても食べれたものではない。酒も白コウリャンと小麦を原料にした46度の酒、ぶどう酒(高昌)、新彊ビール。22時から民族舞踊を観にトルファン賓館へ。葡萄棚の下での1時間を楽しむ。緑洲賓館の部屋の確保できず。添乗員は日本や北京、ウルムチに連絡・交渉、ついにはトルファン市長まで呼出、やっと交通局の招待所に部屋を確保。ツアー仲間のD氏大爆発、添乗員につめより一波乱。ホテルで順にシャワーを浴び、若い者から率先し招待所へ。ロビーの売店でTシャツ一枚10元2枚購入し、0時過ぎバスにて招待所へ向かう。
 Aさんと同部屋。幹部が宿泊する部屋にあたったためか思っていたより清潔で広々している。トイレ、風呂はないがこの程度なら。1時15分、室温30℃、湿度40%。売店で仕入れた新彊ビール(3元)を飲みつつ日記をつける。外はまだ騒がしい。隣にディスコでもあるのか。
 賑やかな音に誘われ、外に出てみた。外気は幾分涼しく、部屋より快適。満天の星。隣のディスコとおぼしきは市の工人倶楽部。激しいリズムに合わせて、なんと社交ダンス。若い人に混じって結構年配の人もいる。