中国・西域の旅
1991年8月17日(土) パミール高原に


   9時モーニングコール。その直前8時50分起床。
 少し疲労気味。散策にでかける気力なし。9時30分から2番ビルの食堂にて朝食。お粥3杯にミルクコーヒー、中国茶。10時30分、昨日迎えに来たのと同じ大型バスにてパミール高原のカラクリ湖に向け出発。
 辺境のため入域に許可が必要とのこと。
許可証を得るため添乗員のHさんと黄さん、現地のガイドが出かけ、バスはカシュガルの市街地でしばらく止まったまま。丁度止まった場所が野菜市場の前、近在から驢馬車や馬車で運んできた野菜や果物が山と積まれ大変な混雑ぶり。市場の角にある食堂では朝から野菜炒めの臭い。裏の調理場を覗くとふいごで火力を上げて中華風料理の真っ最中、ビデオを見せると入って来いと手招き。お茶をよばれゆっくり撮影させていただく。
 11時40分発。
 市街を抜けると、広々とした農地。川沿いに稲、畑は綿花・トウモロコシ、キビ、アルファルファ、ヒマワリなど栽培されている。天山、パミール、クンルンの山麓に並ぶオアシスの1つ、カシュガルの豊かさが実感できる広大さである。30分あまりオアシスの緑の中を走る。砂漠に出てもすぐまた次のオアシスへ。道沿いのスナナツメには実が熟し始めている。
 道路と平行して流れる尻無し川も氷河の融水で濁流と化している。
 赤、白、黒、茶、黄色、色とりどりの岩山。突き抜けるような紺碧の空。アドベの家屋。車窓に展開する単調な風景にも、10数年前のバーミヤンの思い出や2年前のインド・カシミールの思い出が重なり、自然と口元がゆるみ、うれしくなってくる。
 武装警官の駐屯する検問所で辺境入域のチェック。写真撮影は禁止。むきだしのトイレの汚くて臭いこと。天然トイレの方がまし。
 いよいよ道は険しくなる。舗装はされているが、雪解け水で洗い流された路肩、道路上に砂礫が流出したり水が流れているところなど多く思うようには走れない。湖岸に見事な砂のペジメントが発達し高山砂漠の様相をなした湖の畔に遊牧民のパオが点在。
停車すると子供連れの女が2人、物珍しそうにやってくる。車外に飛び出す者、車窓からカメラをかまえる者、一斉にシャッター音。折角のチャンス、カメラをつかんで石英質の変麻岩礫の坂を走り、パオへ。3つ並んだパオの主人らしき男にパオの内部を見せてもらう。中央にストーブ、入り口付近に調理器具や羊の毛を刈る鋏などが置かれ、一番奥に衣装箱ときちんと畳んだ寝具がある。床面には絨毯が敷かれ、こざっぱり整頓されている。壁に何枚かのポラロイド写真。見れば日本人の顔も、誰も考えることは同じ。我々の仲間の中にも一人いる。タジク族の遊牧民といわれたが、帽子や衣服はキルギス族。
 海抜3500m余りのカラクリ湖着16時50分。氷雪に覆われたムスタグアタ(7546m)など7000メートル級の高峰をバックにした湖の美しさを堪能す。湖岸にはヤクが放牧されている。水はさすがに冷たく、2、3分入っていると足が凍えてくる。武道家でもある黄さんはここで泳ぐのを楽しみにしていたとか、裸になると勢いよく泳ぎ始めた。こんな冷たい高地の湖にもハゼ科の小魚がいる。
湖岸には小さなレストハウスと道路工事等に従事している人の宿舎のプレハブ、それに数棟のパオ。レストハウスで昼食。こんな辺鄙なところでよくもこんなにと思うほどいろんな素材を使った中国料理。ビールまである。食後も限られた時間内に少しでもこのすばらしい景観を我が物にとあちこちと動き回る。その内ビールをコップ一杯にしてはびっくりするほど酔いがまわってくる。3000mを越える高地であることを忘れていた。高山病の気が出てきたのだ。
 18時10分カラクリ湖発。途中2ケ所にてトイレ休憩。カシュガル着22時35分。12時間のバス旅行であった。
 夕食は23時から。早々に済ませ、賓館内で観光客用に催されている民族音楽と舞踊を観に出かける。最前列のソファー席が用意されており、メロンや西瓜が運ばれてくるなどまるでVIP待遇。0時30分閉演。入浴後、バーボンを持ってBさんの部屋に。福岡のGさん、NさんさらにOさんも加わり小宴会。
 2時50分部屋に戻る。隣のSさんの部屋からはまだ賑やかな声が聞こえる。夕食前ロビーの売店にてタジクの帽子購入男物4元、女物12元なり。絵はがきは4元。ちなみにハミウリはカシュガルでは1個4元。