| 中国・西域の旅 |
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| 1991年8月19日(月) ウルムチから上海に戻る |
[8月19日(月)]
6時30分、モーニングコール。荷物を出しておき、もう一度ベッドに。7時20分起床。7時45分から朝食。8時30分発。睡眠時間3時間弱。とにかく眠い。友誼賓館には2泊したがウルムチは今度の旅では宿泊のみで、市街の様子をバスの中から垣間みただけ。しかし、周辺地域を含めて人口100万を越えるというだけあって、市街地は広く、市民の服装やショウウインドーにも都会的なセンスが表れている。市街地南端の賓館から北端の空港までは40分から45分。早朝のため人通りは少ないが、自転車で肉を運ぶ人、野菜や西瓜等を積んだトラックター、早くも店開きしたパン屋が目につく。バス停に並ぶのは早出の人か。9時15分空港着。国際線も入っているウルムチ空港であるが、5日前に比べて武装した警備兵が多い。ターミナルに近いところに人民解放軍の旅客型輸送機。王副主席が訪問中との新聞記事あったがそのためか。
干し葡萄500g5.20元、ハミウリの砂糖漬け1.40元。
手荷物のX線検査とボディチェックを受け、貨物室に入れる荷物を確認し、滑走路を歩いて飛行機まで。練習機か珍しい複葉機が離着陸を繰り返している。ハミウリや葡萄を持った乗客が多い。
10時10分離陸。23F席。右主翼の上。
天山の雪を頂いた峰峰越え、数日前にバスで走ったトルファン盆地上空へ。霞がかかり地上はほとんど見えない。ハミ、ランチョウの上空を経て上海に向かうとの機内放送あり。11時過ぎ、右手遠方に雪を抱く山並、祁連山脈か。オアシスの点在するゴビタンが続く。ゴビタンの人工物は、オアシスとオアシスを結ぶ道のみ。12時過ぎ、白い雲の塊がしだいに数を増し、やがて雲海に入る。乾燥世界から湿潤世界への帰還である。
西北航空のおきまりコースになっているのか、記念品の扇子とおしぼりが配られる。飲物サービスは桑の実のパックジュースとファンタオレンジ。それにランチ。一眠りし、ふと機外を見ると、雲の切れ目に湖水面が輝いている。すでに長江の下流域まで帰ってきたようだ。つぎつぎと大小の湖沼が現れては通り過ぎていく。やがて雲中へ。13時50分頃、湖の側に飛行場。予定通り14時25分上海着。着陸直前に上海の高層ビル群が遠望されたが、雲が多く見通しは悪い。
国内線到着口まで送迎バス。運転荒い。しかし、荷物はそのまま、手回り品のみ持ち外へ。パックツアーのいいところか。高さんが出迎え。バスへ。
空港に近い、日航竜柏ホテルで昼食。食欲なし。バテ気味。
売店にて絵はがき、切り絵、カセットテープ(1本7元)購入。49元。
延安路から工業展覧所前を抜け、上海の中心街、南京路に入る。人通りが多く、渋滞が激しい。南京路と中山路との交差点に近く、バンドに面した由緒あるホテル、和平飯店が今日の宿。1906年と刻まれた建物は、洋風の古色が滲むどっしりとした構え。
今夜は457号室。広い部屋。設備行き届き、清潔。ただ一つ風呂の栓のみ不良。 19時まで2時間余り、自由時間あり。疲労が激しいものの、手紙を出しに外出。バンドを20分ほど散歩し、友誼商店へ。漢方薬、烏竜茶などの買い物。
19時から海鵬飯店12階のレストランにて夕食。バンドを見おろす、上海の夕景を眺めるには絶好の場所。お別れパーティーということで、海鮮料理を中心に、豪華な料理が並ぶが食欲なし。ハミウリが唯一おいしく食べれたのみ。
20時30分、部屋に戻る。A先生は和平飯店の呼び物、ジャズを聞きに出かけられる。
部屋に戻った途端に激しい悪寒。風呂で温まろうとするが震えが止まらない。クーラーを消し、長袖のシャツを着、毛布にくるまる。頓服を飲めど、寒気はなくならず、身体はだるい。A先生、22時10分頃戻ってこられる。横になれど、1、2時間おきに目が覚める。12時過ぎに、下痢がはじまり止まらず。1時間おきにトイレにかけ込む。荷物を開け正露丸をさがす元気もなく夜明けを待つ。