シリア・ヨルダン旅日記
1993年8月22日(日) ダマスカスからアレッポに


 4時半頃、アザーンで一時目が覚める。5時40分、起床。6時にモーニングコールの電話。6時半、中二階でバイキング形式の朝食。7時、一階ロビーに集合。バスが来ず、待たされること30分、パンクして修理していたとか。

 7時半出発。昨日の混雑が嘘のように、交通量が少ない。日曜日のせいか。早朝のせいか。シリアではガソリン、軽油ともに1リットルが100円ほどとのこと。油田の開発も行われているが近隣の産油国とは異なるようだ。レバノン山脈の東麓を北に160キロ余り、植生は乏しい。8時56分〜9時15分、ホムス(Homs)の手前のドライブイン=レストラン、Al Baher Restaurantでトイレ休憩。シリアの民族音楽のテープ1本とアラビア語で書かれた新聞、100£S。まだ、20代の若いマネージャーと青いシャツの従業員、写真を撮ってほしいとアサド大統領の写真のかかる店の奥でポーズをとる。Nさん、バラジックというクッキーを仕入、配ってくれる。1sが2、300円とのこと。

 ホムスから西に30分ほど走ると右手の山の上に十字軍がたてこもった難攻不落の城、クラク=ド=シェバリエが見えてくる。あと30分も走れば地中海だが今回はここまで。

 11世紀中ごろセルジューク朝がエルサレムを占領し、聖地回復をはかろうとする教皇ウルバヌス2世がクレルモン公会議(1095)で、十字軍発向を宣言して以来、1096〜1270年まで、約200年、7回に及ぶ十字軍の遠征は、イスラム世界とキリスト教世界の血生臭い抗争であった。シリア各地も十字軍の攻撃にさらされた。その十字軍の拠点になったのが地中海沿岸に数多く残る城跡である。中でも有数の規模を持つのがクラク=ド=シェバリエである。

 山の斜面は乾燥し、褐色の地肌をさらけ出した畑である。坂道を上ると、城の手前に集落がある。城の全景を撮すために下車。村の子供たちが物珍しそうに集まってくる。カメラの被写体としては城より愛くるしい子供たちの方が上か。レンズの向きが一斉に変わる。ツアーの中に必ず子供とみればお菓子を配る人がいる。戦後、進駐軍のジープに群がりチョコレートやガムをねだっていた子供のころを思い出し、あまりいい気持ちがしない。

 岩山の山頂にそびえる「騎士の城」クラク=ド=シェバリエは二重の城壁を巡らし頑強な山城である。装飾もなく、調度品も残っていないが、かえってそれが戦に明け暮れた中世の騎士たちの生活を彷彿とさせてくれる。篭城に備えての巨大な水槽や食糧庫、十字軍らしさを示す礼拝堂、戦果を語り、明日の作戦をたてたのであろう騎士たちの部屋。煮えたぎる油を流したり、石を落とし、攻めいる敵を防ぐための工夫。薄暗い城内を800年前に、意識をタイムスリップさせながら歩く。 城壁の上からは360度の眺望ができる。北側にわ山が迫っているが、南側はホムスと地中海沿岸のタルトゥースを結ぶ沃野が一望できる。まさに、戦略上の要衝に位置した城てある。山上や尾根沿いに集落の多いのは、防備を優先するためか。

 11時30分、1時間45分の見学を終え、アレッポに向かって出発。ホムスに戻り、再び高速道路を北上する。ホムスの南郊に製油所あり。確かこのあたりをイラクのキルクークとシリアの地中海沿岸のバニアスを結ぶ油送管が通っているはず。近年ではシリア国内での油田開発が盛んだともいうが。高速道路はホムスの街の西側を弧状に迂回するバイパスになっている。古いモスクがあり、シリアの東西南北を結ぶ交通の要地ホムスには立ち寄らず通過。レバノン山地に源をもつオロンテス川が道とほぼ平行して北流、トルコのサマンダーで地中海に注ぐ。この川沿いはシリアでも有数の農業地帯。緑の豊富な地帯だ。ホムスから30分ほどでオロンテス川が街中を貫流しているハマに着く。潅漑用の巨大な水車が回る町として有名であるが、ハマの手前のあたりから睡魔に襲われすっかり眠ってしまった。気がつくとバスはすでにアレッポの街に入っていた。街路樹の緑が目にしみる。カフェテラス風の3つ星レストラン、アル・カラ(Al Karam)で昼食(14:00〜15け30)。アラビアパン(ホブス)とそれをつけて食べるホンモス、トマトと玉ねぎ・胡瓜のサラダはおきまりコース、それに羊の肉と炒めご飯。ビールは1本75£S、コーヒーは35£S。路上の屋台で売っていた飴、グロップスは1kg100£S。子どものころ食べた芋飴に似た素朴な味。

食後、シタデル(アレッポ城)へ。アレッポはシリア第二の都市。紀元前3000年にはすでにアモル王国の都として栄え、その後ヒッタイト、アッシリア、ローマの支配下に入り、イスラム帝国の拡大に伴いその支配下にはいる。街の中央に残るアレッポ城は深い濠に囲まれた褐色の丘の上に聳え立っていた。直径500m、高さ50m。最盛期には城内に3000人もの人が住んでいたという巨大な城塞。ヒッタイト時代からイスラム時代に至るまで累層的に造り上げられたという。クラク=ド=シェバリエが十字軍の城塞に対し、アレッポ城はイスラム側の城塞であった。現在の城は16世紀に再建されたものとか。堅牢な造り。城門は南側に1つのみ。濠にかけられた石橋の真ん中に前門があり、その奥に正門が控え、頑強な鉄製の門扉が残る。

ユーモラスな狛犬のような対になった獅子像に迎えられ城内に入る。アーチ状のトンネルがつづく城内には各種の設備が残る。特に印象的なのは巨大な水槽(地下貯水池)、モスク、野外劇場。部屋の一部は復元され、かっての城内の生活が再現されている。屋上からの眺望はすばらしく、アレッポの市街が360度展望できる。16時20分、市内のモスクから一斉に夕刻のアザーン(礼拝)を告げる声が鳴り響く。

城の周りをバスで一周し、アレッポ考古学博物館へ。博物館は、夏季は9時から14時と16時から18時までが開館時間。入館料は10£S。グマスカスの博物館に比べ、よく整理されている。旧石器から現代に至るまでの収蔵物が展示されているが、特にユーフラテス川流域を中心にしたシリア北部の遺跡からの出土品が多い。

 17時35分まで博物館で過ごし、ウマイヤドモスクの側からスーク(市場)に入る。約1時間ほどの散策時間。迷路になったスークの全てを回るには何日も要するだろう。ガイドなしではすぐに迷子になるだろう。わき道にはなるべく入り込まないよう注意し、アラビアンナイトの世界を満喫す。買い物は、生のピスタチオ一山110£S、金のペンダント2個45$、トルコ石ネックレス45$。

ホテル着、19時過ぎ。今日もツインの部屋を割り当てられ、二階の104号室。夕食まで手紙やハガキを書く。

夕食は一階レストランで、ヴュッフェ(バイキング)方式。果物が多いのはありがたい。シリアワインの白はあっさりとした味で飲み易く旨いが赤は苦みが残る。1本400£S。中東問題や日本の国際的な役割などにまで話しが及び、気がつけば22時過ぎ。

 手紙とハガキ投函、60£S。

 部屋に戻り、入浴、洗濯。テレビをつけるとフランスの映像。衛星放送による欧米の番組が数種類受像できる。情報化社会の中では鎖国はできないし、ごまかしもできない。