シリア・ヨルダン旅日記 |
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1993年8月23日(月) アレッポからユーフラテスに沿って |
7時、モーニングコール。7時30分、朝食。朝食後、ホテル周辺を散策。1ブロック回るのに15分。アレッポの新市街、表はゴミもなく清潔な通りでも、一歩裏通りに入ると状況一変す。道路上はゴミだらけ、悪臭もひどい。車庫のある家はほとんどなく、青空駐車の車が路地を埋めている。
8時半、ホテルを出る。政府の高官邸は制服・私服の武装警官がたむろ。信号待ちのドライバー相手にタバコを売る少年。いくら乾燥しているとはいえ、歩道に直にナンを並べている露店には驚く。
アレッポの東郊ではアドベ造りの円錐型家屋を見かける。トルコで見かけたセルジューク時代のドンネルトンブ(円錐型の墓)によく似ている。案外セルジューク時代から残る伝統的な形態かも知れない。
10時55分、メスカン(Maskaneh)を通過。新しい潅漑用水路と建設途上の新しい村が目立つ。テンサイを満載したトレーラーの列を追い越す。ユーフラテスダムの建設によってできたアル=アサド湖による潅漑が進められている様子。ディブサを過ぎると緑地はますます増える。綿花畑が多い。左手にユーフラテス川の流れが見え始めると間もなくアル=マンスラ(Al=Mansura)の町へ。ここでバスは右折し、砂漠の道を南に向かって進む。砂漠の中にも綿花やモロコシの畑が点在。30kmほど走ると、前方にラッサーファ(Ar Rasafeh)の遺跡が現れる。まさに砂漠の中に、忽然と出現する。城壁に沿い西から南に回り、時計の逆回りで遺跡の外側を一周し、北側の門より中に入る。保存状態のよいものは城門や城壁の一部。多くの建物は崩れ、広大な城内は城壁に上れば一望できる。あちこちにローマ時代の陶片が散乱している。ベドウィンの少女が二人と少年が一人、どこからかやってきて「コインを買ってくれ」とついてくる。
城壁に上って遺跡の南側を望むと、ベドウィンのテントが点在。砂煙をもうもうとあげ移動中の羊の群れ。小さな村が1つ。地図で見るとワジのしるし。畑が散在している理由もわかった。
バスを止めてもらって綿花畑の写真を撮る。
アル=マンスラからラッカ(Raqqa)の間は、ユウフラテスの右岸を走る。台地、丘陵状の砂漠を横切っては川の畔に出る。ラッカ付近では川の右岸は幅数百メートルの谷底平野になっており、その背後は比高差200mあまりの砂礫の山がつづいている。その山の麓にアドベ造りの民家が並ぶ。羊、山羊、驢馬と共に牛が目立つ。
ラッカの街はユーフラテスの左岸にある。1975年8月、トルコでユーフラテスの上流を渡って以来18年ぶりの再会に感動を覚えつつ、ユウフラテスに架かる橋を渡る。
カルナックホテル着。部屋割り。106号室。
昼食。
14時30分よりむ1時間余り市内観光。旧市街のバグダッド門と王宮跡を見学し、ユーフラテス川の畔へ。水遊びに興ずる子ども、釣りを楽しむ人、車を洗っている人、水辺の草をはむ山羊の群れ。小型のビデオカメラが珍しいのか子どもたちに取り囲まれる。橋の下の水辺から堤防上のバスまで300m余り、3輪トラックに乗せてもらう。
体調悪く、ホテルに着くなりベッドに倒れ込み、2時間余り眠る。
17時30分から19時30分まで一人でユーフラテスへ出かける。
川原で洗車していたドライバーに勧められ水煙草をいただく。言葉は通じないが心は通じる。キュウリとリンゴもご馳走になり、夕日に染まるユウフラテスを堪能する。
夕食は一階のベランダで。食欲全く無し。果物のみ喉を通る。アラックを一杯飲む。身体の具合ますます悪し。風は涼しく、星空はすばらしい。
部屋に戻ると、悪寒がはしる。鎮痛剤を飲み横になる。下痢。