| シリア・ヨルダン旅日記 |
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| 1993年8月26日(木) 再びヨルダンへ(ジェラシュ遺跡) |
起床6時15分、モーニングコール6時30分。6時55分から朝食。
少し早めに起きて、パルミラの地名源であるナツメヤシの林を撮りに行くつもりであったが、疲れのためか起きられず。
キュウリとトマトのサラダ、ハム、グレープジュース、紅茶の朝食。水筒に湯を入れてもらう。チップ25S£。
7時30分、パルミラ・シャーム・パレス・ホテルを出る。パルミラからダマスカスまでおよそ240キロ。時速100キロ以上のスピードで走るバスの車窓から20分余りも人家のないところもしばしば。クネーフィース付近で燐鉱石の鉱山らしきものを見かける。8時25分、ホムスとバグダッドを結ぶ道と交差するアル・ブセイリ通過。踏切を渡る。両側に岩山。パルミラから100キロ、海抜1000m余りの高原地帯に入る。この付近では冬に地形性の降雨があるのか、草の量がやや多い。ホテル出発以来はじめて羊の放牧を見る。ダマスカスに近づくにつれて遊牧民の姿が増える。テントの側にはトラックがあり、大型の貯水タンクが置かれている。遊牧もまた近代化されている。
9時20分、カーン・アブシャマート通過。軍の施設あり。耕地が開け、集落も。
ドーマ、ダマスカス間は都市化が進んでいる。
9時56分、ダマスカス・シャーム・ホテル着。トイレ休憩。バス、ホテル前に駐車できず、ホテルの周りのブロックを周回し待機。渋滞のため周回に時間がかかり、10時30分ホテル発。ホテルの書店で「Guide to Syria」を400S£で購入。
旧市街を取り囲む城壁に沿い、東門へ。バスを降り、ユダヤ人の多く住む、路地を歩いてアナニア教会に行く。聖パウロがキリスト教に改宗するきっかけになったとされるパウロの目を治したアナニアの家である。階段を下りると今は地下になった洞窟のような部屋がかつては地上にあったアナニアの家とのこと。礼拝堂があり、壁にはアナニアと聖パウロの物語を表す額絵が飾ってある。
路地を挟んで並ぶ家は一階が土産物屋で、二階は路地に張り出し、丁度全体が出窓になったような造りである。インドのカシミールでも木造のこのような造りを見たことがあるが、ここは煉瓦造り。寄せ木細工など扱う店が多く、半日ぐらいかけてゆっくり歩いてみたいところであった。
東門から城壁に沿い300mほど進むとパウロ門がある。ユダヤの追っ手から逃れるためパウロが籠で吊され城壁の外に出たという言い伝えのある遺跡である。今は近くに聖パウロ教会がある。
駅近くでシリアン・クッキーを買う。1キロ300S£。安くて良い土産になる。
渋滞が激しく、ダマスカス市街地を抜けたのは12時前。往路立ち寄ったドライブインで給油。
13時丁度国境に着く。シリア側で50分、ヨルダン側で70分手続きにかかる。アンマン入国時には要求されなかったVTRカメラの申告が必要とかで、添乗員・運転手が税関に何度か足を運ぶ。シリア側と比較し、ヨルダン側のレストハウスは清潔。ただし、物価は高い。セブンアップ一本600フィルス。エアコンの切られたバスの車内は暑い。
国境から50キロ余り、ヨルダン渓谷に位置したジェラシュの遺跡を訪ねる。
マツの植林が進む山地を走ること1時間ほどで谷間に開けたジェラシュに着く。
まず、南門の前のレストハウスで遅い昼食。フルーツはなかったものの、サラダにタルが三品、チキン、カバブー、ナン。味も良く、久しぶりに食欲がでる。ビール小瓶が2JD。
ローマ人が造った都市遺跡、ジェラシュは壮大。南北1キロ以上、東西5600m。その中に劇場が2つ、多数の教会・神殿、アゴラやフォーラムなどの跡が残る。南門から入り、まず左手がゼウス神殿跡、その先にイオニア式の列柱に囲まれた卵形の広場フォーラム。この広場は宗教的な儀式に利用されていたとのこと。フォーラムの左手の道を南に上ると収容能力3000人という南劇場に突き当たる。すり鉢状になった劇場の観客席はかなりの急斜面。最上段まで上ると遺跡の全貌が手に取るようにわかる。遺跡の東側は新市街地になっており、谷の底には糸杉に囲まれ耕地もある。岩山には黒い山羊が放牧されている。南劇場から聖ジョージ教会、聖ジョン教会などを回る。大理石の巨大な柱の一部が転がり、発掘跡の窪地が並ぶ廃墟の中を歩く。ビザンチン時代の陶器の欠片が大量に放置されている。床のモザイクがほぼ完全に残っている教会跡もあった。
アルテミス神殿の前の12本の柱の内の1本は人の力でわずかに動く。観光客が入れ替わり動かしては吉凶占いをし、歓声をあげていた。
ニンファエウム(妖精ニンフに捧げられた神殿 AD191年建立)を抜け、列柱通りへ。石畳の道には馬車の轍が残る。道に撒かれた水は下水に流れるように測道に小穴が設けられている。アゴラの周囲には店舗の跡。636年にイスラムの支配下に入り、8世紀には地震のため崩壊したローマ都市であるが、「石の文化」「乾燥地の文化」は千数百年前の市民の生活をありのまま現在の我々にさらけ出し、提供してくれる。
南門前には露店や小さな土産物屋が並んでいるがその一軒でTシャツを二枚5JDで購入。観光地での物価は通常価格の倍。
18時15分、遺跡発。ジェラシュ〜アンマン間約50キロ。夕焼けに染まる岩山を眺め、ヨルダン川の支流のグリーンベルト沿いを走る。聖書の時代からこの地を潤し続けてきたヨルダン川の流れにしばし心を奪われる。
アンマンで日が暮れる。砂漠の道を南下。20時、クィーン・アリア国際空港着。
PLOのアラファト議長の訪問によるためとかで、飛行機は4時間から6時間の遅れがでるとの連絡。空港に隣接したアリア・ホテルで待つ。127号室へ。シャワーを浴び、21時30分より夕食。サラダ、シチュウ、ライスに紅茶。今回の旅行では最低の食事。Yさん、Tさんとバーに行き談笑。ビール9本空ける。一本2.05JD。売店でヨルダンの民族音楽のテープ、死海の塩の入浴剤等買う。観光地の半値。