『ムグンファの季節』 第3章


本部にいた藤原貢さんの自宅に着いた。芝生がきれいに刈り込まれた庭だった。紫陽花が咲き、枇杷がたわわに実っていた。 玄関で待ち受けていた藤原さんは、少し足がもたついていたものの私を見ると駆け寄ってきてがっちりと握手をして、それから私を抱き抱え背中をドンドンと叩いて歓迎してくれた。

「金本さん、よく来てくれました。その節は本当にお世話になりました。無事にお帰りになっていたんですね。良かった良かった」

「藤原さんは、いまおいくつになられましたか」

「八十二歳です」

「お元気ですね」

「ありがとうございます。おかげで耳が少し遠くなっただけで、至って元気です」

私は、正直この時はまだ、協和隊本部にいた藤原さんと目の前にいる藤原さんが同じ人物だと一致するにはまだ時間がかかった。

造船所OBということで、藤原さんは私を総務課に案内してくれ、造船所のパンフレットをいただき、コーヒーをご馳走になっ

た。その後に造船所の構内見学をすることになった。総務課の職員の運転する車の窓から見た造船所に、昔の面影はなかった。

しかし、造船所のグランドに立った時、私の頭の中でくらくらと立ちくらみ、全身に震えを感じた。

「キムさん、向こうにある赤い屋根の建物は当時のままです。あの石段のスタンドもそのままですが、覚えていますか」

高木先生が、尋ねた。

「ええ、はっきり覚えています。私は、ここで入所式の宣誓文を読みました」

このグランドで入所式があった。私は、その日のことを詳細に思い出した。


昭和十九年九月二十七日。玉野市の造船所のグランドで第一次半島応徴士千五百人の入所式があった。ラッパ手を先頭に、慣れない足取りで、行進した。

海軍大臣代理・田中大佐が挨拶をした。

「入所の半島青年は、何れも二十歳前後の模範青年を選択して、生産陣営に投じたものだということを聞いていたが、この分列式は軍隊以上の立派さであり、生産増強に頼もしい援軍が来たものと、期待するところが実に大きい」

続いて、県知事代理・県協和会宇野支部長の挨拶があり、最後に金本東副官の宣誓文が読まれた。

東奎が宣誓文を読むように言われたのは二日前で、一人で考えて作った文だった。

「戦局は日々苛烈となりました。先に志願兵の兄と学徒兵を一戦に送った。そして、我等も白紙のお召しを戴いて懐かしき故郷をあとにして生産戦列に就きました。故郷の人達に見送られて出てきたときの感激を想起し、覚悟を新たに我等の使命に遭遇しなければなりません。悠久なる大義に生き、皇国・東亜民族の興亡に思いを致し、国家の要請にこたえんと思います」

入所式は、終わった。

翌月、十月二十八日に、第二次半島応徴士二千名が来着して、入所式があった。

こうして、三千五百名の協和隊員が揃った。三千五百名の隊員は、十四中隊に分けられ、造船所のあらゆる仕事に就いた。

昭和十九年秋。サイパン陥落やレイテ海戦の敗北を経て、戦局はますます敗戦の色を濃くしていた。制海権・制空権を失い、この玉野の地にもロッキードによる機銃掃射の空襲が襲った。造船所は、神州第八二O一工場と名前が変わり、海軍の監督下の工場になった。当時、戦時標準船を造っていた。戦時標準船というのは、南方に物資を送るための簡単な船でこの年二十九隻も造った。また、潜水艦も造っていた。しかし、協和隊員が来た時には、造船所内に山積みされていた鉄板が、この年の暮れになると見る見る内に無くなっていくのがわかった。

そこで、特殊潜行艇「蛟竜」を製造することになった。当時から、空襲が激しくなったし、軍の機密ということで、地下軍事工場が掘削されることになった。昭和十九年の暮れのことであった。

「地下軍事工場はあったのは、この当たりです」

藤原さんが、そういって案内してくれた。

「ここで、落磐事故があったことをご存じですか」

「いえ、それは聞きはじめです」

高木先生が興味深かそうにノートを持って近寄ってきた。

「第五中隊から、掘削者は選ばれました。私は、今でもあの日のことをよく覚えています。清原明という隊員が事故にあいました。それを助けたのが、私の友人で新井という小隊長でした。朴君から聞いた話ですが・・・」

作業場の組長が防空壕の前で大声をあげた。四十歳過ぎと見える小柄な男だった。

「集合、整列」

協和隊員はツルハシとスコップを持って整列した。顔は埃まみれで、湿気からか髪がべたべたと濡れていた。

三十数人いた協和隊員を睨むように見て組長は指示した。

「神州第八二○一工場は、六倍の増産をめざして今日も奮励努力する。諸君も知っているとは思うが、半島出身初の特攻隊員松井伍長はレイテ島の飛行場に決死突入した。銃後の半島青年が皇国魂を発揮し、全員神風となって増産を進めろ。わかったか」

「はい」

「小隊長、何か言うことは」

「大和奮励努力し、以て応徴戦士の本分を全うします」

「よし、かかれー」

言葉だけが踊っていた。組長が事前にいいそうなことは分かりきっていたし、それへの返答方法も三ヵ月が経とうとしている今日、日本人の気分を害さない方法だけは誰もがわかってきていた。しかし、今日も五人が「てんかん」と言う病気で作業を休んでいた。スコップやツルハシを持つ隊員達が暗い防空壕の奥深い中に入っていく後ろ姿に気持ちは表れていた。

「カキン−カキン−カキン−」

「ザクザクザクリ、ザクザクザクリ」 暗い穴の中に、ツルハシやスコップの音が幾重にも重なりあっていた。

「寒いなあ」

清原明はツルハシの手を休めて「はー」と息をかけた。防空壕の入口から二百メートルはいったところで作業していた。昼時を含め一日三回だけ外へ出してもらえる。暗さと狭さから来る閉鎖感、湿気の多さ、足もとが水浸しになって作業靴がグスグスになる足場の悪さ。何もかも嫌な仕事だったが、空襲のない安全さと、この掘削作業者だけに与えられる特配のコッペパンが唯一の楽しみだった。清原明が発破でひびの入った岩盤にツルハシを入れ、他の隊員がスコップでモッコに岩石を入れて運んでいた。

「なんで、こんな穴を掘るのだろう」

「何でも特殊潜航艇を造るための地下軍事工場だそうだ」

「特殊潜航艇?」

「人間魚雷のことさ」

清原明は隣の隊員と立ち話をしていた。

「こら、しゃべっているのは誰だ。黙って働け!」

竹刀でたたく組長の声が壕の中でいつまでも余韻を残すように響いた。再び、沈黙の中で「カチン−カチン−」というツルハシの音と「ザクリザクリ」というスコップの音のみが続いた。

新井小隊長が土砂を持って奥から組長のいる方に向かっている時であった。最初頭のほうからパラパラと小石が落ちてきた。次にガラという音がしたかと思うと、「ドガン、ドガン、ドドドドドー」という大音響と砂塵が舞い上がった。

「落磐だあ、落磐だあ、大変だあ、おお〜い、助けてくれ〜、手を貸してくれ〜」

砂塵の向こうには清原明がいるはずだった。新井小隊長は手で砂塵を振り払いながら岩の上に這い上がって捜した。大きな岩の下に清原明が見えた。

「助・け・て・く・れ・・・」

明の声の方にヘッドライトを当てた。

「明、明、あ・き・ら・・」

「みんな、手伝ってくれ、明が、明が下敷きになっている」

新井小隊長の声に驚いて十数人の協和隊員が駆けつけた。みんなで清原明の上にある大きな岩石を退かした。

「明、大丈夫か。生きているか。オオオオー、明・・・」

新井小隊長は、清原明を抱きしめた。

「誰か、助けてくれ、足と腰がすごく痛い。アイゴーオモニ。痛い」

組長がやってきて言った。

「誰か、こいつを病院に運ぶんだ」

「残りの者のは、持ち場を離れるな。貴様等朝鮮人の一人や二人の怪我ぐらいで仕事を止めれるか。戦をしている兵隊さんのことを考えろ。早く、この落磐の跡を片付け、作業の手を休めるな」

「明、明、しっかりしろ。大丈夫か」

新井小隊長はほとんど泣き崩れて、運ばれていく清原明の後を追いかけようとした。

「バカヤロー、貴様はついていっちゃあだめだ。さぼるんじゃねえ」

組長の竹刀が新井小隊長の頭に容赦無く降りかかった。

「気合いが入ってないから怪我をするんだ。この野郎!」

工事の遅れを気にするように組長は、イライラと竹刀でそこら回りを叩いた。

「あ・き・ら・・・・」

落磐で電灯が切れて、暗い闇の中をヘッドライトだけが蛍のように乱反射していた。新井小隊長の声は、いつまでも壕の中を共鳴して鳴り響いていた。


「そうですか。そんなことがあったのですか」

高木先生は、真剣にメモを取りながら繰り返し聞いた。

「それで、キムさんは、今日玉野でお泊まりですか」

「駅前のホテルに三泊を予定しています」「よかった。では、明日ちょうど土曜日なので、私と、藤原さんの他、協和寮で看護婦さんをしていた人、当時宇野青年学校の先生をしていた人を招いて、当時のことを話し合う会を開きたいと思っていますが、いかがでしょうか」

「それはありがとうございます。五十数年前のことなので、忘れてしまったことの方が多いと思います。みなさんと話し合うことで、記憶を取り戻せるかもしれません」「では、明日の十時にホテルにお迎えに行きます。じゃ・・」

高木先生と藤原さんが帰ろうとしたので、私は二人を止めた。

「あの、高木先生に一つお願いがあるのですが」

「なんでしょう」

「実は、当時私と協和隊本部で一緒に働いていた女子挺身隊の鈴木綾という人を捜していただけませんか。綾さんは、確か玉野高等女学校に在学していたはずです。是非、その人に会って一言お礼がいいたい」

私は、鈴木綾さんとの出会いを思い出していた。


昭和十九年暮れのことであった。

「ウーウーウーウーウーウーウ・・・」 町全体にけたたましい警報が鳴り響いた。

「空襲警報発令、空襲警報発令」

深紅のメガホンをもった国防の係員が走り回って叫んでいた。まもなくして、「ブーンブーンブーンブーン」と双発ロッキードが十数機、島を縫うようにやってきたかと思うと、「バリバリバリ・バリバリバリ」と機銃掃射が開始された。防空壕に逃げ込む協和隊員、女子挺身隊員達。東奎はその時造船所に向かっていた。各中隊には副官が三名任命されていた。一人は中隊を引率して造船所で通訳や造船所の組長との連絡調整などの仕事をし、一人は病気などで休んだ隊員の世話をした。もう一人つまり東奎の仕事は、隊員へ配る配給の世話、事務連絡、郵便の世話など多岐に渡った。この日も昼過ぎ、造船所に連絡があり行っていたところだった。造船所の前に大きな防空壕が掘られていた。東奎がその防空壕に逃げようとした時、三メートルほど前を走っていた女子挺身隊員がころんだ。紺の絣のもんぺに鉢巻きをした女性だった。駆け寄ると、もんぺのすねぼうずのところに血がにじみ出ていた。

「大丈夫ですか。血が出ている。これを」

東奎は、腰にぶら下げていた日本手拭いを抜いて、怪我をしたところを縛った。バリバリバリという銃声が近づいてきた。東奎が女姓に覆いかぶさると頭上をロッキードが通り過ぎていった。「早く」、抱き抱えるように防空壕に避難した。多くの人が入っているはずだったが、目が慣れてないせいか奥の様子はよく分からなかった。ただ、外の寒さより幾分生暖かい人息が感じられた。

「はあはあはあ、ありがとうございます」荒い息をしながら女子挺身隊員は言った。

「いいえ、どういたしまして」

と、東奎は答えた。

その「どういたしまして」のアクセントで気づいたらしい。

「あなたは・・・・」

「ええ、協和隊員です。名前は金本東と言います」

「私は、鈴木綾と言います。女子挺身隊員として造船所の勤労課で働いています。だから、あなたたち半島から来た人のお世話をしているんですよ」

鈴木綾は、傷を押さえながら、恥ずかしそうに話した。年は二十歳前のはきはきとした明るい乙女であった。

「それはそれは。そうだ、これを一つ上げましょう。故郷のお母さんが送ってきた朝鮮飴です。どうぞ」

東奎は国民服の胸ポケットの中から新聞紙に包んであった白い朝鮮飴を取り出した。一口大に切っていた飴が三つあった。鈴木綾の伸ばした白い手にポツリと防空壕の水滴が落ちた。

「あっ」

と言って飴を一つ取った。

「甘〜い。久しぶりだわ、甘いものを食べたのは。ほんとにおいしい」

綾は少女らしく頬に手を当て、恥ずかしそうにいった。

「また上げましょう」

東奎は新聞の包み紙をポケットにしまいながらいった。

「空襲警報解除、空襲警報解除」

遠くから国防係員の声が聞こえた。静寂さと緊張が一度に切れたようにざわざわと人声が聞こえてきた。こんなに多くの人が避難していたのか、と闇に慣れた目が防空壕の中全体を理解させた。避難していた人がそれぞれに帰って行った。鈴木綾も小さく礼をしながら去って行った。東奎は造船所に向かって歩いた。


「わかりました。玉野高等女学校の名簿を見たりして、捜してみます」

高木先生が、メモをしながら答えた。

「私の方は、海友会という造船所の同窓名簿で、調べてみます。戦後も、引き続き勤めていたら名簿にあるはずですから」

藤原さんも、応じてくれた。

「よろしくお願いします」

と、私は深々と頭を下げた。

雲行きがあやしくなった。夕立があるのかもしれない。造船所から、ホテルまで高木先生に送ってもらった。

「本当に、来てよかった」

「では、また明日お会いしましょう」

こうして、私の訪日第一日目が暮れた。


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