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「岡山のクラフト 上」 文 柳生尚志 写真 光岡てつま・井上一郎 山陽新聞社 1995.5.30 |
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木原さんの人形はさまざまな姿態を見せる。大きさは二十センチから六十センチぐらいまでだが、顔つきに個性があり、視線はどこかをじっと見つめている。何よりも手足に表情があるのが独特だ。西洋のアンティークドールでもなく、日本人形でもない。かわいい抱き人形とも違う。 「最初は西洋のアンティークドールを手本に布で西洋人形を作っていたんです。でも人形とはいえ、その国の風土から生まれたものだから、お米のご飯に漬物、そうめんを食べている私には心の入った西洋人形はできないと悟りました。というわけで、いつのまにか私の人形になってしまいました」と語る。 ごく当たり前の閑静な住宅地に木原さんの住まいがある。ここが人形を生み出す館だとはとても思えない。大学では教育学部の幼児教育課程に学んだが幼椎園の先生にはならなかった。なんとなく土をいじりたくて倉敷アイビースクェアの陶芸教室に入門、野焼きで大きな壷を焼いたりした。その経験から粘土で人形の顔や手足をつくり、石こうの型で抜いて顔に布を被せて人形を作りはじめた。胴体などには果物などの梱包につかう「木毛」を固く詰める。目など顔は水彩絵の具で描く。 |
作り方は本を参考に手さぐりで工夫した独学。自分で考えた制作法という。 昭和六十二年(一九八七)にデパートで開いた初個展はアンティークドールの布人形だったが、評判となり注文もたくさんきた。しかしコピーでは物足りず、しだいに「木原幸子の人形」を目指すようになった。 最近の作品は文学作品の主人公やグリムやアンデルセンの童話、ドガのスケッチなどをヒントにつくっている。 |
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岡山県展に出品した「怨」は女の情念をテーマに森隣外の「雁」の玉をモチーフにした。横座りの玉の着物は乱れ、赤い長襦袢がはだけている。箒にまたがるホーキ星の妖精は十体のシリーズ。
ひいばあさんが残してくれた布地でつくる人形の衣装は和服とも洋服ともいえない独特のファッション。あえていえばオリエンタルな雰囲気だろうか。 これまでに約五百体の人形が手元を離れているが「いつまでも一緒にいたいけどそれは無理。私の人形を求めていただいた方が幸せな気持ちになってくださればそれで満足です」。 |